2015/07/18

愛し野塾 第23回  うつ病のお母さんへの治療介入が子どものメンタルヘルスに及ぼす影響

第22回 愛し野塾

 うつ病の母親への治療介入が子どものメンタルヘルスに及ぼす効果

 
 
 
妊娠中もしくは出産後、母親が鬱病にかかると、子供は、幼児期から青年期にかけて、メンタルヘルスにネガティブな影響を「強く」与えてしまうことが知られています。また、疫学調査の結果では、1035%の赤ちゃんが、出産後一年以内に、母親の鬱病に暴露されていることが報告されています。
 
こういった背景から、子供のメンタルヘルスを良好に保つために、母親の鬱病への治療的介入が有効かどうかを検証することは大変重要な課題です。
 
過去の研究から、高所得国においては、治療的介入(以下インターベンションと呼びます)の効果として、赤ちゃんのメンタルヘルスを「悪化させない」ことが報告され、さらにこの効果は、出産後1年間は有効であることが知られています。ただし残念ながらこのインターベンションの効果は、「5年は続かない」ことも同時に報告されています。一方で、低所得国の場合には、国からの出産後の経済的、精神的援助が十分でないため、鬱病に罹患した母親へのインターベンションが、サポートを受ける機会が比較的多い高所得国に比べて、より効果があがる可能性が期待され、今回の研究が行われるきっかけとなりました。また、この新しい研究では、アウトカムの指標として、「母親へのインターベンションが、その子どもが7歳に成長した時点での学業成績に及ぼす影響について」、検討がなされたことも興味深い点といえるでしょう。
 
さて、先行研究となった、2008年の「シンキング•ヘルシー•プログラム」は、パキスタンの田舎町でおこなわれた臨床試験で、周産期の母親の鬱病に認知行動療法の手法でインターベンションを行い、成功をおさめ、話題を集めました(Lancet 2008 Sep 13, 372:902-909)。
 
パキスタンの最小の行政区域であるユニオンカウンセルは、15,000人から20,000人程度の人口を有します。研究対象には、40のユニオンカウンセルの16歳から45歳の結婚している、妊娠第3期の女性を抽出しました。ユニオンカウンセルを単位として、インターベンション群 20と、非インターベンション群 20 に無作為に割り当てました。2005年4月から2006年3月の間に、対象者を登録し、登録もれがないかどうかを、一軒一軒訪問して確認しました。2人の精神科医が、DSM-IVの診断基準に則って、鬱病の判断をしました。最終的に、治療インターベンション群は 463人で、非インターベンション群は、440人でした。1年後のスクリーニングには、母親がほぼ90%、赤ちゃんは78%が参加しており、研究としては厳格に施行され、結果の信頼性も高いものと認められました。
 
妊娠3期からインターベンションを始め、出産後1年目の段階で、インターベンションを受けた母親の73%は鬱病から回復し、一方、インターベンションを受けなかった母親の場合、41%のみが、鬱病から回復していました。インターベンションにより、赤ちゃんの体重や身長といった身体的指標の改善はありませんでしたが、下痢の回数は統計的有意に少なくなり(25%減少、p=0.04)、ワクチン接種の完遂率も有意に上昇し(10%増加、p=0.001)、12ヶ月後の避妊用具使用率は有意に増加(17%増加、p=0.002)と、健康の指標はいずれも改善していました。さらに「両親がこどもと遊ぶ」などといった家族のふれあいのアクティビティに費やす時間も有意に多くなっていました(50%増し、p=0.001)。これらの結果から、周産期前後の母親の鬱病へのインターベンションは、赤ちゃんのメンタルの成長を良好に促進し、両親との良好な家族的な関わりを奨励するのにも有効であることがわかりました。
 
2005年に始まったこの試験は、2007年の段階でいったん終了となりましたが、長期的な効果を検証する目的で、2013年、再度、子供と母親にコンタクトをとり、子供のメンタル面での成長について検討が加えられました(Lancet Psychiatry 2015 June 3).今回ご紹介するのは、その結果です。
 
Lancet(2015)の研究報告では、289人の母親が、鬱病治療のためのインターベンションを受けた群としてえらばれ、295人はインターベンションを受けていない群として抽出されました。子供の平均年齢は、7.6歳でした。うつ病を発症していない母親の子供300人を対照群としました。「ウエックスラーの知能スケール」、「子供の強さと困難さアンケート」、「スペンス子供不安スケール」、「身体の発達」を指標として、検討されました。
 
母親が、インターベンションを受けた子供は、対照群に比べて、困難さを示す指標(p=0.03)と不安を示す指標(p=0,0013)が統計上有意に上昇していました。知能や、身体発達には有意差がありませんでした。インターベンションを受けた母親と受けない母親を持つ子供の間の比較検討では、こうした指標のいずれにも有意差がありませでした。これらの結果からは、鬱病の母親への治療介入は、生後1年までは、子供のメンタル面を良好に保つ効果はあるが、7年目となると、その効果はもはや認められないと結論づけられました。
 
この論文にはいくつかの問題点があります。まず、ユニオンカウンセル単位で、無作為抽出をしているため、ユニオンカウンセル間の違いにバイアスがある可能性は否定できないと思われる点です。第二に、使われた指標である、子供の強さと困難さのアンケート、スペンス子供不安スケールが、パキスタンの国情にあったものかどうかの検討がなされていない点です。困難さや不安のアセスメントに齟齬が存在した可能性は否定できません。第三に、家族に、祖父や祖母が同居していた場合には、母親との接触時間が短いことが推測され、7年という長い年月でみるとバイアスが生じる可能性があります。
 
有意差はないものの、インターベンションをした群では、しなかった群に比較して、不安の指標は、おおよそ10%高いポイントを得ており(p=0.01、インターベンションの意義がある可能性を残しています。今後指摘した問題点が見直されれば、不安の改善には、有意な差が得られる可能性も否定できません。
 
 
今回の二つの論文検証から、メンタル疾病の有病率是正のためにも、特に将来のメンタル障害の大きな要因となる「不安」を減じる可能性があるならば、鬱病罹患母への早期のインターベンションは、今後も精査されるべきだと思います.同時に、このような側面から、赤ちゃんを育てる母親の(もしくは赤ちゃんの世話をする保護者にまで及ぶ)健全なメンタルヘルスを保持するための方策など、公的サポート提供を積極的に検討していくべきではないでしょうか?