2016/11/22

第99回 愛し野塾 冠動脈疾患発症リスクという遺伝的宿命は、生活習慣の改善で乗り越えられる?!





心臓をとりまく「冠動脈」は、心臓に酸素や栄養素を含んだ血液を供給する重要な血管です。しかし、「動脈硬化」によって変性し内腔が狭まると、十分な血液供給がおこなわれなくなることによって「冠動脈疾患」を発症します。「冠動脈疾患」は、先進国では死因の第一位で、日本でも生活習慣の欧米化に伴い、発症の顕著な増加が認められ、現在、有効な予防対策を要するリスクの高い疾患です。特に致死率が高い「心筋梗塞」の発症を避けるために特段の注意が必要とされます。
遡ること78年前の1938年に「冠動脈疾患の発症患者の血縁者には、同疾患が多い」ことが発表され、「先天的要因が発症の原因となる」ことが示唆されました。その後行なわれた双子研究や前向き研究で、「遺伝因子が発症の引き金となる」ことがほぼ決定づけられました。2007年から始まったゲノム研究で、50個を超える疾患特異的な遺伝子座が同定され、冠動脈疾患発症の予測を可能とするリスクスコアの開発が飛躍的進歩を遂げました。遺伝的リスクスコアが高いひとは、低いひとに比較して1.92倍の高い発症リスクを認め、さらに若年者に絞ると、このリスクは 2.4倍にまで上昇することがわかりました。
一方で、禁煙、肥満予防、定期的な運動習慣、健康的な食事パターンなど「生活習慣の改善」によって、冠動脈疾患発症リスクを下げられる可能性が示唆されてきました。
今回の研究では、遺伝的に冠動脈疾患のハイリスクとされるかたに、健康的な生活パターンを遂行させ、遺伝的な弱点を補償する事が出来るのか否か、が検討されました。結果は、20161113日付けのNEJMに発表になりました。

調査対象となる患者は、3つの前向きコホート研究(ARIC研究、WGHS研究、MDCS研究)と1つの横断的研究(BIOIMAGE研究)から選出されました。「前向きコホート研究」では、「冠動脈疾患発症に対する影響」を検討し、「横断研究」では、「冠動脈の石灰化(冠動脈疾患が顕在化する前段階と考えられています)に対する影響」が解析されました。
「健康的なライフスタイル」の調査項目は、4つの要素から形成され、1)現在喫煙をしていない、2)肥満ではない(BMI30未満)、3)少なくとも週に1度運動をしている、4)健康的な食事パターンをとっている(フルーツ、ナッツ、野菜、全粒穀物、魚、乳製品が多い、製粉穀物、加工肉、赤肉、砂糖入りのみもの、トランスファット、塩分が少ない、のうち半分をみたすもの)、としました。

結果
ARIC研究からは、7,814人、WGHS研究からは、21,222人、MDCS研究からは、22,389人、BIOIMAGE研究からは、4,260人分のゲノタイプデータが得られました。冠動脈疾患の発症者数の内訳は、ARIC研究は、18.8年のフォローアップで、1,230人、WGHS研究では、20.5年で971人、MDCS研究では19.4年で2,902人でした。
遺伝的リスクの高いひとは、低いひとに比べて91%冠動脈疾患の発症率が高いことがわかり、この結果はこれまでの研究成果と一致するものでした。本調査で用いられた「遺伝子リスク」と、「血中LDLコレステロール濃度」及び「冠動脈疾患の家族歴」の間に、冠動脈疾患発症に関して相関する傾向がありました。しかし、いわゆる冠動脈疾患のリスクとされる古典的な因子(高血圧や糖尿病など)は、いずれもその相関に有意差は認められませんでした。つまり、「遺伝子リスク」は、これまでに知られている危険因子とは独立して冠動脈疾患発症リスク増大に貢献している因子であることが明らかになりました。
健康的なライフスタイル(4つのカテゴリーのうち少なくとも3つを満たすことを条件とする)を送っているかたは、遺伝子リスクの大小に関わらず、冠動脈疾患発症リスクが46%有意に減少していることがわかりました。さらに「遺伝的リスクの高いひとほど、健康的なライフスタイルによる発症リスク低下への影響は顕著」でした。冠動脈疾患10年発症リスクは、いずれのコホート研究でも、約半減していることがわかりました。
一方、遺伝子リスクが低くても健康的なライフスタイルを送っていない場合には、遺伝子リスクの低減効果は消失してしまうことがわかりました。
ライフスタイル項目別の発症リスク低下への寄与率は、それぞれ、禁煙が44%、非肥満が34%、運動が12%、健康的な食事が9%でした。特に「喫煙や肥満は、冠動脈疾患発症リスク増大に及ぼす影響が顕著である」ということが明確に示されました。
また、横断研究BIOIMAGEの分析によって、遺伝的要因によって冠動脈の石灰化は促進されるものの、健康なライフスタイルによって石灰化が低減されることも明らかになりました。つまり冠動脈疾患が顕在化する前段階についても、ライフスタイル因子が寄与している事がわかったのです。
遺伝的要因と健康的な生活因子との間には、相関関係はなく、それぞれ独立して、冠動脈疾患発症に対して相反する効果を表す事がわかりました。

