2018/08/21

愛し野塾 第183回 アルツハイマー病治療戦略・感染防御機構を探る





家族性アルツハイマー病の原因遺伝子として、「APP」「Presenilin1」「Presenilin2」の3つの遺伝子が同定されアルツハイマー脳病理の特徴的所見の一つである老人斑の主成分であるアミロイドβの産生といずれも関係していることから、「アルツハイマー病の根本原因は、アミロイドβの産生過剰にある」という仮説のもと治療法の研究が行われてきました。したがってアミロイドβを標的とした抗体療法やワクチン療法の開発を目論んで、多数の臨床試験が組まれましたが、いずれも成果を上げることができず、「アミロイド仮説」は昨今、厳しい評価を下されたばかりです。
しかし、アミロイド学派は、批判に負けてはいませんでした。これまで未解明であった、アミロイドβの生理的作用を探ることで治療の端緒を見出そうと、新たな試みを始めたのです。近年、感染防御機構の詳細が報告されるようになり、「アミロイドβは、抗微生物ペプチドのひとつではないか?」と提唱されようになったのです。抗微生物ペプチドは、オリゴマーを形成して、細胞膜に結合し、破壊、エンドトキシンの中和、細菌の凝集、捕捉作用を発揮し、病原体が宿主の細胞に結合するのを防ぎます。一方、抗微生物ペプチドはオリゴマー形成過程に調節異常が生じると、炎症、組織変性、さらにアミロイドの沈着が促進します。こうした抗微生物ペプチドの特徴を、アミロイドβも有する可能性が示唆されています。さらに、今年(2018年)になり、リードヘッド博士らによって、アルツハイマー病患者の脳では、HHV6(human herpes virus)、HHV7、HSV1(herpes simplex virus)の感染量が上昇していることが示され(文献1、および、愛し野塾176回の解説をご覧ください)、アルツハイマー病で認める脳組織のアミロイドβの蓄積は、これらヘルペス族ウイルスの慢性感染に対する防御機構が過剰に反応した結果ではないか、という斬新なアイデアが提唱されたのです。さて、この提唱に続き、今回、ヘルペスウイルスに対する、アミロイドβが惹起する感染防御機構の一部が、エレガントな手法で解明されました(文献2)ので、解説します。
<研究>
・マウスモデルを用いた実験
家族性アルツハイマー病の原因遺伝子を組み込んだ5XFADマウス*を用いました*(アミロイドβ42を強発現するヒトAPP変異(スエーデン変異、フロリダ変異、ロンドン変異)とPresenilin1変異(M146L;L286V)が、神経特異的発現を可能にするThy-1プロモーターの制御下におかれている。
この5XFADマウスでは、通常月齢4ヶ月で認められるアミロイドβの沈着、及び神経炎症は、5-6週齢での発現を認めまないものの組織中のアミロイドβは高濃度で検出されます。そこで5-6週の5XFADマウス(n=14)と野生型マウス(WT)(n=11)それぞれの脳内に、HSV-1ウイルスを注入(0.2ml、500万PFU/μl)しました。その結果、生存を認めたのは、野生型マウスでは、48時間で1匹のみ(10%)であったのに対し、5XFADマウスでは8匹(57%)で優れた生存率を認めました(p=0.045)。ウイルス注入後24時間後の体重減少率を比較した結果、5XFADマウスで有意な低下を認めました(p=0.026)。以上の結果から、アミロイドβのHSV-1感染に対する防御効果が示唆されました。
・細胞を用いた実験
アミロイドβを発現させたH4-Aβ42細胞(アミロイドβ42のみ発現)とCHO-CAB細胞(アミロイドβ40と42を発現)を用い、HSV-1をRFP(red fluorescent protein)で標識し、細胞への感染率を測定しました。
