2018/02/21

愛し野塾 第159回 インフルエンザワクチンの開発


今年も大流行を来たしているインフルエンザ。その予防法として推奨されているワクチン接種は、かならずしも奏功していないのではないか、との疑念は、流行のたびにつきまといます。
インフルエンザウイルスは、口、鼻、眼の粘膜から体内に侵入し、最終的に、肺などの臓器内の細胞の内側に入りこみます。ワクチン接種もこの段階でのウイルス侵入を完全に抑える働きはないとされています。細胞内でウイルスが増殖し、数日の後、一定量のウイルス産生に達すると症状が現れます。インフルエンザワクチンには、この「発病」を抑える一定の効果が認められると、厚労省は説明しています。
インフルエンザが悪化し、肺炎や脳症等の重い合併症を発症した結果、死に至ることもあり、妊婦、糖尿病、免疫不全などの基礎疾患のある方や、高齢者は特段の注意を要します。インフルエンザワクチンの特徴は、この「重症化の予防」にあるとされています。わが国の研究では、65歳以上の高齢者福祉施設に入所していたかたの場合、発病予防効果は、わずか34~55%ですが、死亡抑止効果は、82%に上り、高い効果を示し、これは厚労省の説明を裏付けるものになっています(1)。また、2015/2016のシーズンについて、6歳未満の子どもを対象とした調査では、発病予防に関するワクチンの有効率は60%でした(2)。こうしたことから、インフルエンザワクチンの予防接種は、特にハイリスクとみなされる方にとって、「死亡率は下げるかもしれないが、肝心の発病を抑えるという有効性が低いにもかかわらず、毎年打たなくてはならないという問題を抱えたワクチン」という認識を持つ方が多いようです。
また、インフルエンザと一口にいっても、A型、B型などさまざまな型があり、遺伝的多様性を有します。ウイルスは、環境変化などに適応し、抗原性をすばやく変えることができるといった特徴があり、1シーズンで少なくとも12種類の異なる遺伝子型のインフルエンザが流行するといわれます。したがってこれまで採用してきた伝統的手法とも思しき、ある特定の遺伝子型を持つインフルエンザに対するワクチン作成法では、有効性の高いワクチンができないことは明白です。
さて、こうした現状を打破するために、より有効性の高いワクチンの開発が多くの研究者によって試行錯誤されてきました。今回、米国UCLAのヅー博士らは、インフルエンザウイルス内に存在する、「インターフェロンの機能を抑止する遺伝子群」に着目し(3)、有効性の高い安定したワクチン作成に成功しました。


