2015/07/22

愛し野塾 第31回 大うつ病の原因遺伝子の発見


ノースカロライナ大学、サリバン博士に、「すべての複雑なヒトの病気の中で、大うつ病がおそらく最も理解しづらいものだ」と言わしめた、難解極まる大うつ病の原因遺伝子発見に一歩近づいた世紀の瞬間がやってきました。コンバージコンソーシアムが、2回以上の再発を繰り返す、重症の大うつ病の漢民族女性の全ゲノム解析により、2つの遺伝子座が大うつ病と関連していることを発見したのです。このレポートは、Nature 14659(2015)に出版されたばかりです。
これまで何十年もの歳月をかけて、大うつ病の遺伝子は探し求められてきましたが、サリバン博士を含むどのグループも成功にいたらず、大うつ病をもたらす生物学的基盤の詳細については、暗中模索が続いていたのです。大うつ病は、日常臨床でよく見られる病気で、罹患してしまうと日常生活がままならなくなるため、本人そして家族、及び周囲方々の苦悩と同時に、生活保障などの社会経済的負担も増大の傾向をたどり、公衆衛生上の大きな問題とされています。なにより、「自殺」の最大の原因疾患であることはもはや周知の事実です。大鬱病の研究を混乱させてしまう要因は、鑑別診断に際しての「気持ちの落ち込み」という表現の多様性にあるでしょう。どの程度の気持ちの落ち込みが異常で、どの程度だったら異常でないのか、専門家の治療行為を要するのかどうかという境界線がわかりづらく、鑑別診断には相当の経験・技術を要する現状です。糖尿病であれば、空腹時血糖が126mgdl以上だったら異常値として見なされ「要治療」と区分されますから、この基準を満たすひとを沢山集めて遺伝子研究をすることが可能で、原因研究はたやすくなりますし、事実、多くの研究成果をあげてきました。つまり「気持ちの落ち込み」の程度を数値化し、それがどの値で大鬱病となるのかが分かれば、治療介入か否かの鑑別に苦労はないのですが、そうしたバロメーターは存在しません。

今回の研究では、大うつ病研究の難しさに真っ向から挑むべく、コンバージコンソーシアムの研究者たちは、これまでにない特別な仮説を立てました。「大うつ病に罹患している患者さんを構成するのは、不均一な集団である、この不均一さが、研究を妨げている主要な原因だ」と仮定したのです。遺伝子の異常が原因で大うつ病になったかたもいれば、貧困、性的暴力、肉体的な暴力などの環境因子によってこの病気にかかったかたもいますし、アルコール依存症が原因で大うつ病になったかたもいます。また母親のうつ病が赤ちゃんに影響し、こどもの青春期の大うつ病発症要因となることも報告されてきました。これまでは、こうした患者さんを押並べてひとつの集団として「包括的」に研究対象としてきました。これまでにも9000人以上を対象にした精力的な研究が行われましたが、結果として有意な原因遺伝子の探索には至らず、遺伝子解明研究から注目が逸れていく風潮すら見られるようになりました。そこで、コンソーシアムは、「包括的」な手法を捨て、「限定的」な手法を採用したのです。大胆にも、欧米に比べて、大うつ病の発症頻度が低い「中国」を研究の場として選びました。米国での大うつ病の頻度は、16%ですが、中国では、3.6%とされます。しかし、その頻度の大きな差は、中国では、うつ病と診断されるのを嫌う社会風潮によるものだという意見もあります。裏を返せば、中国では、うつ病の診断を受け、治療されている人は、重症の可能性が高いとされ、患者の限定には有利とされました。そして、これまでの研究から、大うつ病発症原因には、男女差があることが示唆されていることから、「女性」のみを対象にしました。そして、臨床的に、より重症患者を標的とするために、「2度以上の再発を繰り返している」ことを条件にしました。研究では、中国の58の病院の協力を得て、11670人の漢民族女性が対象となり、条件に見合う患者が選別されました。結果として、「限定」法はものの見事に成功します。
最終的に選別された5303人の全ゲノム解析によって、大うつ病に関連した遺伝子として、第10染色体にある2つの遺伝子、SIRT1」(P=1.92X10-8)と「LHPP」(p=1.27x10-10に変異が発見されたのです。メランコリーを呈するさらに重症の4509人のかたに絞ると、SIRT1と大うつ病の関連がp=2.95x10(-10乗)と判明し、重症度があがると、SIRT1との関連は、約100倍程度高まることがわかりました。これらのデータから、SIRT1は、大うつ病の原因遺伝子として一躍脚光を浴びることになりました。さて、このSIRT1は、ミトコンドリアと呼ばれる細胞内のエネルギー産生センターに関与することから、大うつ病が、ミトコンドリア機能異常の結果として生じる可能性が出てきたのです。これまでの研究でも、大うつ病では、ミトコンドリアのDNA増加する傾向があることが報告されています。こうしてミトコンドリア原因説はにわかに信憑性が高まってきました。

さて、今後の課題について考えてみたいと思います。今回の研究報告から、うつと関連性があると指摘された2つの遺伝子は、過去の大規模研究結果から類推すると、果たしてヨーロッパの大鬱病患者の原因遺伝子としても治療の標的とすべき遺伝子なのかどうかということです。つまり、この2つの遺伝子は、「中国の重症大うつ病の女性」にのみ認められる可能性があるのです。コンソーシアムは、この2つの遺伝子が、ヨーロッパの大うつ病の原因遺伝子となりうる可能性を提示していますが、その根拠は弱く、証明するにはより精度の高い方法で解析を試みることが必要とされるでしょう。

この研究の強みは、別の3231人の患者集団でも同じ結果を得て、すでに再現性が裏付けられていることです。少なくとも漢民族女性に限定した場合、結果の信憑性は疑う余地はないようです。これまでのヨーロッパの大規模研究では、この2つの遺伝子との因果関係は認められていませんが、それは「包括的」な研究方法に起因するものかもしれません。人種間の差異だと結論をするのは早計でしょう。むしろ、ミトコンドリア機能に異常をきたす潜在性のある遺伝子群を、ヨーロッパのコホート上で追求することも必要ではないでしょうか。

これまでミトコンドリアの機能異常が大うつ病原因として標的となったことはなく、この異常こそが根源的な治療の鍵となるのであれば、大うつ病治療への戦略は大きく変わることになるでしょう。明確な原因の解明により、患者さんに対応したより効果的な治療の選択肢も増えることが期待されます。今後、この研究の発展から目が離せない状況となりました。