アミロイドβを発現していない2種類の細胞である無処理のH4-N細胞とCHO-N細胞のHSV-1感染率を100%とし、それぞれの細胞に、H4-Aβ42細胞、CHO-CAB細胞の培養液、および、アミロイドβ42を添加しました。2種類の細胞の感染率は有意に低下し(順に、p=0.003, p=0.004, p=0.001)、これらの感染予防効果は、アミロイド抗体の添加によって培養液中からアミロイドβを免疫除去すると消失しました。
<アミロイドβの糖質結合とヘルペスウイルス感染予防>
熱処理し固相化したHSV-1、HHV6A、HHV6Bの3種のそれぞれのウイルスに、合成アミロイドβ、あるいは培養液アミロイドβを添加し、ウイルス表面で生じるβアミロイド形成について、抗アミロイド抗体を用いて検証しました。
正常脳で認めるアミロイドβ0.5−2.0ng/mlの濃度下では、培養アミロイドβは、3種それぞれのウイルスへの結合を認めました。抗微生物ペプチドとしての必須条件である「可溶性の微生物由来の糖鎖が、病原菌との結合を阻害する」かどうかを検証するために、アミロイドβとHSV−1との結合が、酵母由来の多糖マンナンの阻害を受けるか否かを検討した結果、マンナンによる結合阻害が観察されました。HSV-1の糖蛋白に対する抗体による結合阻害も確認され、アミロイドβは、抗微生物ペプチドとして機能する可能性が高いことが、証明されました。
<ウイルスに結合したアミロイドβは、オリゴマー化しウイルス感染性を弱める>
HSV-1、HHV6A、HHV6Bの3種のウイルスを、それぞれH4-Aβ42培養液と混和させ、透過型電子顕微鏡下で観察した結果、エンベロープウイルス上のオリゴマー化したアミロイドβのフィブリル構造を認めました。フィブリル構造は、混和後15分以内に形成され、混和後60分までに、アミロイドβのフィブリル構造によって、ウイルス粒子同士のネットワーク形成が促進され、2時間以内に不溶性の凝集塊形成することが観察されました。すなわち、不溶性の凝集塊の形成によって、ウイルスの感染性が失われることが示唆されました。
さらに、HSV-1感染によるアミロイドβ沈着の促進の可能性が疑われ、検討が加えられました。アミロイドβの沈着を認めない5−6週齢の5XFADマウスの脳内にHSV-1ウイルスを注入した結果、注入後48時間で、抗アミロイド染色によってβアミロイド沈着が確認されました。HSV-1の免疫染色を用いても、同じ部位に染色陽性反応を認めました。注入後3週間には、老人斑様の病理像が観察されました。対照実験としてWTマウスへHSV−1ウイルスを脳内注入しても、またシャム・ウイルスを5XFADマウスに脳内注入しても、脳内にアミロイドβの沈着を認めませんでした。
<コメント>
今回の報告によって、HSV−1とHHV6感染に対する防御機構に及ぼすアミロイドβの作用が明らかになりました。アミロイドβの生理作用と同時に、ヘルペスウイルスの感染が、老人斑形成を促進していることも明らかにされました。今後、HSV−1やHHV6をあらかじめ発現させた動物モデルを作成し、人のアルツハイマー病に近い動物モデルによる検証が展開されるのではないでしょうか。
また、今回、HSV-1を5XFADマウスに注入した結果、老人斑形成の促進が観察されましたが、タウ病理はどうなったのか、また、認知力低下は促進されたのか、といった疑問が生じます。今後の研究の進捗に期待するところです。
さて、ヘルペスウイルスがアルツハイマー病の根本原因である可能性が見出され、「ヘルペスウイルスの撲滅が、アルツハイマー病根治につながるのではないか」、という道がついてきたような印象です。ヘルペスウイルスワクチンの開発が重要な課題となりそうです。また、ヘルペス感染についても、放置ではなく、早期発見し、また積極的に治療を施す、といった認識が高まってくるのではないでしょうか。


