2015/07/18

愛し野塾 第22回  血糖コントロールはどの値が適当か?

ひどく寒い日が続きました。
 
気温の較差に季節外れの風邪を引いてクリニックに来院される方もいらして、気になるところです.寒い日には暖かく、また暑い日には、熱中症予防として、のどの渇きを感じる前の水分補給が必要です。くれぐれも、多種多様なケースを想定してこの季節変化に賢明に適応していきましょう.
 
一方で、冬でも夏でも無理のない程度で、外での活動を心がけ、自分のカラダに備わっているホメオスタシスの潜在性を覚醒させるのは、大切な事です.移動はドアツードア!という人ほど実は、外気温変化に弱いものかもしれません.
 
 
 

第22回 愛し野塾 

血糖コントロールはどの値が適当か?

 
「2型糖尿病患者さんの血糖を正常化すると、死亡率が改善される」と誰しも思われることでしょう。しかし、こんな単純なことも科学的に正しいかどうか、証明することは難しいのが現実です。
 
2000年初頭、このことを明らかにする目的で、米国で、300億円をかけて、一万人規模の臨床試験が開始されたのでした。まさしく国家の威信をかけた大規模臨床試験でした。この試験、「アコード試験」と呼ばれています。
 
2008年になり、この試験の結果(N Engl J Med 2008; 358:2545-2559)が発表されると、全世界の糖尿病治療に携わる医療関係者は愕然としました。血糖を正常化しようとすると、標準治療に比較して、22%も有意に死亡率が上昇することがわかったからです(p=0.04)。
 
2型糖尿病患者さんの治療において、血糖を正常化することが最大の目標となっていた時代でしたから、その目標を達成すること、イコール、死亡率を高めることがわかったのですから、治療に携わる人間の落胆は容易に想像がつくことと思います。
 
この試験では、無作為前向きの手法がとられ、得られた結果は極めて信頼性の高いものと評価されています。血糖正常化群のHbA1cは、6.4%、標準治療群のHbA1cは、7.5%でした。5年間の経時的研究を予定していましたが、死亡率が強化療法群で高い状況が持続的に認められ、3年半で中段を余儀なくされるという散々な結果でした。
 
以来、「血糖コントロールはややゆるめがいい」、という考え方が広く受け入れられるようになりました。どうやら、強化療法をしようとすると、インスリンを使用する頻度が増え、複数の飲み薬を高容量で使用する機会も多くなり、治療による副作用が出やすくなり、死亡率を高めてしまったようです。特に、強化治療によりもたらされた低血糖が、主要な原因と指摘されています。
 
アコード試験の教訓は、「副作用の少ない治療をすることが大切で、特に低血糖にしない治療をするべきだ、そのために、緩めの血糖コントロールをしたほうがいい」、というものでした。
 
さて今回ご紹介する研究は、VADT試験と呼ばれるものです。アコード試験の結果をさらに後押ししています。
 
米国の1791人の在郷軍人の2型糖尿病患者さんを相手にし、血糖を6.9%にした強化療法群と、8.4%にした標準治療群のかたがたを、まず5.6年経過を見ました。その後、強化療法群については、標準治療に戻し、標準治療群はそのままの治療を継続して、さらに4.2年経過をみたのです(N Engl J Med 2015; 372:2197-2206)。
 
心血管イベントは、最初に強化療法をして、途中で標準療法に変えた群は、標準治療のみを施行していた群と比較して、17%の有意な低下(p=0.04)がありましたが、全死亡率は、有意差がないものの、5%上昇を認めました(p=0.54)。強化療法をしていた群で、心血管イベントの低減効果があったものの、その効果はそれほど大きいものではなかったと評価されています。
 
そして、一番の問題点は、強化療法をしても、全死亡率を改善できなかった点です。強化療法では、アコード試験と同様、インスリン使用も増え、飲み薬も多種類を高用量で使用していました。心血管イベントは減るものの、その程度はわずかで、死亡率を減らすことはない、
 
つまり、強化療法で得られる利益がわずかしかないと見積もられる中で、この治療に伴う負担が患者さんの不利益を増大する可能性、そして、長期的な安全性の懸念についても考慮の必要があるとされました。 
 
特に、体重増加、低血糖などの副作用についても、対応しなくてはならないことは由々しきことです。VADT研究の主催者らが、「ガイドラインにある、HbA1cを7%未満とする厳格な血糖管理を推奨するものではない」、と述べているのは、慧眼に値すると考えます。アコード試験とVADT試験の結果から得られた教訓は、「血糖管理値は、どうやら7-7.5%程度がよいらしい」というものでした。標準治療と比べて、アコード試験では、死亡率が増え、VADTでは変わらなかったのは、前者のHbA1cが6.4%、後者が6.9%と、後者のほうが、ややゆるめの血糖管理だったからだと考えられます。
 
さて、この議論をさらに深めるためには、ミシガン大学のビジャン博士らの論説が血糖の理想の管理値を考える上で重要と考えられます(JAMA Intern Med. 2014 Aug;174(8):1227-34)。
 
ビジャン博士らは、HbA1cを1%下げた場合、患者さんの得られる利益と、被る不利益の観点から、理想の管理値を割り出そうとしています。既存の研究成果から、HbA1cが1%低下すると、心血管イベントは15%減少するという仮定をまず設定しています。その仮定の上で、解析を試みると、米国での初期投与薬であるメトフォルミンを服薬し、HbA1cが8.5%まで低下した場合、それ以上血糖を下げるべきかどうかは、利益と不利益の観点から判定されるべきだとしています。
 
特に、55歳以上の患者さんの場合は、その患者さんの治療に対する考え方が果たす役割が、きわめて重要であることがわかりました。ここでアウトカムとして用いられたのは、質調整生存率でした。これは、対象となる臨床試験から得られた結果の経済的評価の指標となるものです。生活の質に相当する効用値で、重み付けされており、生活の質と生存期間の両方を評価できる点で優れているとされます。効用値は、完全な健康が1、死亡を0とし、健康の状態がその間の値として表されます。
 
インスリンを使った場合、治療にともなう負担のとらえかたが患者さんの側で大きく、たとえHbA1cが、8.5%から7.5%に下がったとしても、0.653から0.818質調整生存率の低下があるというのです。飲み薬では、患者さんの負担のとらえかたは小さいが、インスリンはかなり大きく、一年間あたり18日のハイクオリティライフが損失するとされ(負の効用値が0.05と見積もられます)、血糖を無理に下げようとしてインスリンを使おうとすると、質調整生存率は増加するどころか、低下してしまうことがわかりました。
 
強化療法では、無理矢理血糖を下げるため、インスリンを用いることが多く、患者さんにとって利益がないばかりか、損益を生じる可能性が指摘されたのでした。
 
この議論をふまえると、理想のHbA1cは、もっぱら患者さんの治療にたいする受け取り方に影響されるため、設定は困難ですが、大雑把には、 飲みぐすりであれば、7%から7.5%、インスリンを使う場合では、8%から8.5%というラインが見えてくるように考えます。
 
低血糖にしない、できるだけインスリンを使わない治療をめざすことが、糖尿病治療の柱となることが、今回の研究成果で明らかになったように思います。
 
たとえインスリンを使ったとしても、できるだけ、血糖を高めに保つことが、低血糖のリスクを低減することから、肝要と考えられました。