ウイルスから攻撃を受けると、防御反応としてインターフェロンが、抗ウイルス作用を持つ遺伝子群の発現を促します。ウイルスは、インターフェロンが指令する防御システムに対し、その機能を抑止させて人体で生き延びようとします。機能抑止を司るのがインフルエンザウイルスに存在する「インターフェロン調節遺伝子」です。研究者らは、「インフルエンザウイルスからインターフェロン調節遺伝子を除去することで有効なワクチン作成」を試行錯誤し、すでにインターフェロン調節遺伝子の一つである「NS1遺伝子」を除いたワクチン開発研究は、第1,2相臨床研究に進んでいます。しかし、ウイルスにはNS1遺伝子以外のインターフェロン機能を抑止させる遺伝子が存在し、NS1遺伝子の除去だけでは、有効なワクチン作成は難しく、一方で、インターフェロン調節遺伝子の全除去によって、ウイルスの複製機能に問題が生じ、ワクチンの安全性が失われる危険性が高まります。こうしたジレンマを切り抜けるために「インターフェロン調節遺伝子はすべて機能しないが、複製機能は皆無であるウイルスの作成」を研究の主眼とし、研究が行われました。
全インフルエンザゲノムのインターフェロン調節機能担当遺伝子は、飽和突然変異誘発法と次世代シークエンス法を組み合わせ、網羅的に同定されました。複製能について同時に検討し、インターフェロン感受性領域に8つの変異を持つ「ハイパーインターフェロン感受性ウイルス(HIS)」の作成に成功しました。H1N1インフルエンザ(A/WSN/33、これをWSN株と呼びます)の、PB2領域に3つの変異(N9D,Q75H、T76A)、M1領域に3つの変異(N36Y、R72Q、S225T)、NS1領域に2つの変異(R38A、K41A)があるものがHISと命名されました。
<インビトロの系>
HISウイルスは、NS1領域のみに変異を持つウイルスに比較して、インビトロの系で、有意に高いインターフェロン感受性を持っていることがわかりました(P<0.001)。A549細胞にHISを感染させた結果、6時間後に2倍以上の遺伝子発現の増加を認めたものが120個見出され、そのうち24個は、インターフェロン反応遺伝子であることがわかりました。また、肺胞マクロファージにHISを感染させた結果、野生型ウイルスに比較してインターフェロンβの50倍以上の発現の増加が確認されました。一方、CXCL1、CXCL5、インターロイキン1βの発現量の変化は認められず、HISによる、インターフェロンβのシグナル経路に関する遺伝子群の特異的な発現であることが確認されました。HIS感染が生体内で生じると、インターフェロンシグナルが効率よく惹起され、インフルエンザに対する免疫応答が高まることが期待されます。
<インビボの系の安全性の検討>
マウスを用いた実験から、野生型インフルエンザウイルスの致死量の中央値は、5x105TCID50(TCID=50%培養細胞感染価)で、1x103TCID50で体重減少が出現しましたが、HISの場合は、1x107TCID50でも死亡例はなく、体重減少も一切現れませんでした。HISは、高容量の感染を来たしても、安全性が高いことが証明されました。
<インビボの系での免疫応答の検討>
野生型インフルエンザウイルス、HISのそれぞれを動物に感染させ、28日後に免疫応答を確認したところ、ELISA,ヘマグルチニン阻害、中和抗体アッセイのいずれもで、HISは抗体産生を誘導することがわかりました。ただし、野生型に比べると、HISでは、ヘマグルチニン抗体の産生は有意に低くいことが判明しました(P<0.01)。
<インビボの系でのワクチンの有効性の検討>
HISに感染させたマウスで、28日後に1x104TCID50の野生型インフルエンザウイルスを投与すると、野生型ウイルスの複製効率は、1000分の1に低下していました。HISを1x106TCID50の高容量一回投与か、HISを1x104TCID50の低容量2回投与で、肺に野生型ウイルスが同定できない程度のワクチンとしての効力が認められました。フェレットでも同様の結果が得られました。
次に、WSN株以外のインフルエンザに対してもワクチンとしての効力が有効であるかどうかが検討されました。HISは、H1N1のサブタイプである、A/PR8/34,A/Cal/04/09、H3N2のサブタイプであるA/X-31に対しても同様の高いワクチンとしての効力を示しました。


<コメント>
今回の結果から、ウイルス全ゲノムにわたり、ウイルスの機能にとって重要な部位に変異を入れることで、安全性が高く、効力の高いワクチンであるHISが作成された可能性が高まりました。H1N1から作成したワクチンが、H3N2にも効力を発揮したことは特筆するべきことでしょう。今後、H5N1やH7N9といった、致死率の高い鳥型インフルエンザに対しても、ワクチンとして有効かどうか検討されるものと思われます。また、インフルエンザB型に対するワクチンも同様の方法で作成可能かどうか検討が待たれます。しかし、なによりも、人へのHISの感染時に危惧される、遺伝子操作されたウイルスによる余病の併発といったリスクの検証などを含めた長期的な観察が必要でしょう。
すべてのインフルエンザの型に有効な「ユニバーサルインフルエンザワクチン」という概念が提唱されてからずいぶん時間がたちました。こうしてまったく新しい視点から最新の技術を駆使してワクチン作成を試み続けた研究者によって、成功へと着々と近づいていることに気づかされました。今回の研究には、4年の歳月を費やしたとされます。彼らのたゆまぬ努力と卓越した叡智に感嘆するばかりです。
(1)平成11年度 厚生労働科学研究費補助金 新興・再興感染症研究事業「インフルエンザワクチンの効果に関する研究(主任研究者:神谷齊(国立療養所三重病院))」
(2)平成28年度 厚生労働行政推進調査事業費補助金(新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業「ワクチンの有効性・安全性評価とVPD(vaccine preventable diseases)対策への適用に関する分析疫学研究(研究代表者:廣田良夫(保健医療経営大学))」
(3)Du, Y.,ら(2018). Genome-wide identification of interferon-sensitive mutations enables influenza vaccine design. Science, 359(6373), 290-296.