文献1
Readhead, B., Haure-Mirande, J. V., Funk, C. C., Richards, M. A., Shannon, P., Haroutunian, V., ... & Reiman, E. M. (2018). Multiscale Analysis of Independent Alzheimer’s Cohorts Finds Disruption of Molecular, Genetic, and Clinical Networks by Human Herpesvirus. Neuron.


文献2
Eimer, W. A., Kumar, V., Kumar, D., Shanmugam, N. K. N., Washicosky, K. J., Rodriguez, A. S., ... & Moir, R. D. (2018). Alzheimer’s Disease-Associated β-amyloid Is Rapidly Seeded by herpesviridae to Protect Against Brain Infection.
Neuron. 2018 Jul 11;99(1):56-63.e3. doi: 10.1016/j.neuron.2018.06.030.

2018/08/14

愛し野塾 第182回 待機的PCIの適用の鍵となる「冠血流予備量比」


狭心症の中でも胸痛発作の強さや頻度などが数カ月以上安定している「安定狭心症」は、待機的PCI(経皮的冠動脈インターベンション)の効果が期待される疾患です。我が国の統計から、2016年には、192774件の待機的PCIが行われ(文献1)、うち70975件が緊急PCIで、待機的PCIが、有意に多い状況です。しかしその効果は、胸痛を和らげるといった限定的なもので、心筋梗塞発症率や死亡率を低下させるわけではありません。また我が国では、これまで待機的PCIは、血管造影上75%狭窄がある冠動脈病変に対して施行されてきましたが、心筋の機能的な虚血を検証した結果、46.4%の病変で虚血を認めないと言った報告もあり、待機的PCIの適応を巡る懸念が強まっています。医療経済の観点でも、保険診療の点数が、1回につき21680点(21万6800円)と大変高額であることから、平成30年春から、待機的PCIの保険適応は、冠動脈の狭窄程度が75%から90%へ引き上げられ、加えて機能的な虚血低下の場合も含まれることになりました(文献2)。また最近では、過去に愛し野塾144回(文献3)でも解説した「ORBITA研究」では、ステントを挿入しなくとも、冠動脈カテーテル操作のみの施行で、安定狭心症の胸痛は軽減可能という衝撃的な結果も報告されていました。こうした背景から、「待機的PCIは医学的根拠をもって施行するべきである」として、従来の「狭窄」といった物理的指標ではなく、「冠動脈血流」といった生理的指標を評価の上でステント留置を施行すれば、死亡率や心筋梗塞発症率の低下が期待されるのではないか、と推測し、研究が遂行されてきました。
さて、2018年7月19日にNEJMに、冠動脈の狭窄の程度ではなく、冠血流予備量比(FFR=Fractional Flow Reserve)とよばれる冠動脈の血流の程度を指標に、ステントを留置し、5年間の予後について調査した結果が報告されました(文献3)。重要な知見が発表されましたので、解説を試みようと思います。
<対象>
欧州と北アメリカの28の医療機関で「安定狭心症」かつ「冠動脈の狭窄が少なくとも50%以上」と診断された患者が対象となりました。FFR(冠血流予備量比)測定から、FFRが0.80以下の患者を、PCIプラス薬物療法(PCI群)あるいは薬物療法のみ(薬物療法群)の2群に無作為に割り付けました。
<結果>
2010年から2012年の間に、1220人が登録されました。FFR 0.80以下の888人(72.7%)が、無作為に2群の治療に割り付けられ(447人がPCI群、441人が薬物療法群)、FFRが0.80以上の332人は薬物療法とし、そのうちの約半数はレジスター群として経過観察が行われました。
PCI群と薬物療法群の患者特性には差を認めず、順に、平均年齢:63.5歳と63.9歳、男性の比率:79.6%と76.6%、BMI:28.3と28.4、心筋梗塞の既往:36.7%と37.4%、痛みの症状がないいわゆる無症候性心筋虚血の割合:16.3%と16.6%、でした。また、高血圧症:77.6%と77.8%、糖尿病:27.5%と26.5%という罹患率でした。
447人のPCI群のうち、予定通りPCIを施行されたのは、435人でした。残りの12人は、バルーンアンギオプラスティー、バイパス術、薬物療法治療のみの治療を受けました。
441人の薬物療法群のうち、439人が薬物療法投与を受け、2人が誤って、PCI治療を受けました。
5年の経過観察達成率は、PCI群は、93.9%、薬物療法群は93.1%、レジスター群は、90.5%と、いずれも高率でした。
<アウトカム>
一次評価項目は、「死亡」「心筋梗塞」「緊急再還流術」でした。PCI群で13.9%、薬物療法群で27.0%、PCI群はハザード比 0.46(P<0.001)で有意に低リスクを認めるといった、優れた成績が得られました。レジスター群では15.7%でPCI群との間にリスクに有意差はありませんでした(ハザード比 0.88)。「死亡」のみで比較した場合、PCI群と薬物療法群の間に有意差はありませんでした。
「緊急再還流術」の比較では、薬物療法治療群の21.1%に対し、PCI群では、6.3%、ハザード比 0.27と、大きな差を認めました。
「心筋梗塞(自然発症のものと、手技関連のものの合算)」は、薬物療法群で12.0%に比較して、PCI群で8.1%と低い傾向を示し(ハザード比0.66、P=0.049)、「手技非関連で自然発症の心筋梗塞にのみ」に注目すると、PCI群は、薬物療法群に比較して有意に低下していました(ハザード比0.62、P=0.04)。一方、「手技関連心筋梗塞」には、両群間の差を認めませんでした(ハザード比0.77)。
「狭心痛改善」は、薬物療法群に比べて、PCI群で、施行後3年目までは、有意な改善効果を認めましたが、以降5年目までは、両群間に差を認めませんでした。
<コメント>
安定狭心症の患者を対象としたステント挿入の適用評価に「FFR」を用いた結果、施術5年経過後の心筋梗塞の自然発症を、38%有意に減らせたことが示されました。このステント治療を勧めるべき患者の特徴がはっきり示された研究をもとに、今後、日常臨床に生かすべくFFRの指標のガイドラインが示されれば、さらなる治療効果が期待されるでしょう。
またFFR指標によって、従来指標で適用となっていた症例の35%もステント挿入が減らせると評価され、医療経済的視点からも大きな意義があるものと思われます。
ただし、薬物療法群に割り付けられていた症例の51%が、試験終了の5年目までにPCIを受けていたという事実は見過ごせません。今後、こうしたバイアスを考慮し、信頼性の高い解析結果が得られることが期待されます。
一方で、新たに生じた問題として、「狭窄の程度が30−50%でも、FFRが0.80以下の症例がしばしば見受けられる」という最近の知見があります(文献5)。こうした患者のステントの適用性について、ぜひとも議論を深めてもらいたいものです。

