2016/09/14

第87回 愛し野塾 適切な血圧とは

  
 血圧管理は、「どの値をターゲットとする事が適切なのか」という論争は、いまだ渦中にあります。上の血圧(収縮期血圧)が140mmHg、下の血圧(拡張期血圧)が、90mmHgを超えると高血圧の診断が得られます。高血圧と診断された後、血圧を下げることで、心筋梗塞、脳卒中などの心血管リスクを低減することは、わかっていますが、では、どの値にまで血圧を下げるのが適当なのかがいまだ決着がつかないのです。実は、信頼度の不十分な観察研究のデータをもとに「血圧は下げれば下げただけ、良い」といわれる時代が長く続いていました。しかし、昨今、この学説を覆す、信頼度の高い大規模臨床試験が多数報告されるようになり、この考え方に疑問が呈されました。
 まず、2本の研究論文で、「上の血圧をある一定の血圧より低下させても、心血管病リスクを低下させる効果がない」と主張され、別の8本の研究論文にいたっては、「上の血圧をある一定以上低下させると、逆に心筋梗塞や脳卒中のリスクが上昇する、いわゆる、「J―カーブ効果」と呼ばれている現象が存在する」という主張がなされ、上の血圧は下げるにしても、140130mmHgまでが適切であろう、との考え方が支配的となりました。
 しかし、この考え方に真正面から反対する研究成果が、昨年ニューイングランドジャーナルで発表になりました。この研究は「スプリント研究」と呼ばれ、9000人余の患者をランダムに強化療法群と標準療法群に割り付けるという、厳格な手法で行われました。その結果、上の血圧を121mmHgまで降圧することによって136mmHgまで降圧したグループよりも、25%も統計的有意に心血管病リスクが抑制されることを認めたのです。「血圧は下げるほどよい」、という古い学説を改めて支持する内容だったのです。この調査報告は、信憑性が高いと評価される一方で、依然、この考え方を否定する10本の論文との齟齬によって、「適正血圧の議論」が再燃し、日常臨床の現場は混乱した状態が続いていました。
 さて、今回(2016年8月)、「冠動脈に病変を有する患者の症例では、血圧の下げ過ぎによって心筋への障害を惹起すること可能性から血圧の下げすぎは危険である」という仮説のもと、研究対象を冠動脈疾患のあるかたに絞って、血圧の適正値について示唆する論文が、ランセットに発表になりました。


 対象は、2009年から2010年の間に登録され、冠動脈疾患を持つが、容態が安定している患者2万2千672人でした。国際協力プロジェクト「クラリファイ」研究として、45カ国が参加しています。最高血圧と最低血圧を測定し、10mmHgごとに患者をグループ分けしています。主要評価項目は、心血管死、心筋梗塞、脳卒中の複合項目に設定されました。収縮期血圧が[120129mmHg]/拡張期血圧が[7079mmHg]の群をレファレンス群(参照群)と設定しました。治療による介入試験ではなく、登録者の経過を観察する手法が採用されました。

結果

対象者の平均年齢は、65.2歳、75%が男性で、57%が白人でした。収縮期血圧が高い群に比べて、低い群は、年齢が若く、痩せ型で、男性、糖尿病罹患がなく、喫煙者が多い傾向にあり、心筋梗塞の発症率が高く、経皮術施行率が高く、脳卒中率が低く、血中HDL-CLDL-C濃度が低めでした。拡張期血圧が低いかたは、年齢が高く、痩せ型で、女性、糖尿病、非喫煙者、LDL-C,HDL-Cが低い傾向にありました。平均血圧は、収縮期が133.7mmHg、拡張期が78.2mmHgでした。経過観察期間中、血圧の変動は、2mmHg以下でした。平均観察期間は、5.0年で、2,101人(9.3%)のかたが、主要評価項目の条件を満たしました。

収縮期血圧が120129mmHg群(参照群)と比較すると、
l  140149mmHgの群では、主要評価項目のハザード比(HR)は、1.5151%のリスク上昇)。
l  150mmHg以上では、HRは、2.48148%のリスク上昇)
l  120mmHg未満の群でも、HRは、1.5656%のリスク上昇)
l  J−カーブ効果」が認められました。

