2017/11/08

第143回 愛し野塾 非侵襲的な脳深部刺激療法の開発


非侵襲的な脳深部刺激療法の開発

「脳神経疾患の治療を、人為的かつ精密な脳機能の操作によって行う」、というコンセプトのもと、研究者らによって様々な試みが行われています。脳は、知覚、運動、認知、行動など高次機能の司令塔です。しかし正常に機能するためには、安定した多数の神経回路の制御が、整然と維持されていなければなりません。特定部位の機能低下、及び亢進によって、神経回路が破綻すると、脳機能異常が生じ、結果として脳神経疾患の発症につながるのです。
病気の本体となる特定部位の同定によって、機能回復にとどまらず、完治を志すべく、脳科学の挑戦はまさにはじまったばかりです。従来、治療法の開発は、薬物療法を中心に施行されてきました。しかし、1,000億個もの神経細胞からなる脳です。薬物投与が行われれば、特定部位のみならず、病気の発症領域以外への影響が危惧され、副反応の観点から、未だ薬物治療には様々な意見があるところです。事実、パーキンソン病、てんかん、うつ病、本態性振戦、ジストニア、強迫神経障害などの病態は、薬物コントロールに難渋する症例が後を立たないのが現状です。
さて、欧米などで、薬物コントロールの困難な病態に、積極的に試行され始めたのが「脳深部刺激療法」です。発症に関わる脳深部の特定の部位に電極を挿入し、外部から刺激を与えることで、病気をコントロールするのです。その効果は絶大で、パーキンソン病の報告(1)では、病気の重症度を判定するスコア(UPDRS)を分析した結果、オフメディケーション時の運動機能は、治療後約5年で54%改善、日常生活の活動性は、48%改善、また要介護の方でも、自立して生活できるようになったという多数の症例が、すでに報告されています。ただし、深部脳に対する外科的処置があらかじめ必要なため、出血や、標的となる神経回路以外の回路への悪影響など、重篤な有害事象については未だ完全には回避できていない、というのが現状です。
このような背景から、非侵襲的な(外科術を要さない)方法で、刺激を脳に加える治療方法の開発が、各研究機関で競って施行されてきました。今回、驚くべき治療方法が開発され、NEJM9月号に取り上げられました(2)。オリジナル論文は、6月号の「CELL」に米国ボストンMITのグロスマン博士らによって発表されたものですので(3)、今回は、この論文について解説を加え検討をしようと思います。
[研究]
神経細胞には、活動電位が生じるごとに1msecの不応期が存在し、1kHz以上の非常に高い周波数で電気刺激をしても、神経細胞は、発火(活動電位を生み出す)しない、という特徴があります。この生理的特長を利用し、まず、理論的モデル化、及び物理的研究が展開されました。
「神経細胞が発火しない高周波刺激では、神経細胞は発火しない。しかし、2種類のわずかに異なる高周波で刺激すれば、その刺激の重なる部位では、高周波の刺激がキャンセルされ、周波数の差の刺激が神経細胞に伝わる」という仮説が立てられました。研究者らは、これを「時間干渉、Temporal Interference」と呼んでいます。理論的にも、基礎的データもまた、この仮説を支持するものでした。実験は、この仮説に則って遂行されました。
げっ歯類の脳に、高周波の電気刺激が与えられました。2.0kHzや2.01kHzの高周波の電気刺激を一箇所から与えただけでは、仮説通り、脳神経細胞の発火は観測されませんでした。次に、2箇所の別の部位から、それぞれ、2.0KHzと2.01KHzで電気刺激を与えると、電気刺激が交差する部位で神経細胞の発火が観測されました。2つのわずかに異なる高周波の電気刺激は、高い周波数(この場合2kHz)の刺激の効果は相殺され、周波数の差(0.01kHz)の刺激が伝達される、という、仮説を支持する結果が得られました。0.01kHzなら神経細胞の不応期よりも刺激間隔(100msec)が長くなります。
さて、この方法を用いて、脳深部にある「海馬」の刺激が試みられました。特定部位への刺激に成功し、かつ、海馬から脳の標的刺激部位までに存在する神経細胞(脳皮質)は活性化されず、脳深部のターゲットをピンポイントで刺激することが確認されました。
同じ2kHzの刺激を、2箇所、別の場所から加えても、神経細胞の発火は認められませんでした。また、「時間干渉法」を用いて、運動皮質を刺激したところ、対側の前足を人為的に動かすこともできました。
[安全性]
電気刺激を与えた脳に異常がないことが、免疫染色法によって確認されました(脳細胞の密度に変化がない、アポトーシスを起こした細胞が増えていない、シナプスの数に変化がない、グリア細胞の形態・数に変化がない)。脳の温度測定から、刺激による脳温度異常が生じないことも確認されました。
動物レベルではあるものの、安全性、効果共に問題ないことが明確に証明され、今後、実臨床への応用が強く期待されるものになりました。NEJMの中で、ロザノ博士(2)は、人体への臨床応用に向けて2つの克服しなければならないポイントを挙げています。一つ目に、げっ歯類の1400倍の容積となる人の脳では、時間干渉法の安全性は未だ疑問であること。二つ目に、時間干渉法には、特別な装置と人員を要し、これまでの電極植え込み法のような簡便性、利便性がない、ことです。しかし、これらはいずれも技術的な問題であり、検証が待たれます。
治療の難しい、パーキンソン病、てんかん、うつ病、本態性振戦、ジストニア、強迫神経障害を患う方々が、近い将来、時間干渉法によって、より安定したコントロールの下、豊かな日常生活を送ることができるようになればと、祈るばかりです。
 (1) Krack, P., Batir, A., Van Blercom, N., Chabardes, S., Fraix, V., Ardouin, C., ... & Benabid, A. L. (2003). Five-year follow-up of bilateral stimulation of the subthalamic nucleus in advanced Parkinson's disease. New England Journal of Medicine, 349(20), 1925-1934.
(2)Lozano, A. M. (2017). Waving Hello to Noninvasive Deep-Brain Stimulation. New England Journal of Medicine, 377(11), 1096-1098.
(3)Grossman, N., Bono, D., Dedic, N., Kodandaramaiah, S. B., Rudenko, A., Suk, H. J., ... & Pascual-Leone, A. (2017). Noninvasive Deep Brain Stimulation via Temporally Interfering Electric Fields. Cell, 169(6), 1029-1041.