文献1
循環器疾患診療実態調査報告書(2016 年度実施・公表)
文献2
実態を踏まえた医療技術等の評価の適正化
文献3
文献4

文献5
Ciccarelli, G., Barbato, E., Toth, G. G., Gahl, B., Xaplanteris, P., Fournier, S., ... & Tonino, P. (2018). Angiography versus hemodynamics to predict the natural history of coronary stenoses: fractional flow reserve versus angiography in multivessel evaluation 2 substudy. Circulation, 137(14), 1475-1485.

2018/08/11

愛し野塾 第181回 ゲノム編集は安全か??




遺伝子工学の専門用語である「ゲノム編集」という言葉は、今や新聞やテレビ番組などでも耳にするようになりました。ゲノム編集とは、部位に特異的なDNA切断酵素であるヌクレアーゼを利用して、任意のゲノムDNA領域の遺伝子を切断し、改変する技術です。遺伝子の特定部位の異常を、正確に、かつ正常に修復することができるため、遺伝子疾患や先天性疾患の治療に有効な医療技術として確立しようとしています。なかでも、クリスパー・キャス9(CRISPR/Cas9)法は、基礎研究が重ねられ、ヒト受精胚での臨床応用研究がはじまっています。これまでのところ、編集をうける標的遺伝子部位に予測を裏切るような遺伝子変異を認めず、また安全性への懸念も薄く、ゲノム編集技術を用いた6本の臨床試験が進行中です。
しかし、その一方で、インバージョン(逆位)、内因性・外因性両方のDNAインサーションを認めるケースや、予測よりも大きな範囲の欠失を認めるケース(600bpから1500bpに及ぶ場合がある)があること、また、ほとんどの研究が、標的遺伝子部位近傍(1kb以内)の遺伝子配列決定しかしていないこと、さらに標的部位以外の検証もほんの一部の遺伝子だけであることから、ゲノム編集後に標的部位以外のゲノムの異常が生じている可能性があるのではないか、という指摘もあります。
さて、今回、マウスとヒトの細胞を用いて、ゲノム編集後、系統的にゲノムを調べることで、遺伝子異常が、任意の場所に生じていないかどうかについて精査されました。その結果、標的遺伝子部位において、大きく遺伝子欠失を認めるケースや、標的遺伝子部位から遠くはなれた場所で、遺伝子欠失、挿入(インサーション)の存在を認め、この技術の安全性に大きな疑問符がつくことになりました。結果は、2018年7月16日のネイチャーバイオテクノロジーに発表されましたので、まとめてみたいと思います(文献1)。
<研究>
これまで行われてきた研究では、ゲノム編集後のゲノム異常を検証する際、がん細胞を使用することがほとんどでした。しかし、がん細胞では、体細胞分裂、及び遺伝子修復機構が正常に機能していないことから、クリスパー・キャス法による遺伝子異常を検証するには、最適な細胞とはいえず、本研究では、カリオタイプが正常で、かつ体細胞分裂と修復機構が正常に機能している「ES細胞」が用いられました。
標的とした遺伝子は、PigA(Phosphatidylinositol glycan anchor biosynthesis, class A)部位で、X染色体に位置し、オスの細胞では、半接合体でした。まず、PigAサイトのイントロンとエクソンを標的とした、CAS9とgRNA(ガイドRNA)を、JM8マウスES細胞にPiggyBacトラスポゾン法を用いて、導入しました。その後、PigA欠失細胞を、FLAER法を用いて、選別しました。
