第20回 愛し野塾
成人メンタルヘルスの決定因子とは。
---いじめか?それとも親の虐待か?
幼児・児童虐待は、社会経済レベルの高い国々では特に、公衆衛生上、大きな問題となっています。大人による肉体的・精神的虐待、性的いやがらせ、ニグレクト等が、子供の健康・生命・成長・尊厳に強く影響し、時に障害に至らしめることが明白だからです。
英国では、11歳以下の子供の5−9%に、米国では、18歳までの12.5%の子供に、虐待経験がある事が報告されています。「虐待」は、うつ病や不安障害を引き起こし、薬物依存・自殺・学業不振・就労不能とも深く関係する事が報告されてきました。脳科学や神経心理学の基礎研究によって、「虐待」は、ストレス反応系に悪影響を及ぼし、行動制御系に異常を来すことがわかっています。
さて、子供は成長するにつれ、同世代の仲間たちと過ごす時間が長くなりその重要性が増すものです。ソーシャライゼーション(社会化)の発達にはこういった経験は重要ですが、一方で、不適切な人間関係によって、ストレスが増えることも否めません。不適切な言葉や身体的な暴力、仲間はずれは、「仲間による虐待」ともいうべきもので、「いじめ」、「子供による虐待」とよばれています。いじめの定義は、犠牲者よりも力を持った個人あるいはグループによる繰りかえされる攻撃行動とされています。
世界的にみても3人に1人がいじめの犠牲となっており、大人による虐待と同じく、不安症、うつ病の発症に関与し、自傷行為・自殺企図などの生命を脅かすほどの危険行動を誘発します。さらにその影響は、成人になっても続くことが知られています。
「大人による虐待」も「子供同士のいじめ」もそれらによって受けた傷は、長い期間完治せず、虐待やいじめを受けた子どもの将来の精神状態に悪影響を及ぼすという点で大変似ています。
両者のケースについて、成人になってからのメンタルヘルスに与える影響を比較検討することで、その病態の理解が促進され、新しい治療戦略が生み出される可能性が高まると考えられます。今回興味深い結果が発表になりましたので、ご紹介します(Lancet Psychiatry 2015 Apr 28 S2215-0366(15))。
対象としたのは、2つのコホート研究で、ひとつは、ALSPAC、もうひとつは、GSMSと呼ばれる研究です。
ALSPAC研究は、出生時点からのコホート研究で、1991年4月1日から1992年12月31日の間に、出産予定のイギリスのアボンに住む妊婦を対象としました。子供は、1歳の時点で、14701人の調査登録者がありました。7歳の時点から、毎年、面談・診察・検査をし、「いじめ」について、8、10、13歳の時点で面談による調査がなされ、18歳まで調査が継続されました。母親に対しては、出産前後から、その後の子供に対する身体的、精神的、性的虐待の有無などの詳細を郵送調査が実施されました。
GSMS研究は、9、11、13歳児についてのデータを集めた3つのコホート研究で、米国ノースカロライナ州で1993年に開始されました。行動障害の子供を持つ親をスクリーニングし、重症度が高い子供のトップ25%と、無作為に選んだ10%の子供から構成されています。合計1420人の調査対象者は、26歳まで調査がなされ、いじめはレポート形式で、虐待調査は、親子の面接方式で実施されました。
メンタル評価は、両研究ともに、面談法で行われました。これまでの研究から、家族内の葛藤・両親のストレスレベル・両親の精神疾患の有無が、「虐待・いじめのリスク増加因子」として知られていることから、こどもの性別、家族の困窮の程度及び母親の精神疾患を交絡因子ととらえ、データは補正されました。
ALSPAC研究結果では、18歳児の検診で、4566人が、メンタル評価を受け、4026人(56%が女)分のデータが解析に用いられました。GSMSでは、1420人(49%が女)のうち、1273人のデータが解析に用いられました。
ALSPAC研究では、19%にメンタル疾患が認められました。その内訳は、10%が不安障害、8%がうつ病、9%が自傷行為という結果でした。GSMS研究では、18%にメンタル疾患が認められました。12%が不安障害、6%がうつ病、7%が自傷行為という結果でした。
ALSPAC研究では、8%が虐待のみ、30%がいじめのみ、虐待といじめの両方を受けていた子どもは7%でした。虐待を受けた経験のある子供は、受けていない子供に比べて、いじめを受ける率が高いことがわかりました。GSMS研究では、15%が虐待を受け、16%がいじめを受け、いじめと虐待の両方を受けていた子どもは10%という結果でした。