拡張期血圧が7079mmHg群(参照群)と比較すると、
l  8089mmHgで、HR1.4141%のリスク上昇)
l  90mmHg以上で、HR3.71271%のリスク上昇)
l  60-69mmHgで、HR1.4141%のリスク上昇)
l  60mmHg未満で、HR2.01101%のリスク上昇)
l  収縮期血圧で認められたのと同様に低過ぎによるリスク上昇を認める「J−カーブ効果」が認められました。

低過ぎる血圧によってリスクが上昇する「J−カーブ効果」は、「心血管死」「全死亡」「心筋梗塞」「心不全」では、認められましたが、「脳卒中」では、認められませんでした。すべての結果は、糖尿病、脳卒中の既往、心不全、血管再建術、慢性腎臓病の有無に影響を受けていませんでした。

ただし、加齢によって結果に違いが認められました(P<0.05)。
l  75歳以上の対象者」では、J−カーブ効果は認められました。しかしその内容に差が認められています。
l  120129mmHgグループと140149mmHgグループの間のHRには、有意な差を認めませんでした。
l  拡張期血圧では、60mmHg未満でのみ、HRに有意差を認めました。
l  つまり、収縮期血圧は、120149mmHg、拡張期血圧は、6079mmHgまで許容されるものと判断されました。

これまでの研究では、血圧が低い群は、登録段階で、すでに、重篤な心血管病や悪性疾患に罹患し、結果として死亡率が高くなったものだという懸念が残る、と指摘されてきました。つまり、血圧が低いから死亡率が上がったのではなく、余病があったから、血圧が下がっており、死亡率が上がるという懸念です。しかし、本研究の「クラリファイ研究」では(1)悪性疾患、薬物依存症の患者を除外しており、重篤な心臓血管病患者も除外してあること、(2)収縮期と拡張期の血圧が低いと、心血管病リスクが有意に明白に増大するという結果を認め、この結果は、末梢血管障害、心不全、左心室能、投薬状況によって影響されないことを明確にし、心不全患者を除外した解析でも同様の結果がえられていることから、この懸念は除外されたものと考えられます。

なんといっても「クラリファイ研究」の実臨床の現場で治療を受けている患者を対象に世界規模の大規模研究を行った点は、特筆すべきポイントでしょう。「スプリント研究」のような、2重盲見試験では、厳しい条件に合致したかたのみ試験に参加できる仕組みとなっていますので、実臨床で診る患者背景とは異なる印象を持たざるを得ません。

 今回の研究成果によって、実臨床では、特に「高齢者では」、冠動脈疾患の頻度も高く、血圧の下げすぎによって、リスクを与える可能性を考慮するべきであると判断されます。

ところで、「糖尿病や脳卒中の既往のある」高血圧患者の降圧リスクとして「Jカーブ効果」が認められるが、これらの疾病の合併がなければ、Jカーブは認めない、という考え方もあります。しかし、この点についても「クラリファイ研究」では、「糖尿病も脳卒中の既往は、バイアスにならない」ことを明確に示しています。ただし、「年齢」はバイアスとなることを明らかにし、「高齢者」には、より緩やかな血圧コントロールも許容されるべきである、という結果は、これまでの研究成果と合致し、受け入れやすいのではないでしょうか。

「スプリント研究」の、「収縮期血圧を、136mmHgよりも121mmHgにコントロールしたほうが、心血管イベントを抑制する」という点は、本研究「クラリファイ研究」の結果と相反しないとの考え方もあります。121mmHgは、「クラリファイ研究」で得られたJ−カーブの立ち上がりの値と考えても問題ないからです。

 重要なことは、上の血圧を、120mmHg以下にするのは、やめたほうがいい、ということではないでしょうか。

 「クラリファイ研究」は、観察研究ですので、結果として得られた心血管イベント数の精度、また個々の治療歴のばらつきが問題点としてあげられるでしょう。加えて、高齢者の高血圧について、臨床上しばしば遭遇する「上の血圧を下げると下の血圧も下がりすぎる」という症例の対処法についても疑問が残ります。上の血圧を120130mmHgにした場合、下の血圧は、70mmHg以下にしてもリスクは上昇しないのかどうか、今後のさらなる検討が待たれます。


 この研究から、血圧の下げすぎに注意をすることも念頭に置きながら、日常臨床を進めていく重要性を考えさせられました。