2018/02/13

愛し野塾 第158回 心房細動と心不全の治療



心房細動は加齢とともに増加し、日本の疫学調査で60 代までは緩やかに1 %程度に増え, 80 歳以上で3 %程度の有病率を示すと言われています。原因疾患として、高血圧が60 %,虚血性心疾患が10 %,弁膜症が10~20 %とされます。加齢以外の原因として、心疾患(虚血性,弁膜症),飲酒、メタボリック症候群、慢性腎臓病,喫煙が、危険因子としてあげられています。
心房細動は,男性に多く認め、速い、不規則な心房興奮を特徴とします。心室の血液充満にあたり、心房収縮がはたす役割がなくなってしまうため,心拍出量が減少し、心不全の増悪因子となります。新規の心不全症例の半分に心房細動が合併する、あるいは、新規の心房細動の三分の一に心不全を合併する、とみられています。
ガイドラインによると、心不全例に認める心房細動の治療には「すみやかに抗凝固療法を開始し,心機能改善を目標とした治療を優先する」(1)と記され、もっぱら薬物療法が中心です。昨今、洞調律を回復させるために「アブレーション治療(心筋焼灼術)」と呼ばれるカテーテルを用いて心臓を直接焼却して心房細動を治療する方法による症例数が増えていますが、心不全との関係でどのような効果をもたらすのか議論されてきました。今般、心房細動と心不全を合併している症例を対象に、薬物療法アブレーション治療を施し、アブレーション治療を行った群に良好な成績を収めたという結果が、NEJMに報告されました(2)。
[研究] 
「CASTLE-AF」と命名されたプロジェクトは、「コントロールされた心不全に合併した心房細動患者で、カテーテルアブレーションが薬物療法に比較して、罹病率と死亡率を改善する」という仮説のもと研究が行われました。
[対象]
発作性心房細動あるいは持続する心房細動を有し、薬物での治療抵抗性を示すか、薬物の副作用で服用できないか、不整脈剤服用を望まないかたで、NYHAのクラスII,III,IVの心不全か、左室駆出率が35%未満の患者に、心房細動の再発をただちに検出できるよう、植え込み型除細動器ICDか両心室ペーシング機能付埋込型除細動器CRT-Dを装着しました。心臓移植候補者、心血管インターベンションが予定されている症例は除外されました。
[方法]
アブレーション群には、少なくとも50例のアブレーションの治療経験者によって、肺静脈隔離によってアブレーション治療が施されました。アブレーション後は、少なくとも6ヶ月のワーファリン治療が施されました。
薬物療法群には、安静時心室の心拍を60-80、中強度の運動時には90-115になるようにガイドラインに従って不整脈剤を投与しました。
[経過観察]
ICD、CRT-Dをホームモニタリングし、心房性不整脈が30秒以上持続した場合に再発と定義し、心房細動が再発した場合には、アブレーションを再度施行しました。 
[評価項目]
全死亡症例数、心不全悪化にともなう入院症例数を一時評価項目としました。
[結果]
2008年から2016年にかけて、ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカの33箇所で、3013人をスクリーニングし398人を試験登録しました。登録後5週間目まで残っていた363人は、179人がアブレーション群、184人が薬物治療群に割り付けられました。平均年齢は両群ともに64歳、男性の割合は、87%、84%、でBMIは、29.0、29.1、観察期間は、37.6ヶ月、37.4ヶ月でした(それぞれ順にアブレーション群、薬物治療群)。
アブレーション群に割り付けられた179人のうち151人(84.4%)がアブレーション治療を受け、28人(15.6%)は薬物療法に移行しました。アブレーション治療を受けたうちの149人は肺静脈隔離に成功しましたが、77例に別の病変が生じました。また37例が再度アブレーションを受けました。薬物療法群の184人中、18人がアブレーションを受けました。
[ 一時評価項目の検討]
死亡及び心不全による入院は、アブレーション群で薬物療法群よりも、38%有意に低下し(P=0.007 )、中でも心血管死は、アブレーション群で薬物療法群よりも51%有意に低下し(P=0.009)、アブレーション治療による良好な成績が明らかになりました。
[そのほかのアウトカム]
60ヶ月後の左室駆出率は、薬物療法群の0.2%に対し、アブレーション群で8.0%の有意な改善率を認めました(P=0.005)。また植え込みデバイスのメモリーから得たデータから「洞調律」は、アブレーション群で63.1%に認め、薬物療法群の21.7%に比べて有意に優れた結果を示しました(P<0.001)。
[有害事象]
アブレーション群で、心嚢水貯留を3例に認め、1例は穿刺術による治療を要しました。3例は重篤な出血によって輸血を要し、偽動脈瘤形成を認め外科的処置を要したのが1例、肺静脈狭窄を1例が発症しました。
[コメント]
これまでの研究では、薬物療法による心房細動のリズムのコントロールにベネフィットがあるのか、心拍のコントロールにベネフィットがあるのか決着がついていませんでした。また、試験のアウトカムとして、左室機能、運動能力、生活の質に関する報告はあったものの、心不全による入院や死亡に関するデータはほとんどありませんでした。今回の研究で初めて「アブレーションによるリズムコントロール」が、心不全による入院かつ死亡を、薬物療法よりも有意に低下させることが示されたことは朗報です。アブレーション治療をしても決して心房細動がなくなるわけではなく、時間にして25%残存し、一方で薬物療法では、心房細動の残存時間は60%でしたから、「心房細動による心不全のアウトカムをよくするには、心房細動の生じている時間を減らすことが肝要である」ことが明らかになった、と評価されています。
ただし、研究対象者が少なかったこと、対象患者の選別条件が厳しかったこと、無作為に患者を割り付けられなかったこと、経験豊富な術者によって施術が行われたことが有害事象を抑えられた所以ではないか、と指摘されています。
私は、有害事象症例として、外科術や穿刺術など大きな負担を要した患者さんがいらしたことから、この点に関しても注意深く検証をすべきだと感じます。いずれにせよ、心房細動を持ちながら心不全になる症例には、治療のリスクについて十分な理解を得た上で、アブレーション治療を選択しやすい医療サービスが求められるようになるのではないかと思います。