エクソン2-4のgRNAを用いた場合、PigA欠失は、59-97%と高率でした。イントロンを標的にしたgRNAを用いた場合でも、比較的高率にPigA欠失は生じ、欠失率は、8-30%でした。PiggyBac法以外の導入法を用いても、同じ結果が得られ、遺伝子導入方法の違いが結果に影響を与えていないことが証明されました。
次に、PigA欠失が生じる分子メカニズムを調査するために、エクソン2を含む5.7KbをPCRで増幅し、シークエンス法によって塩基配列を決定しました。その結果、エクソンを含む広い範囲の遺伝子欠失の関与が、明らかになりました。
3つの異なるgRNAを用いた実験によって得られた、PigA欠失部位の塩基配列決定をもとに183の異なる高品質なアレル(対立遺伝子)が得られ、想定された単純な欠失以外にも、インサーションや複雑な再配列が含まれていることがわかりました。一つのアレルは、Hmgn1遺伝子由来の、連続する4つのエクソンを含んでいました。Hmgn1遺伝子のRNAが、新規にインサーションした可能性が高いと推測されました。
次に、単一クローンの細胞を得て、16kb離れた部位までの塩基配列決定を行った結果、141個のクローン細胞から133個のアレルを回収することができました。単純な欠失は、75%に認めました。最大の欠失は、9.5Kbに及び、残りのアレルには、欠失以外に、インサーションやより複雑、かつ多数の異常配列を認めました。
次に、PigA遺伝子だけに特異的な事象ではないことを調べるために、別な遺伝子で検討するためにCd9ローカスを用いました。その結果、エクソンgRNAで88%の欠失が生じ、イントロンgRNAで4.2%~5.4%の欠失が生じました。最大の欠失は、5.5Kbに及ぶことがわかりました。
以上のマウスのES細胞で得られた結果をもとに、ヒト女性網膜色素上皮細胞株(RPE1)を用い、X染色体を不活化をすることで、PigAローカスを半接合的に機能させ、同様の異常が人の細胞でも生じるかどうかを検討を行いました。PigAに対する、エクソンとイントロンgRNAを用いてPigAの欠失を試みたところ、マウスES細胞の実験と同程度の欠失率を認め、採取した41個の単細胞クローンをサンガー法によって遺伝子配列決定を行った結果、「大きな欠失、インサーション、インバージョン」を認めました。
<コメント>
今回、がん細胞ではなく、正常な遺伝子修復機能をもつES細胞を用いた実験系で、CRISPR-CAS9法を施行した結果「大きな欠失、インサーション、インバージョン」の出現が避けられないことが、明らかとなったことは驚きです。ヒトの細胞でも同様の結果を示しました。さて、現在進行している臨床研究は、がん治療をターゲットにしています。ヒトにCRISPR-CAS9法を用いた場合、ターゲットとなる細胞数は、数10億に達し、標的となるがん遺伝子やがん抑制遺伝子に「大きな欠失、インサーション、インバージョン」が生じれば、治療どころか、むしろ、がん発症を誘発させる可能性が否めません。現在進行中の臨床研究は一旦見直し、ES細胞などの修復機構が正常とされる細胞での、gRNAの機能を精査し、何より安全性の確立を優先させるべきでしょう(文献2)。
CRISPR-CAS9によるゲノム編集は、あまりにもセンセーショナルに取り上げられ、世界中が注目し、遺伝子を自由に編集できる技術として、難病治療への臨床応用が期待されていました。安全性への疑問を呈した今回の研究報告について、これまでの研究の栄光に水をさすものと捉えるのではなく、より安全な方向へ導いた、重大な研究報告である、と受け止めるべきでしょう。
文献2 Genome damage from CRISPR/Cas9 gene editing higher than thought
Caution required for using CRISPR/Cas9 in potential gene therapies
(2018.8.11閲覧)

