2017/06/05

第126回 愛し野塾 パラダイムシフトをもたらした新規心不全治療薬は、血糖コントロールにも利益をもたらす



新規薬剤「サクビトリル」と、従来品のARB降圧剤である「バルサルタン」の合剤「LCZ696、ブランド名ENTRESTO(エントレスト)」は、心不全治療に革命をもたらしました。 2015年に承認されたアメリカでは、エントレストは、すでに日常臨床に使用され、2016年には、米国及び欧州のガイドライン委員会によって心不全治療で最も評価の高い「Class I」に認定されました。一方、わが国では、第三相試験施行中(20174月)、早期の認可が期待されています。2014年医学誌NEJMで報告されたエントレストの効果(文献1)では、心不全治療のゴールドスタンダードとされていた「エナラプリル」との比較試験が行われました。「パラダイムHF試験」とよばれたこの大規模臨床試験では、EF40%以下(左室駆出率、正常は55%-80% かつ、クラス2,3,4の心不全患者8,339人が対象とされました。 一次評価項目である「心血管死あるいは心不全による入院数」について、試験開始27ヶ月後に比較した結果、エントレストは、エナラプリルに比べて試験打ち切りの設定ラインの「20%有意な低下」に達し(P<0.001)、 予定よりも早く試験は打ち切られました。副作用は、エントレスト投与によって、より高い頻度で 「低血圧・重篤ではない血管浮腫」を認めたものの、「腎障害、高カリウム、咳」の発症頻度は、エントレスト投与群でより低いことが確認されました。総じて、心不全治療の観点から、これまでの標準治療の治療効果を大きく向上させたエントレストは、心不全治療のパラダイムシフトとして注目されています。

サクビトリルは、前例のない新しいカテゴリーの薬で「ネプリライシン阻害剤」と呼ばれています。

心臓、血管壁、腎臓、中枢神経から分泌される「ナトリウム利尿ホルモン」は、強力なナトリウム利尿、血管拡張作用、RAAS阻害、交感神経活性の減弱、抗心筋増殖、抗心筋肥大効果をもたらします。一方、ナトリウム利尿ペプチド(心房性ナトリウム利尿ペプチド、B型ナトリウム利尿ペプチド、ウロジラチン)を切断する酵素である「ネプリライシン」のブロッカーである「ネプリライシン阻害薬」は、ナトリウム利尿ホルモンの血中濃度を上げる心不全治療薬として有効であると開発されてきました。しかし、ネプリライシン阻害剤である「サクビトリル」は、初期の試験で、単剤での効果を認めず、さらに「エナラプリル」との合剤として試されるも、今度は重症の血管浮腫を惹起し、もはや治療薬として不適合であるとして薬剤そのものの存在意義すら危ういものとなっていたのです。しかし、奇跡のような偶然によって「バルサルタンとの合剤」として、「ネプリライシン阻害剤」の薬効は再び脚光をあびることになりました 

さて、「心不全患者の3540%は、糖尿病を合併している」ことは、疫学調査によって判明しています。高血糖であればあるほど心臓機能の低下を引き起こすことから、心不全の悪化を決定づける因子として「糖尿病の病態管理」は鍵となるのです。

前述した劇的な治療効果から、今後、心不全治療薬の主役に、「エントレスト」が挙がってくると予想されています。そのため、同剤の血糖コントロールに与える影響の精査は必須でしょう。肥満高血圧患者では、エントレストの服用によってインスリン感受性が上がることが知られていますが、糖尿病患者の血糖コントロールに及ぼす影響については明らかではありませんでした。今回この点に注目した研究結果が発表となり話題となっています(文献2)。論文は、ハーバード大学のセフェロビック博士らが「ランセット」に発表しました。

[方法]

「パラダイムHF研究」の事後解析の施行となりました。心不全患者(EF40%以下)8,339人をエントレスト群(サクビトリル93mgとバルサルタン107mgの合剤200mgを1日2回服薬)と、エナラプリル群(10mgを一日一回服薬)に無作為に割り付け解析が行われました。そのうち、すでに糖尿病と診断されている症例、HbA1c6.5%以上の症例、あるいは、両者の条件を満たす症例は、3,778名、そのうちの98%が2型糖尿病と診断されました。すでに糖尿病の診断がついている症例は、カルテから診断日が確定されました。HbA1cは、1年目、2年目、3年目に測定、またTGHDLBMIも同時に測定されました。経口血糖降下剤、インスリン使用開始日も記録されました。

[結果]

対象者の45%が糖尿病と診断されました(カルテのみでの確定が2,896人、HbA1c6.5%以上のみの条件での確定が882人)。年齢は、64.1歳、男性79%、白人67%、黒人5%、アジア人20%、その他の人種9%でした。糖尿病の罹病期間3.5年、BMI29.03BP129/78NYHA11%未満、261%336%、42%でした。HbA1cの平均値は7.44%eGFR 66.7でした。高血圧合併例77%、心房細動37%、心不全の入院歴65%、心筋梗塞の既往47%、脳卒中の既往9%でした。治療薬は、ベータブロッカーが93%、利尿剤が84%ACE阻害剤が76%ARB24%、糖尿病治療薬は57%(メトフォルミン23%SU21%TZD1%、DPP-IV3%、インスリン19%)でした。