本研究の第一の問題点は、健康的なライフスタイルが及ぼす発症抑制効果は統計上ランダム化されておらず、冠動脈疾患発症リスクとの関係について因果関係がないといった可能性が否めない点です。二つ目に、3つのコホート研究で取り上げたライフスタイル項目がまったく同じではないことが挙げられます。また、ベースラインでの解析結果であることから、例えば、喫煙をしていたかたが、研究期間中に喫煙を再開したなど行動の変化によるバイアスの可能性が否定できません。さらに、運動項目について、「週に1度の運動」というのでは、「健康的なライフスタイル因子」とするには、不十分である可能性も考えられます。運動による冠動脈疾患発症低減効果が、わずか12%しか見られなかった原因と考えられます。各種学会から、「中等度の運動レベルで、週に150分すること」と推奨されており、そのエビデンスも信頼にたることから、この「中等度の運動レベルで、週に150分」という条件を満たした対象者のサブ解析も行なうべきだったでしょう。3つ目に、この解析では50個の遺伝子座が用いられました。しかし、昨今、より多くの遺伝子座が冠動脈疾患発症リスク因子として明らかになってきました。発症メカニズムと遺伝子及びライフスタイルとの関係について明確にするために、今後は、これら新規の遺伝子座も加えての解析が必要と考えられます。4つ目に、健康的な食事として「乳製品」が含まれていましたが、これは相応しくないものとしてカテゴライズするべきでしょう。また地中海式ダイエットが心血管病予防に有効であることは近年多くの研究からエビデンスをもとに確立してきました。地中海式ダイエットと遺伝的リスク低減効果については非常に興味深いテーマです。食事の寄与度がわずか9%であったのは、条件に不明瞭さがあったからではないかと考えています。最後に、この解析では、白人だけではなく黒人についても同様の結論が得られていますが、アジア人、また他の人種は対象に含まれておらず、普遍化できるデータとするには不十分だということは留意しなければなりません。
いずれにせよ、高い遺伝的リスク下では、日常生活でそれぞれが対策としてできることは限られ、冠動脈疾患発症を避けることは困難であると専門家は考えていましたから、本研究は、「遺伝的に冠動脈疾患のリスクが高くても、禁煙、適正体重の維持、適切な運動、健康的な食事をすることで、冠動脈疾患の発症を避けることができること」が示された心強い論文である事に異論はありません。

臨床の場では、検査技術の進歩で、頸動脈のエコーや、血管年齢を測定することは、ごく簡単にできるようになりました。健康診断や一般検査によって、いったん動脈硬化があることがわかると、多くの方は、ご自身のライフスタイルを見直し、健康的なライフスタイルの実現に向けて改善を試みるものです。医療の手を借りる前にできることは、まだまだたくさんありそうですね。