2018/08/07

愛し野塾 第180回 体重にあわせたアスピリン処方による心血管病予防の可能性


心筋梗塞や脳卒中に代表される心血管病は、片麻痺、心不全、最悪の場合は死に至るほどの重大な病態を招きます。心血管病の予防は、現代医学にとって最も重要な課題といっても過言ではないでしょう。さて、アスピリンによる治療は、比較的「確立されている」予防策いえるかもしれません。アスピリンは、COX-1を不可逆的にアセチレーション化し、血栓形成の中心的役割を果たすトロンボキサンの血小板での産生を、ほぼ完全にシャットアウトします。期待されるアスピリンの強い血小板産生抑制作用による心血管予防効果は、個体差が大きく、「一次予防にして約10%程度」といった評価です。さて、こうしたアスピリンの効果が現れにくい状態を「アスピリン抵抗性」と呼び、その原因については、これまで多くの解析が試みられてきました。その結果、「薬の飲み忘れ」、「糖尿病患者では血小板ターンオーバーが早くなっている」、「NSAIDとの薬物相互作用」、「腸溶剤に伴う薬物生物学的利用能の低下」、「肥満」などが抵抗性を説明しうるものとして示唆されてきました(文献1)。

さて、「肥満」の観点から実臨床を省みると、アスピリンの処方量は、体重差は考慮されず一定の容量設定(低容量アスピリン治療の場合1日あたり75-100mg)で、処方されてきました。今回、「体重が異なるのに、アスピリンの投与量は同じでいいのか?」という問いに対して、オックスフォード大学のグループを中心に調査が行われ、アスピリンの効果と体重との関係について、極めて明確な解答がえられました。この研究結果は、ランセットに報告されましたので、まとめたいと思います(文献2)。

 <対象>
無作為にアスピリン、もしくはプラセボの投与が割り付けられた、すべての研究が対象になりました。1次予防に関する論文10本のうち、体重、身長、基礎データなど、個々人のデータが得られた論文は、9本でした。そのうちの7本は、75mg-100mgの低容量アスピリン群(毎日75-100mgを服薬するか、隔日に100mgを服薬するか)とプラセボ群の比較、別の2本は、より高容量のアスピリン投与(300-325mgあるいは500m投与)とプラセボ投与の比較でした。また、2次予防の論文5本のうち、4本については、参加者個人レベルのデータが得られました。そのうち1本は、低容量アスピリンとプラセボとの比較、2本は高容量アスピリンとプラセボの比較、残りの1本は、2種類のアスピリン容量とプラセボの比較でした。
体重の最小と最大の差は4倍で、体重の中央値の幅は、60Kgから81.2Kgにおよび、最大と最小の間に有意差を認めました(p<0.0001)。男性の体重の中央値は、81.0Kg、女性の場合は、68.0Kgでした。