投与開始後1年目のHbA1c値は、エナラプリル群で0.16%低下、エントレスト群で0.26%低下、エントレスト群で有意な低下を認めました(P=0.0023 。投与開始後3年目のHbA1c値は、エナラプリル群で0.32%低下、エントレスト群で0.44%の低下、有意差を認めませんでした(P=0.072)。しかし、3年間全体のデータの比較をすると、エントレスト群でエナラプリル群よりも有意に低下していることが明らかになりました(-0.14%、P=0.0055)。このHbA1cの低下と「パラダイムHF」で分析された一次評価項目(心血管死、心不全による入院)の間には相関を認めず(P=0.70)、それぞれ独立した事象と考えられました。また、「パラダイムHF」における一次評価項目を、糖尿病患者と全参加者で比較した場合にも、HRは、0.8P=0.0043)と0.80P<0.001)(順に糖尿病患者、全参加者)と有意差を認めず、すなわち、エントレストは糖尿病症例についても心不全の発症を抑制する効果があることが示唆されました。

試験開始時点ではインスリン療法をしていなかった症例で、試験期間中にインスリン療法を開始した症例数は、エナラプリル群の153人(10%)に比較して、エントレスト群では114人(7%)と有意に少ないという結果を得ました HR0.71P=0.0052)。経口血糖降下剤の使用開始症例数は、エントレスト群で少ない傾向にあるものの有意差を認めませんでした(HR0.77P=0.073 。低血糖症はエナラプリル群で44回、エントレスト群で53回と2群間に有意差はありませんでした(HR1.18P=0.42 。中性脂肪は両群に有意差を認めませんでしたが、エナラプリル群に比較してエントレスト群で、HDL-Cの有意な上昇(0.02mmol/lP=0.043) 、及びBMIの有意な上昇(0.28P<0.001)を認めました。

[考察]

糖尿病薬には心不全を悪化させる性質のものもあることから、処方には注意が不可欠でした。国内では、心不全には禁忌薬である「ピオグリタゾン」、また「サキサグリプチン」の心不全による入院リスク上昇の報告は、記憶に新しいところです(文献3)。本研究によって、血糖コントロールに及ぼすエントレストの効果は高く評価され、血糖改善効果のある心不全治療薬「エントレスト」の登場によって、糖尿病患者の副作用の懸念を取り除くものとなりうる可能性は喜ばしいものです。

スタンダードな心不全薬として汎用されているベータブロッカーと利尿剤は、安価かつ安全とされますが、血糖コントロールを悪化させる傾向があります。この点でも、エントレストは従来品より優れた作用があると考えられます。エントレスト処方は、既に心不全患者に使用されている糖尿病薬の減薬を促すことも期待されます。

エントレストの最大の懸念は、アルツハイマー病の原因とされるベータアミロイドペプチドの切断酵素として作用しているネプリライシンの機能(文献4)を阻害する点です。「パラダイムHF」研究の観察期間が3年では、アルツハイマー病発症リスクの検証には不十分ですから今後長年にわたり観察かつ精査を要するところでしょう。

しかし、一方で、ネプリライシン活性を抑制した結果生じるブラジキニン、GLP-1、及び骨格筋cGMPの活性上昇、DPP4活性抑制を誘導することから、インスリン抵抗性改善を促す効果があることが知られています。インスリン抵抗性がアルツハイマー病を惹起する可能性は既に指摘され、アルツハイマー型認知症を脳の糖尿病、すなわち「3型糖尿病」として位置付けようという風潮があるくらいです (文献5)。エントレストのベータアミロイド切断抑制効果に対する懸念は、この短期間の研究調査で顕著に認められたインスリン抵抗性改善効果によって、相殺あるいは陵駕することも十分考えられ、結果的にアルツハイマー病治療にも効果をもたらすのではないかと思えてきます。

コペルニクス的転回をもたらした新規心不全改善薬「エントレスト」の血糖改善効果。今後の検証から目が離せません。

文献1. McMurray, J.J., Packer, M., Desai, A.S., Gong, J., Lefkowitz, M.P., Rizkala, A.R., Rouleau, J.L., Shi, V.C., Solomon, S.D., Swedberg, K. and Zile, M.R., 2014. Angiotensin–neprilysin inhibition versus enalapril in heart failure. New England Journal of Medicine371(11), pp.993-1004.
 
文献2. Seferovic, J.P., Claggett, B., Seidelmann, S.B., Seely, E.W., Packer, M., Zile, M.R., Rouleau, J.L., Swedberg, K., Lefkowitz, M., Shi, V.C. and Desai, A.S., 2017. Effect of sacubitril/valsartan versus enalapril on glycaemic control in patients with heart failure and diabetes: a post-hoc analysis from the PARADIGM-HF trial. The Lancet Diabetes & Endocrinology5(5), pp.333-340. 
 
文献3. Scirica, B.M., Bhatt, D.L., Braunwald, E., Steg, P.G., Davidson, J., Hirshberg, B., Ohman, P., Frederich, R., Wiviott, S.D., Hoffman, E.B. and Cavender, M.A., 2013. Saxagliptin and cardiovascular outcomes in patients with type 2 diabetes mellitus. New England Journal of Medicine369(14), pp.1317-1326.
 
文献4. Iwata, N., Tsubuki, S., Takaki, Y., Watanabe, K., Sekiguchi, M., Hosoki, E., Kawashima-Morishima, M., Lee, H.J., Hama, E., Sekine-Aizawa, Y. and Saido, T.C., 2000. Identification of the major Aβ1–42-degrading catabolic pathway in brain parenchyma: suppression leads to biochemical and pathological deposition. Nature medicine6(2), pp.143-150. 
 
文献5.  Leszek, J., Trypka, E., V Tarasov, V., Md Ashraf, G. and Aliev, G., 2017. Type 3 Diabetes Mellitus: A Novel Implication of Alzheimers Disease. Current topics in medicinal chemistry17(12), pp.1331-1335.