2015/07/18

愛し野塾 第7回 癌研究は、誰のために・・・。

愛し野塾 第7回 癌研究は、誰のために・・・。
 
 
癌治療の進展には目を見張るものがあります。
 
先ごろ外来で拝見した患者さん、「慢性骨髄性白血病」と診断されました。2000年よりも前でしたら、「不治の病」ということで、患者さん、家族、そして、医師も途方にくれていたことでしょう。
ところが、2001年オレゴン健康科学大学のドラッカー博士の研究で「イマチニブ」と呼ばれるお薬がこの病気に対して劇的な効果をもたらすことが知られてから、「治せるかもしれない」病気に変わりました。実際、私の患者さんは、専門病院に紹介先の医師からイマチニブを投与され、癌は、あっという間に血液中から消失する、という結果を得る事が出来ました。
 
また、別の患者さんですが、肺がんの「イレッサ」と呼ばれる飲み薬が処方されてから、進行性の肺がんと診断されながらも、10年以上もADLも維持しつつ、生きながらえた、という経験をいたしました。一般には、病期の進んだ肺がんの場合では、その生存は1年以内とされていますから驚異的です。
 
このように、各種癌の根本原因とされる部位に効果を表す、いわゆる「分子標的治療」は、近年、目覚しい発展をとげ、一介の町医者である私のところですら、この臨床医学の爆発的な進歩を垣間見ることができるまでにいたったのです。
 
さて、そのような臨床研究の成果を謳歌できる喜びもある一方で、イマチニブの売り上げは劇的に伸び、2012年の売上高が世界で15位という恐るべき利益を上げ、ブロックバスター製品に仲間入りしています。日本でも慢性骨髄性白血病の患者さんの数はとても少なく一年間に発症されるかたはわずか数千人とされていますが、イマチニブの単価が高く、標準治療では、一日あたり1万円の費用がかかること、そして、薬の効果が素晴らしいので、多くのかたが、大いに延命ができるようになったことから、このお薬の売り上げが飛躍的に伸びました。
 
そこで、各種製薬メーカーが、これは、利益の上がる分野だ、と参入し、多数の分子標的薬が作成され、あたかも利益集団同士の重大な競争状態となっていることも事実で、結果として、国民の医療費増大に拍車がかかっています。
 
先日行われた日本でのアンケート調査でも、「年間かかる癌治療の適切な費用は?」、との問いに、多くの医師が、「年間400万円以上は常識の範囲でない」と回答しています。裏を返せばそれくらい費用が嵩んでいる方が多数いるということです。実際、保険会社の支払いでも、癌にかかる費用は300万円が最も多く、30%を超えているという統計も出されているほどです。
 
さて、2015年1月25日に米国大統領のオバマ氏は、精密医療(Precision Medicine)と銘打って、癌撲滅へ向けて、100万人規模の遺伝子解析をする壮大な計画を発表しました。この計画の立案をしたと考えられる、NIH所長とNCI所長が、ニューイングランドジャーナルオブメディシンに書簡を寄せています。そこでは、昨年12月に発表になったばかりの新しいがん治療の成功をたたえています。この研究では、免疫を活性化する治療法が有効な症例において、その患者自身の癌がもつアミノ酸の配列の特徴が、実は、細菌などに認められるアミノ酸の配列の特徴と酷似している、ということをつきとめたというのです。言い換えれば、種々の細菌に対してあらかじめ免疫を獲得しておくことで、癌にも対抗する準備ができるという可能性を示し、これは、素晴らしいことだと思いました。
 
しかし、そうした知見は、基礎医学をしている研究者らの興味を満たす対象としてはよろしいのだが、本当に莫大なお金をかけていく方向として正しいのか、という疑問が残ることも事実です。
 
精密医療には215万ドルが投じられます。Philly.comの記事には、大統領の元アドバイザー、エマニュエル氏が、癌撲滅を銘打った活動は15年前からはじまっているものの、たいした効果をあげていない、国民がやるべきことは、運動と健康な食事であって、精密医療ではない、と言い切っています。また、ヒトゲノム計画が達成されてからのほうが、むしろ新薬の創成頻度が下がった、という統計結果もニューヨークタイムズの記事に掲載されたばかりです。昔ながらのトライアル・アンド・エラーの手法で、スマートインスリンは作成されたという内容でした。
 
こうした背景からも、ヒトゲノムに研究を集中させることで、新しい癌の治療標的を見つけ、分子標的薬を量産することは、果たして、人類の幸せになるのかどうか、考慮が必要な時期に来たといえましょう。
 
日本では、先ごろ国立循環器病センターが、日本版精密医療ともいえる創薬オミックス解析センター計画を5000人規模で行うことを発表しています。私は、米国の200分の1に計画を抑えた日本政府の方針に慧眼を感じます。
 
私は、スポーツによるリクリエーションや、食の大切さを教える教育、農業を大切にする政策も、医学の現時点での重要課題と考えます。勿論、分子標的薬開発も重要な課題であることは間違いなく、決して、否定するものではありません。しかし、それ一辺倒になることが問題であると考え、バランスを考えた政策を期待しているのです。皆さんは、いかがお考えでしょうか。