<低容量アスピリンによる一次予防>
体重70kg未満では、心血管病の一次予防は、アスピリン投与群のハザード比は0.77で、プラセボ投与群に比較して、有意にリスクの低下を認めました(P<0.0001)。一方で、体重70Kg以上では、ハザード比=0.94と、両群間に有意差を認めませんでした(P=0.50)。
低容量アスピリン群は、体重50-69Kgの群のハザード比は0.75(P<0.0001)で、最もリスクが低下しました。特に連日服薬した結果、ハザード比は0.68まで低下し、もっとも良い結果を示しました。1本の論文で、100mgの隔日投与によって、50-59Kgの群で、ハザード比は0.72と良好な値を示し、60-69Kgの場合は、ビタミンEを投与されていない場合が、良好な値を示しました。
問題は、体重50kg以下の場合、連日のアスピリン投与75-100mgでは、プラセボ群に比較して、ハザード比1.25(P=0.40)で効果を認めず、それどころか全死亡リスクは、有意に高く、ハザード比1.52(P=0.031)を示しました。一方で、体重50kg以下のうちBMI18.5以下を除くと、ハザード比は0.80(P=0.47)となり、全死亡リスクは軽減しました。すなわちBMI18.5以下のやせている方のアスピリン投与はむしろリスクがあるかもしれない、という疑問がわいてきます。
さて、低容量アスピリンの心血管病予防効果は、糖尿病、年齢による影響は認められず、一方で、喫煙によって効果は減弱されることがわかりました。また体重と喫煙の減弱効果は、加算的であり、「体重70kg以上の喫煙者」の場合、低容量アスピリン投与は逆に害をもたらす危険性があること、また、この傾向は女性に顕著であることが示されました。心筋梗塞発症予防における低容量アスピリン投与による効果は、喫煙しない体重70kg以下の場合でのみ、プラセボ投与に比較して、ハザード比0.71と有意な(P=0.031)リスク低下を認めました。喫煙女性で体重が70kg以上では、アスピリンの予防効果は、ハザード比1.33(P=0.21)と高いリスク傾向を示しました。
体重の大小、喫煙の有無を考慮しない場合、女性は、ハザード比1.00(P=0.96)と低容量アスピリンによる心筋梗塞予防効果を認めない一方で、男性は、ハザード比0.77(P=0.0014)を示し、予防効果を認めました。
心筋梗塞予防の観点から、女性では、非喫煙者で、かつ体重が70kg以下の症例に限って低容量アスピリンの投与を検討することが必要かもしれません。
<低容量アスピリンの2次予防>
脳卒中の既往のあるかたを対象にした「2次予防研究のESPS-2試験」に基づいて、1回25mgを1日2回のアスピリン投与とプラセボ投与を比較しました。
70kg以下の場合、アスピリン投与のハザード比は0.74(p=0.0003)で、アスピリン投与による心血管イベントの有意な抑制効果を示しました。70kg以上になると、アスピリンの効果は、一次予防同様に消失しました。女性の場合、体重70Kg以下のハザード比は0.68(p=0.0001)で、アスピリンは有効、また70Kg以上のハザード比は1.02でアスピリンの有効性は消え、50kg以下ではハザード比0.50で、有効性が維持されていました(p=0.0094)。 
<高容量アスピリンの場合>
1次予防について、325mgのアスピリン投与によって、プラセボに比較して、体重70kg以上で、心血管病発症の有意な予防効果を認めました(ハザード比0.83, P=0.028)。また、500mgアスピリン投与によって、90Kg以上でも有意差はないものの予防効果を示し(ハザード比0.55, P=0.086)、心血管病発症、かつ心血管病による死亡リスクの抑制も解析に加えた結果、有意な予防効果を認めました(ハザード比0.52, P=0.017)。
これらの結果から、「50-69kgの場合、アスピリン75-100mg、70-89kgの場合、アスピリン300-325mg、90kg以上の場合、アスピリン500mg」と体重に基づいた容量増加によって、心血管病イベント、脳卒中、心血管病関連死、全死亡のいずれのリスクにおいても、一次予防として有効であると推定されました。一方で、この容量設定を行わなければ、心血管病による突然死のリスクは、ハザード比2.03(P=0.0015)と、有意に高くなることがわかりました。また、50kg以下のひとに75-100mg投与すると、ハザード比2.13、70kg以下のひとに325mg投与だと、ハザード比1.99、90kg以下のひとに500mgだとハザード比2.26と、突然死が増加することが推定されました。
<がんへの効果>
一次予防の臨床試験について調査された5本の研究報告をもとに、73,372人の参加者、20年間の経過観察から、結腸直腸がんのリスクを分析しました。その結果、低容量アスピリン(75-100mg)投与について、体重70kg以下では、ハザード比0.64(P=0.0004)と有効性を示し、70kg以上では、ハザード比0.87(P=0.32)で無効、また、325mg投与の場合、80kgまでハザード比0.69(P=0.0014)と有効、80kg以上では無効(ハザード比1.08)ということが明らかになりました。
最大の問題は、70歳以上の高齢者へのアスピリン処方です。アスピリン投与3年後、がん発症リスクの有意な上昇を認めました(ハザード比1.20、P=0.02)。この傾向は、体重70kg以下で顕著で、70歳以上の女性に限ると、ハザード比は1.44(P=0.0069)で、さらにリスクの上昇を認めました。

