2017/02/09

第108回 愛し野塾 がんの免疫治療の春


人口の高齢化とともに、がんの罹患率は増加の一途をたどっています。統計では、生涯のうちがんに罹患するかたは人口の半分、また三人にひとりが、がんでいのちを落としているという現状です。なかでも働き盛り世代の死因の40%、小児では病死の死因の第一位(厚生省HPより)が、がんであるという事実は、もはや個人の問題ではありません。将来のがん罹患率についても増加することが予測されています。こういった現実から、がんの早期発見、早期治療、そして、治療法の開発が公衆衛生の視点から重要な課題として取り組まれて参りました。なかでも、急激に進展した「免疫療法」の開発によって、にわかに、がん治療の展望が開けてきました。
発ガンを促す物質は、細胞内の遺伝子(がん遺伝子)に傷(変異)をつけてしまいます。生じた遺伝子変異によって、遺伝子が活性化され、正常な成長や増殖を促す、本来の機能が制御不能となり、無制御な細胞増殖を指令するようになります。遺伝子変異が、多ければ多いほど、がんの「悪性度」は高い傾向があり、「抗がん剤」にも反応しにくいことがわかっています。たとえば、ステージ4のもっとも進行した肺がん症例の予後は、発見後わずか1年たらずです。治療としては、変異を起こした遺伝子の機能を特異的に抑制する、「分子標的治療」が主流となり一定の効果を上げてきました。
しかし、がんは、ターゲットされた、がん自身の増殖を促す「ドライバー」となる遺伝子に対する攻撃から守る、新たな遺伝子変異を獲得するメカニズムをもっていることが、明らかになりました。そのため新たな変異をターゲットした、別の標的薬を処方するのですが、また、がん細胞自身を防御する「あらたな」変異が出現し、標的薬は効力を失い、また、治療薬変更を余儀なくされる、といった、再現性のない、変異出現とのいたちごっこになることがわかってきました。つまり、この治療法には限界があるといわざるを得ません。
さて、最近になり、遺伝子の変異に関わらず、包括的がん治療として「免疫療法」が導入され、がん治療の分野を大きく変えようとしています。「免疫を活性化」すれば、どのような遺伝子変異によるがんでも一網打尽にできるという新しい視点でのアイデアのもと、様々な新薬が開発されてきました。なかでも、近年つぎつぎ開発され、紙面をもにぎわしている「免疫チェックポイント阻害剤」は、遺伝子変異が多いほど抗がん効果が強いとされており、従来の治療の弱点を補うと期待されています。有効率は、いまだ2030%程度とされますが、臨床症例では寛解状態にまで回復された方もいると報告されています。こうした革新的な治療法の進歩を受け、いまやがんは、治せる病気になりつつあるといっても過言ではありません。
今回、2016年6月に発行された「サイエンス」(文献2)について、NEJMの「基礎研究の臨床的意義」のコラムで取り上げられました(文献1)。まさに「がん免疫療法の最新版」ともいうべき有意義、かつ明るい展望を感じさせるコラムでしたので、この愛し野塾で解説をしてみようと思います。
「がん細胞を攻撃する免疫システム」を強化するのが、「免疫療法」の主たる目的です。がん細胞に特異的に、かつ、膜表面に発現する、特別な目印を見分けることで、免疫細胞は、がん細胞だけを攻撃し、死滅させます。そのがん細胞に発現する「目印」とは、タンパク質の断片である「ペプチド」です。この「ペプチド」は、がん細胞において、遺伝子変異に基づいて産生されていますから、やはり変異を持っていて、正常の細胞には存在しないものです。がん細胞の膜表面に、HLA分子により、一部が「変異を持つペプチド」として、免疫細胞に提示されます。この「がん細胞特有の変異を持つペプチド」は「ネオ抗原」と呼ばれています。免疫細胞は、沢山ある「ネオ抗原」の内、少数のものにのみ反応することができることがわかっています。しかも、「ネオ抗原」は時間経過とともに、その種類が変わり、呼応する免疫応答も変わります。そこで、できるだけ多くの「ネオ抗原」に反応する免疫反応を惹起することが、奏功の鍵であり、「ネオ抗原」の種類は、個々人のがんで異なるため、個人個人に応じた治療が重要視されています(文献3)。数百あるネオ抗原のうち、免疫応答を惹起するのは、「2個から5個」と推定され、効率よく、がんを攻撃するために、このわずかな「ネオ抗原」を見つけることが要です。これが「個々のがん患者に特有のネオ抗原を目印に、がんを攻撃する治療の確立こそ、がんを根絶する最善策である」という新たな治療のスタンドポイントの由来です。
「ネオ抗原」を攻撃する免疫細胞である「T細胞」は、膜表面に「T細胞受容体」を発現しています。「ネオ抗原」のひとつひとつに特異的な「T細胞受容体」が結合し、がん細胞を攻撃し、浸潤・破壊します。今回の研究では、悪性黒色腫の患者のがん細胞から、治療に最適な「ネオ抗原」を選択し、それに結合する「T細胞受容体」を特定の後、合成し、T細胞に導入・発現させた結果、悪性黒色腫を効率よく攻撃することができたという画期的な成果です。「精密医療」の決定版として高く評価されています。
はじめに、悪性黒色腫の患者3症例のサンプルから、全DNA、及びRNAの遺伝子の塩基配列を決定し分析した結果、249箇所の変異部位が認められました。次に、コンピューター・アルゴリズムを利用し、「組織適合抗原 HLA-A*02:01」に結合することが期待される57の変異を特定しました。がんから採取された「T細胞」は、この57個の変異を含む「ネオ抗原」のうち、わずか2個(3%)にしか反応することができませんでした。このことから、がんに侵された患者は、「ネオ抗原」に対する免疫反応性が鈍っていること、その結果、がん細胞の増殖を抑えこめないという可能性が示唆されました。
いっぽう、健康な被検者のサンプルから採取した「T細胞」を用いた実験が進められました。57個の変異を含む「ネオ抗原」をミニジーンの形で、健康な人のモノサイト由来の樹状細胞に発現させ、同じ健康な人から取り出したT細胞と共存させることで、「細胞障害性T細胞」が誘導されるかどうかを検討しました。その結果、11個(19%)のネオ抗原に反応する細胞障害性T細胞が誘導され、健康なひとから採取した「T細胞」は、がん患者のT細胞よりも顕著に免疫反応することが明らかになりました。また誘導された細胞障害性T細胞は、低濃度のネオ抗原にも反応し、ネオ抗原に呼応する形の「ワイルドタイプ」の抗原には反応しませんでした。
つぎに、採取した健康な人のT細胞を用いて「ネオ抗原に特異的に結合するT細胞受容体」をDNAのかたちで、取り出すことが出来るかどうかが検討されました。誘導された細胞障害性T細胞から、T細胞受容体がクローニングされ、別な健康な人のT細胞に遺伝子導入されました。この、遺伝子導入されたT細胞は、試験管の中で、悪性黒色腫を死滅させることができました。「同定された11個のネオ抗原に呼応するT細胞受容体を導入した細胞障害性T細胞」のうち10個が細胞障害性を示しました。一方、がん患者の反応が見られた、2個のネオ抗原に反応するもののうち、1個のみが細胞障害性を示しました。

