2017/02/17

第109回 愛し野塾 薬剤費高騰ー高度先進医療の影でおきていること


医学誌NEJM(文献1)及び、Lancet(文献2)に相次いで、「薬剤費高騰の問題」がとり上げられました。最近、日本でも認可された、肺がんの特効薬である免疫チェックポイント阻害剤の「キートルーダ」は、使用すれば個人単位で年間1500万円という高額な薬剤費を要します。今後予想される「奏効が期待される」も、「高額な」がん治療薬の登場によって、このままでは、医療費により国家財政が逼迫する事態に陥ることは明白です。こういった傾向は、国民や、メディアの注目にともなって、果たして一企業が、薬剤販売によって得る利益が、これほど膨大になることが妥当なのか?ひょっとして、法外ではないのか?という議論も各方面で生じています。
2014年、2015年ともに、世界的な薬剤費の上昇率は9%で、経済成長率をはるかに凌駕するものでした。また、貧困国からみれば、こうした薬は、夢のまた夢。「世界あまねく病人に適切な治療を」という国際連合の掲げる理念にも反する、という考え方もでてきました。さらに、貧困国特有の病気を「顧みられない病気(Neglected Disease)」と定義し、利益がでないと予測されるため、RD(研究と開発)が消極的な現状にも警鐘を鳴らしはじめるメディアや機関が増えてきました。
「薬剤費高騰を抑える方策の整備」の重要性が各方面から叫ばれている理由にはこういったアプローチしにくい影(闇・・・?)の部分があることを我々は知るべきでしょう。
現在のシステムでは「特許」に基づき、薬価が守られます。高額な治療薬は、いったん十分な利益を上げたあとも、利益を上げ続けることができます。この「特許中心」主義が、医療システムを破壊しつつあると考えられるようになりました。
C型肝炎の特効薬、ギリアド社製の「ソフォスボビル」は、すでに、3.5兆円を売り上げました。その開発費は、1.2兆円だったといいます。今後は、毎年、2兆円を稼ぎだす試算です。特許中心主義であるから、薬剤費は開発した企業が任意に決定する権利を持ちます。しかも、その価格は、特許が続く限り保証されるのです。「この利益の獲得法は正しい」という常識は、今後さらに各国の国家財政を逼迫するようになることは明らかで、昨今では「容認できない」という考え方が、先進国では支配的となりつつあります。
さて、その根拠について、一つ目に「研究費」という視点から鑑みるに、国家予算から拠出された部分、また、慈善団体からの寄付にもよっている部分がある、という前提が認められます。「R&D」のすべてが「1企業」から生じたわけではない、という理由です。C型肝炎の長期間にわたる基礎研究があったから、また罹患患者の協力があったから、C型肝炎の特効薬が生まれたことは、誰の目にも明らかです。免疫学の基礎研究の進展がなければ、キートルーダは開発されなかったでしょう。そしてその基礎研究の資金のほとんどは公的財源によるものです。言い換えれば、ひとつの薬が作られる過程では、「国家」も「出資者」であるというわけです。国家は、国民の代表者で、税金を運用しているのですから、薬の開発によって得られた利益を国民に還元する責務を負います。「企業」側と「国家」側が集まり、薬の開発にかかわる費用を、透明性をもって公表し、えられる利益を、理にかなった、国民に受けいれ可能なものにしていくというプロセスが必要とされるようになりました。
この分野の先進国、オランダは、「フェアメディシン」と名付けられたプロジェクトとして、このプロセスをすでに開始しました。そもそも、薬剤開発は秘密裏に行われる性格のものであることから、薬剤開発の費用計算も、各評価法の算出方法によって40倍もの違いが生じることが過去の研究から明らかにされています。最小で、92億円から、最大の4.2兆円までの幅があります。開発費に要する費用の試算には、どうしても、開発段階での透明性が欠かせないのです。正確な開発費の計算がなければ、適正な薬剤費も決定できるわけがないでしょう。
また、開発途上国で問題となっている「顧みられない病気」の治療薬開発に乗り出した団体DNDiがあります。これまでわずか200億円の予算で、6つの薬を市場に送り出すことに成功しました。「マラリア、結核、HIV」などは、先進国にあまりみられないため、「顧みられない病気」となりつつあります。しかし、途上国では、患者数が多く、グローバルヘルスの観点からは、公衆衛生を害する懸念があり、大問題となっているのです。患者のニーズを第一に考えた結果として、こうした対応が可能となったのは素晴らしいことです。
また、慢性骨髄性白血病の特効薬「イマチニブ」は、すでに、多くの利益(世界での売上げ額4.7兆円)を上げたにも関わらず、いまだ高額のままです。法律上、特許に守られているからです。コロンビアでは、先進国で用いられている薬価が高すぎて、使うことができない「強制許諾権」を行使し、特許を無視して、薬価をさげようとしましたが、強い反対にあい、拒絶されてしまいました。今後は、WTO加盟国では、プライスダウンを可能とし得る、すでにある協定を遵守する姿勢をもつことが必要でしょう。
こうした議論は、「地球温暖化」に対して世界が協調し戦う、という状況と似ているとも、いわれています。つまり、ここまで高額となってしまった薬剤費の管理について、一(いち)企業任せにすることは現実的ではなく、限界。「薬の開発」そのものを、世界各国が協調して行うことが必要な時代となったという概念です。「持続可能」、かつ「新規の優れた薬剤」開発と供給を目指すには、薬剤開発競争に終止符をうち、薬剤開発をドル箱としないことが求められる時代となりつつあるようです。
「ランセット」の論説は、オランダの外務大臣と厚生労働大臣が共著したものであり、この問題について潮目を迎えていると感じます。新聞のヘッドラインに、1000万円単位の新規薬剤の紹介が出るたびに、「公衆衛生の宝ともいえる国民皆保健は早晩、崩壊するのではないのか」と戦々恐々としますが、そんな不安を抱かせない「グローバルな対策の実現」に向けて、壁を取り払った各国家の話し合いが、オープンに進展する事を望みます。 
文献1
文献2