<コメント>
現在のアスピリンの容量設定のまま投与を続けると、体重が少ないかたの場合は、容量が多すぎて、心血管病発症リスクがあがってしまうこと、体重が多いかたの場合は、心血管病の抑止効果が消失したりすることが判明したのは公衆衛生にとって大きなインパクトがあると思われます。
 日本人の体重は、ほぼ8割が70kg以下ですが、少ないとはいえ、20%のかたは、70kgを超えるわけで、こうしたかたには、現状の100mgでは効果がないため、3倍量となる300mg投与を考慮するべきでしょう。問題は、50kg以下のひとに日本で使用されている100mg投与をすると、突然死のリスクが2倍以上増えることです。日本人女性の35%が、体重50kg以下です。早急に50mgへの減量を検討するべきではないでしょうか。今後の研究成果を待ちたいと思います。
 もう一つの懸念は、がん発症のリスクが、アスピリン投与後3年の経過のなかで、20%も上昇してしまうことです。特に、高齢の70kg以下のかたの場合、75-100mgの容量ですら多すぎると考えるのが妥当なようです。1日50mg投与(25mgを1日2回投与)に下げることで、がんの発症が上がらないのであれば、朗報となることでしょう。この容量では、2次予防効果としては良好な結果がでており、一次予防も同様な結果が期待されるからです。また、がんの発症があがるかたの特性を特定できるのであれば、対策も立てられる可能性があります。リスクが上がるがんは、特に、下部食道がん、胃がん、結腸直腸がん、乳がんの可能性が指摘されていますので、あらかじめ、胃カメラ、大腸カメラ、マンモグラフィーを施行するなども考慮されることでしょう。この点についても、これからの研究の結果を待ちたいと思います。
いずれにせよ、「体重」という因子を全く無視した「アスピリン100mg処方」の潜在的危険性を見過ごすことはできず、日本でもエビデンスを蓄積すべきときがきたように感じます。 

文献1
Weight-adjusted aspirin for cardiovascular prevention.
Theken KN, Grosser T. Lancet. 2018 Jul 12. pii: S0140-6736(18)31307-2. doi: 10.1016/S0140-6736(18)31307-2. [Epub ahead of print] No abstract available.

文献2
Effects of aspirin on risks of vascular events and cancer according to bodyweight and dose: analysis of individual patient data from randomised trials.
Rothwell PM, Cook NR, Gaziano JM, Price JF, Belch JFF, Roncaglioni MC, Morimoto T, Mehta Z.Lancet. 2018 Jul 12. pii: S0140-6736(18)31133-4. doi: 10.1016/S0140-6736(18)31133-4. [Epub ahead of print]