今後残された課題としていくつかの点があげられます。まず、ネオ抗原に反応する細胞障害性T細胞の誘導率が19%と低いことから、コンピュータのアルゴリズムの改善の余地がまだまだありそうです。しかし、実際に試験管内で行なわれた検証から、細胞を死滅させる作用を有するクローンが10個採取され、患者サンプルでは、わずか1個しかなかったことを考えると、この誘導率でも、実際の患者に有効にがん死滅に働く可能性はあると考えます。第二に、実際の患者に用いた際に危惧される移植する細胞の拒絶反応の問題や、また、実際にがん縮小の効果が現れるのか、といった疑問が生じます。しかし、こういった問題も克服されるのは、時間の問題でしょう。
なにより、この研究の素晴らしいところは、健康な人の免疫細胞を使って、がん免疫を賦活化させようとした点です。また、これまで実験の証拠として、明白に示されてこなかった、がんに侵されたひとの免疫が下がっている事実が詳らかに示された点は明快でした。健康な人の免疫細胞を用いることで、治療に使える「ネオ抗原」の選択の幅が拡大されるとなれば、そのネオ抗原を使った、患者特異的な治療ももはや夢ではなくなったといえるでしょう。
文献1)Kristensen, V. N. (2017). The Antigenicity of the Tumor Cell—Context Matters. New England Journal of Medicine,376(5), 491-493.
文献2)Strønen, E., Toebes, M., Kelderman, S., van Buuren, M. M., Yang, W., van Rooij, N., ... & Schumacher, T. N. (2016). Targeting of cancer neoantigens with donor-derived T cell receptor repertoires. Science352(6291), 1337-1341.
文献3)Verdegaal, E. M., De Miranda, N. F., Visser, M., Harryvan, T., Van Buuren, M. M., Andersen, R. S., ... & Haanen, J. B. (2016). Neoantigen landscape dynamics during human melanoma–T cell interactions. Nature536(7614), 91-95.