2 Hsu, L. F., Jaïs, P., Sanders, P., Garrigue, S., Hocini, M., Sacher, F., ... & Bordachar, P. (2004). Catheter ablation for atrial fibrillation in congestive heart failure. New England Journal of Medicine, 351(23), 2373-2383.

2018/02/06

愛し野塾 第157回 高血圧・米国の新しいガイドラインへの疑問



2017年11月13日、米国では、高血圧の定義が、140/90mmHg以上から130/80mmHg以上へと、収縮期及び拡張期血圧はそれぞれ10mmHgずつ下げられました。この血圧管理の厳格化にメディアも即座に反応し、各紙、新基準の話題を採り上げたことから、外来では、「厳しい基準通りの血圧管理をしなければ、命にかかわるのではないか」、といった不安の声が高まりました。
日本国内でも「果たして、米国の新基準に従ったほうがいいのか、それとも、日本独自のこれまで通りの血圧管理を続けたほうがいいのか?」、議論されているところです。
今回、NEJMに、旧基準を作成した、この分野の第一人者であるバクリス博士らによって、「厳しい新基準は妥当か?」を検討した論説が掲載されました(文献1)。今回はこれを解説してみようと思います。
新しいガイドラインでは、家庭血圧を重視していて、「正確に自己血圧測定をすること」、「一旦高血圧の診断を得た場合、降圧薬は1種類ではなく、2種類を組合わせて服用すること」、と記されています。血圧測定にあたっては、「腕の位置が適正であること」、「カフのサイズは正しいものを選ぶこと」、「測定前に十分休むこと」、そして、「3回血圧を測定すること」が必須条件となりました。また、「血圧計は毎年キャリブレーションすること」、「血圧が適正血圧よりも収縮期で20mmHg以上、拡張期で10mmHg以上であれば、2種類の薬(レニンアンギオテンシン阻害剤と利尿剤かカルシウム拮抗剤の組み合わせ)を開始すること」、と追記されています。
加えて、旧基準ではステージ2高血圧と定義されていた、140/90mmHg以上では、10年心血管リスクが、10%以上の場合には、厳格な治療を要する、こと、ステージ1高血圧、旧来の高血圧前症と定義されていた、130-139/80-89mmHgでは、「塩分制限、野菜摂取に努める、運動をする」など、ライフスタイルの適正化を主眼を置くが、10年心血管リスクが10%以上の場合には薬物治療を開始すること、ただし、この場合は、一種類の降圧薬で良いとする、となっています。
*10年心血管リスク(フラミンガム研究(文献2)から得られた10年間に心筋梗塞で死亡するリスクを表し、年齢、性別、血圧、喫煙、脂質、降圧薬服薬有無から計算されます)
これまで130-139/80-89mmHgは、正常な血圧に分類されていましたが、突然、高血圧と定義されるようになってしまったことが、混乱を招くことになりました。以前の定義では、米国では、高血圧患者は成人の32%を占める、とされていました。今回の高血圧の定義では、成人の46%が高血圧、と診断されるというのです。日本では、高血圧患者は4000万人と推計されていますが、新基準を採用した場合、米国同様、14%も増えるということになれば、6000万人近くが高血圧患者ということになり、健康不安を煽るだけでなく、医療経済の視点からも莫大な負担になることはいうまでもありません。
バクリス博士が強く指摘するのは、ステージ1と定義される高血圧は、リスクが低い場合、ライフスタイルの変容で対処するべきとされているところが、今後は一律に薬物療法の対象になってしまうのではないか、という危惧です。
