第29回 愛し野塾
握力と健康
握力測定は、簡易な検査であるだけでなく、様々な病気発症リスク・死亡リスク・身体不自由になるリスクを予測してくれる有力な武器とされています。これまで、高齢者・中年、加えて比較的若いかたも含め、握力が死亡リスクを予測する因子であることが示されてきました。
しかしながら、国境を越えて、社会経済環境のことなる状況でも、握力が死亡リスク予測因子となるかどうかには疑問が残り、また、握力がどのような死亡リスクを下げるのかについては不明のままでした。
今回、カナダ・マックマスター大学のレオン(Leong)博士らは、高・中・低所得国17カ国の35歳から70歳の139691人を対象に、4年間の経過を観察した、前向きコホート研究で興味深い研究結果を発表しました(Lancet May14 2015)。
対象者は、2003年から2009年の間に、リクルートされました。年齢と身長で補正した握力は、男性の場合、高所得国で、38.1Kg、中所得国で、37.3Kg、低所得国で、30.2Kgでした。女性では、高所得国で、26.62Kg、中所得国で、27.9Kg、低所得国で、24.3Kgで、男女ともに平均所得が低い国で、握力の低い傾向にありました。期間中、死亡したのは、3379人で全体の2%を占めていました。5kgの握力が低下するごとに、16%の死亡率上昇(P<0.0001)が求められました。さらに握力低下で、心血管病での死亡率は、17%上昇(P<0.0001)、心血管病以外での死亡率も17%増加(P<0.0001)、心血管病の発症率は、心筋梗塞(P=0.002)及び脳卒中(P<0.0001)と、ともに7%上がることがわかりました。この傾向は、国の違いや収入の程度にかかわらず同じように認められました。
一方で、握力低下と、糖尿病、癌、肺炎の発症および、呼吸器病にともなう入院、転倒による障害、骨折との相関は認められないということもわかりました。
総合すると、握力低下による心血管病発症との関係はかなり選択的であり、握力の変化ではなく、絶対値そのものが低いと、心血管病のリスクが増大することもわかりました。特に、高血圧、冠動脈疾患、心不全、脳卒中、COPDとの関連が著明で、さらに興味深いのは、心血管病死亡の予測因子として、収縮期血圧よりもむしろ握力のほうが、有意に信頼性が高いことがわかったことです(P<0.0001)。
このように、握力が、心血管イベント予測因子として重要な役割を果たすことがわかったことは特筆され、今後、握力測定を日常臨床で施行することで、血圧測定や体重測定と同様、有用な検査値として捉えられ、患者さんのより良いケアにつながる可能が大きくなりました。
握力が低下してきた方は、日常の生活のなかでも改善できる場面が多々あります。買い物時にはカートではなくかごにいれて手で持ち運ぶ、また運動方法にも歩行やランニングの他、鉄棒を用いた運動を取り入れるのもよいでしょう。また、家庭で積極的に握力を測定するなどして、握力に対する注意を喚起することが、ひいては、心血管病の予防につながるかもしれません(もちろん握力維持増進の心血管系の疾患発症リスク軽減への可能性については今後更なる詳細の研究が必要でしょう)。
さらに、握力が心血管イベントに及ぼす影響のメカニズムが将来的に解明されることで、新たな治療のターゲットが見つかる可能性も出てきました。
さて、この研究の問題点は、有病率のデータにバイアスが存在する可能性が高いことでしょう。死亡については、死亡診断書をもとにしているため、有病率ほどの問題はないものと判断されますが、有病率算定に必須の病気の診断は、病院へのアクセスの難易度に影響されるからです。所得が低い国では、病院へのアクセスが悪い傾向があり、十分な診断技術を備えていない医療機関が多い傾向が推測され、有病率推定の正確性には疑問が残ります。特に、転倒、及び関連骨折の診断は、心血管イベントのデータと比較すると、あいまいな点が多いと考えられ、握力と転倒・骨折の間には相関がなかった可能性が否定できません。また、上肢の筋力が、必ずしも、下肢の筋力やバランスが強く関与する転倒とは相関しない可能性もあります。今後は一定の医療環境下で対象をしぼることも必要でしょう。
また、握力が弱いほど、癌の発症が少ない(0.916倍,p<0.0001)という予想外の結果は、高所得国でのみ認められ、低所得国では認められませんでした。この事実はこれまでには報告がなく、今後再確認されることが必要でしょう。
今回得られた結果は、10万人を超える大規模で、しかも5大陸17カ国の所得も全く異なる人々から得られたもので、信憑性はきわめて高いものと考えられます。
発癌に関しては問題が残るにしても、死亡率低下という最も重要な結果が得られている以上、今後は、医療機関でも、またセルフチェックにも、 医療負担の少ない握力測定をとりいれてゆくことは、健康意識向上にも役立つのではないかと期待したいところです。