ALSPAC研究では、虐待もいじめも受けていない子供に比べて、虐待だけを受けた子は、精神疾患発症の統計学上有意な増加は認められませんでした。一方、GSMS研究では、虐待だけを受けていたこどもにうつ病が多いことがわかりました。いじめだけを受けた子供は、すべての精神疾患の罹患率が上昇することがわかりました。
一方、いじめと虐待の両方を受けた子供は、「不安障害」と「うつ病」の罹患率が顕著に増加することが判明しています。ALSPAC研究では、自傷や自殺も増えていました。ほかの交絡因子を取り除いた後での解析では、いじめのみは、虐待のみよりも、精神疾患リスクを有意に上げることがわかりました(ALSPACで1.6倍、GSMS研究で3.8倍)。疾患別でみると、GSMS研究では、不安障害が4.9倍上昇、ALSPAC研究では、うつ病と自傷が1.7倍に上昇していました。
これらの結果から、いじめは、虐待よりも、将来精神疾患をきたすリスクとしては大きいという可能性がはじめて示されたのでした。
この論文に必要なさらなる論点として2つ考えられます。
まず、ALSPAC・GSMSの両調査研究の結果では、虐待に対する精神疾患発症リスクが異なる点です。GSMS研究では、虐待によってメンタル疾患のリスクがあがるが、ALSPAC研究では、虐待ではメンタル疾患リスクが上がらないという結果でした。一方、124本の研究のメタ解析による、虐待と精神疾患との相関を明らかにした研究成果では(PLoS Med. 2012;9(11):e1001349.)、うつ病リスクについて検討した結果、肉体的虐待によって1.54倍、精神的虐待によって3倍、また、ニグレクトによって1.3倍に増加させることが示されています。この結果の矛盾を引き起こした要因には、ALSPAC研究において、虐待といじめの調査が行われた時期が10年以上ずれていたことが考えられます。一方GSMS研究では同時に調査が行われていました。こうした違いが、虐待で、ALSPACでは、精神疾患発症と関係なしとなった可能性があると考えられます。
ふたつめに、「いじめ」の詳細について考察が十分でないと思います。前述の調査ではインターネットを介したいじめが取り入れられていませんでした。いまや、SNSは中傷、無視の温床となっていますので、この「ネットいじめ/サイバーブーリング」については脳科学・心理学の両面から早急に検討すべき問題でしょう。
今回の研究からは、虐待とメンタルの関係では、齟齬(そご)が認められる点はいくつかあり、研究手法に問題があるにしても、いじめが引き起こす、将来的な精神疾患の重大さは、明確になったととらえるべきでしょう。とりわけ、いじめが虐待よりむしろ「重い精神障害リスク」を及ぼす、ということはどうやら確からしいので、私は、いじめを極力減らす試作が政府レベルで必要だと思います。
加えて研究結果を少し発展して考えるとき、過去の虐待経験による将来の精神疾患リスクは、「いじめ」のない健全なソーシャライゼーションによって低下する可能性もあるといえるかもしれません。精神障害に至らずとも虐待経験から身を守るために強化された「自己否定感」や「欠如したセルフコンフィデンス(自信)」という不健全な適応機制は、いじめの経験如何で改善または悪化するかもしれない、という専門家の意見もあり、私もこれに同意するものです。
いじめを、「成長過程で必然的なことがら」ととらえる風潮もいまだある中、こうした誤った考えを是正し、いじめによって将来的にメンタル疾患を発症させることがない社会をつくっていくことが肝要と考えます。虐待といえば大騒ぎをする一方で、いじめは、社会的取り扱いはまだまだ小さいと考えられます。
さて、日本では、子供たちによるアンケート調査が、いじめの発見のきっかけとなったケースは、2011年には、わずか28%でしたが、2012年には53%と急激に増加しました。これは、2012年大津の中学生がいじめにより自殺したことから文部科学大臣の命令でいじめをすみやかに公表する通達があったからとされています。
学校においては、少なくともアンケート調査を定期的に行い、それをすみやかに公表することで、いじめのあぶり出しを早急にしていくことが必要と考えられます。
自殺予防はもちろんのこと、将来のメンタル不調を予防することにもつながるとすれば、こういった教育政策は最重要項目であると思うばかりです。