また疑問の余地が残る記述として、新ガイドラインの、「ライフスタイルの適正化にあたり、塩分制限強化として食塩を1日摂取3.81グラム以下にしなさい」という箇所です。この塩分に関する新基準作成のもとになった研究では、その観察期間は短期間で、かつアウトカムもしっかりしたものが得られていないことも問題視されているのです。バクリス博士は、従来の食塩5.7グラム摂取がふさわしいのではないか、と述べており、私も同意するところです。日本人の平均食塩摂取量が10グラム前後であるということからすれば、6グラム以下に摂取を抑えることすら容易ではないでしょう。それを4グラム以下にすることは食文化そのものの革命が必要で、現実的とは思えず、また個々のモチベーションの向上が期待できるとは思えません。また、今回「10年心血管リスクスコア」が大きくクローズアップされましたが、無作為試験によってその有用性が証明されているものではないことも問題とされています。総合的な生活習慣病の管理という視点から、新ガイドライン採用では、血圧を下げることにばかりに注力が注がれ、糖尿病や虚血性心疾患の患者さんが拡張期血圧が60mmHg以下になれば、むしろ虚血性心疾患のリスクや、腎臓病のリスクが大きくなることを忘れているのではないか、という指摘もあります。
総じて、バクリス博士は、非常に心血管病のリスクが高い症例では、130/80mmHg以下のコントロールするのは有意義と思われるが、それ以外の場合には、140/90mmHg以下で従来通りの対応で良いのではないか、と提言しています。
今回の改訂になった大きな理由に2015年に発表された「SPRINT研究」(文献3)があります(愛し野塾でも取り上げています。(4))。対象者は9000人以上と大規模で、120/80mmHgに血圧をコントロールすると、従来の140/90mmHgのコントロールに比較して死亡率が27%も有意に低下した、とするインパクトがあった研究です。しかし注意しなくてはならないのは、参加者の10年心血管リスクスコアが24.8%と極めて高かったという事実です。
私は、従来通り、140/90mmHg以下をめざしながら、糖尿病、腎臓病の罹患者、動脈硬化が進んでいるかたは、130/80mmHg以下をターゲットとする、といういままでどおりの指針の充実化を図る方向でよいのではないか、と感じております。

(1)Redefining Hypertension - Assessing the New Blood-Pressure Guidelines.
Bakris G, Sorrentino M.
N Engl J Med. 2018 Jan 17. doi: 10.1056/NEJMp1716193. [Epub ahead of print] No abstract available
(3)A Randomized Trial of Intensive versus Standard Blood-Pressure Control.
SPRINT Research Group, Wright JT Jr, Williamson JD, Whelton PK, Snyder JK, Sink KM, Rocco MV, Reboussin DM, Rahman M, Oparil S, Lewis CE, Kimmel PL, Johnson KC, Goff DC Jr, Fine LJ, Cutler JA, Cushman WC, Cheung AK, Ambrosius WT.
N Engl J Med. 2015 Nov 26;373(22):2103-16. doi: 10.1056/NEJMoa1511939. Epub 2015 Nov 9. Erratum in: N Engl J Med. 2017 Dec 21;377(25):2506.

2018/02/04

愛し野塾 第156回 進行した卵巣がんの治療の進歩


2012年のわが国の統計では、卵巣がんは、罹患数9384人、死亡率は、10万人あたり3.2人と、婦人科系のがんの中では、最も死亡率の高いがんとして知られています。ステージ分類では、I期が43.2%、II期が9.1%、III期が27.6%、IV期が7.2%と、発見時にはすでに病期が進んでいるケースが多いがんです。(1)。外科手術による完全摘出が期待出来る早期(I期)のがんでは、5年生存率は90%と高い一方で、進行がん症例では、手術と化学療法を組み合わせても、国内外で5年生存率は20%前後~40数%と報告され、決して高いとはいえません(治療法・調査条件などによっても異なります)。そのため、卵巣がん治療の課題は、1)早期発見を目的としたスクリーニング法の開発、2)進行がんの寛解を目的とした治療法の確立、の2点に絞られます。
進行がん症例対象の治療法としては、手術後、6回の静脈注射によって行う化学療法、もしくは、3回の化学療法後に手術を行う、といった方法が一般的です。しかし、腹腔内に存在する卵巣がんは、抗がん剤を静脈から投与する化学療法だけではなく、腹膜に直接抗がん剤を投与したほうが、より効果的なのではないかと、さまざまなトライアルが続いています。
こうした中、5年生存率が20%前後と評価されているIII期の卵巣がん症例に、手術後、化学療法として静脈と腹腔の両方から抗がん剤を投与した結果、有意に生存率が伸びる(GOG-172試験)(2)という結果が発表されました。しかし高い有効性の一方で、カテーテルのハンドリングの煩雑さ、患者への重い負担、消化器・腎臓への副作用を認める、など問題点が多いうえに、治療に専門性を要し、一般病院での汎用には難しいことが指摘されています。
そこで、手術直後に腹腔内に抗がん剤を投与する方法が考案されました。これによって、治療の有効性を維持しつつ、簡便かつ汎用性が期待されることになりました。また施術時に腹腔を暖め、抗がん剤の浸透をよくし、腫瘍のアポトーシスを誘導することで、より効率よく卵巣がんを死滅させる方法が組み合わされ、腹腔内温熱化学療法(HIPEC法)と呼ばれるまでにいたりました。すでに大腸がんなどでは効果を挙げ、卵巣がん治療の有効性も同様に報告されましたが、試験施行の厳密性に疑義があり(セレクションバイアスなど)、いまだ標準治療に至っていません。
今回、無作為割付法の採用により、厳密性を有した臨床試験が行われ有効性を認め、NEJMの最新号(平成30年1月18日)に発表(3)にされましたので、報告します。
<研究>
試験対象には、III期の卵巣がん症例のうち、腹部への進展が著しく、外科術で摘出することが難しいと判明している、もしくは、術後1cm以上のがんが残存している症例を選び、すべての症例で、術前補助化学療法(カルボプラチンとパクリタキセルを3サイクル)が施行されました。またWHOの日常生活の活動度(パーフォマンスステータス)で、0-2(5段階評価で5が一番活動度が低い)と評価される比較的活動度が高いこと、血球に異常所見がなく、腎機能が維持されていることが条件とされました。
オランダがん研究所が中心となって、オランダとベルギーの8施設で、無作為、オープンラベルの第三相試験が行われました。「完全切除」は、可視範囲にがんを認めない(R-1)、「最適腫瘍縮小術」は、残存するがんのサイズが最大で2.5mm以下(R-2a)、あるいは、2.5mmから10mmの間(R-2b)である、「不完全切除」は、残存癌のサイズが10mmを超える、とそれぞれ定義されました。患者は、無作為に、HIPEC法か否かの1:1に割り付けられました。温熱療法として、1)40度の生理食塩水を腹腔に還流、2)シスプラチンをいれた生理食塩水で還流、と、2時間の総処置時間を要し、カルボプラチンとパクリタキセルを、3サイクル分、追加されました。
2007年4月から2016年4月までの間に、245人が試験対象となり、123人が外科術のみの群(外科術群)、122人がHIPEC群と、無作為に割付られました。4.7年経過後、再発あるいは死亡が確認されたのは245人中209人でした。外科術群は110人が、HIPEC群は99人が、再発あるいは死亡し、HIPEC群でより優れた治療成績を認めました(HR=0.66、P=0.003)。無再発生存期間は、外科術群の10.7ヶ月に比べ、HIPEC追加群14.2ヶ月と、3.5ヶ月長く、3年目の無再発生存率は、HIPEC群17%、外科術群8%でした。
死亡率は、外科術群62%、HIPEC群50%でした(HR=0.67、P=0.02 )。生存期間中央値は、HIPEC群45.7ヶ月、外科術群33.9ヶ月でした。3年後の生存確率は、HIPEC群62%、外科術群48%でした。
手術時間は、外科術群で192分、HIPEC群で338分でした。
グレード3及び4の副反応は、外科術群25%、HIPEC群27%に認め、両群間に差は認めませんでした。副反応の多くは、腹痛、感染、イレウスでした。腸切除術を要したのは、外科術群30人、HIPEC群29人でした。術後の人工肛門術の頻度は、外科術群よりHIPEC群に有意に多く認めました(P=0.04 )。QOL質問表によって、外科術群とHIPEC追加群の健康評価には有意差を認めませんでした。入院期間は、外科術群の8日に対し、HIPEC群では10日でしたが、プロトール上、HIPEC群は1日ICUに入室することが義務付けられている事が影響しているものと考えられます。
<コメント>
術中のたった一回の腹腔内温熱化学療法の追加が、生存率を33%も有意に上昇させ、進行卵巣がんの治療の有効性が確認されたことは、特記すべきことでしょう。ただし、この治療によって、人工肛門術を要する症例が増加したこと、入院期間の延長、長時間を要する手術の患者への負担、などから、医療コストの観点から、総じて汎用可能な治療に発展するのかどうかは、多方面の解析が必要でしょう。しかし、生存率を上昇させる「HIPECの追加」が標準治療となっていくためにも、あらゆる改善点を見出し、研究が進展することを期待するところです。
今回の試験では、卵巣がんの腹腔への転移を認める相当重症の症例が対象として採用され、無再発生存期間がHIPEC群でも14.2ヶ月と非常に短かった点は、NEJMのエディトリアル(4)から批判されています。実際、初回腫瘍縮小術のみに対象を絞ったGOG-172試験では、無再発生存期間は約24ヶ月でした(2)。今後、対象を初回腫瘍縮小術症例に絞ったうえで、同様にHIPEC追加の有効性の有無を検証すべきでしょうし、エディトリアルから投げかけられている温熱療法そのものの疑問への適切な回答も、実用化に向けて必要なようです。いずれにせよ、予後の悪い進行卵巣がんを駆逐するために、簡便、かつ汎用性のある治療が世界中で求められています。今回の試験結果で勇気付けられた患者、家族、医療関係者も多かったと思います。この分野において積極的な知見をつんで、適切な医療提供が可能になることを祈るばかりです。
(1) Yamagami W, Nagase S, Takahashi F, Ino K, Hachisuga T, Aoki D, Katabuchi H., Clinical statistics of gynecologic cancers in Japan.
J Gynecol Oncol. 2017 Mar;28(2):e32. doi: 10.3802/jgo.2017.28.e32. Epub 2017 Feb 10. Review.
(2)Armstrong, D. K., Bundy, B., Wenzel, L., Huang, H. Q., Baergen, R., Lele, S., ... & Burger, R. A. (2006). Intraperitoneal cisplatin and paclitaxel in ovarian cancer. New England Journal of Medicine, 354(1), 34-43. 
(3)van Driel, W. J., Koole, S. N., Sikorska, K., Schagen van Leeuwen, J. H., Schreuder, H. W., Hermans, R. H., ... & Aalbers, A. G. (2018). Hyperthermic Intraperitoneal Chemotherapy in Ovarian Cancer. New England Journal of Medicine, 378(3), 230-240. 
(4)Spriggs, David R., Zivanovic, Oliver, . . (2018) Ovarian Cancer Treatment ― Are We Getting Warmer?. New England Journal of Medicine 378:3, 293-294.