2016/07/31

第80回 愛し野塾 自殺を思いとどませる信仰のちから


平成27年の統計から、自殺により命を落としたかたは、我が国では、24,000人を超えています。若い世代では、「自殺」は死因の一位でもあり、依然として深い悲しみを禁じ得ない状況です。わたしたちは、日本人として自殺を予防するあらゆる手立てについて、模索する責務があると思います。

一方、アメリカの白人女性に限定した最近の統計でも、1999年、10万人あたり自殺率4.7が、2014年の7.5へと、60%も増加していたことが報告され、一刻も早い自殺防止措置の実施推進が必要であることは、明白です。しかし、「自殺の予防因子」の研究はまだまだ端緒についたばかりです。

時代をさかのぼること、1907年。フロイトは、「信仰は、人間一般における強迫神経症と定義される。成長の過程で、人は宗教に背を向けることが必定となるが、宗教は、現実を忌避し、幻想世界に逃げこむ手助けをするシステムである」と著しており、「信仰を持つことは、自殺を思いとどまらせるのに有効かもしれない」、という一つの見方が生まれました。また、西洋諸国のなかでもキリスト教に代表される宗教のドグマには、「自殺は、愛する家族や友人に永遠の別れを告げさせるもので、悪とみなされる」という特性を有し、「信仰心は、自殺を思いとどめる潜在性を秘めているだろう」と考えられるようになりました。こういった背景から、「信仰」と「自殺予防」の関連性についての研究がさかんにおこなわれるようになりました。
ところで、既に行なわれてきた研究の問題点は、まず「自殺企図」や「自殺念慮」が分析対象となり、「自殺」そのものを勘案してきませんでした。さらに、前向き研究が難しく研究計画上、妥当性、信頼性に欠けることから、「自殺予防に信仰が有効かどうか」について、未だ推測の域を出ていないのです。したがって、この問題の解決には、「前向きのコホート研究」であることは明確なのですが、「自殺率」が値として小さいこともあり、統計学的な有意差を見いだす妥当性を十分に備えた結論を導くには、研究対象集団のサンプルサイズを<かなり>大きくすることは不可欠で、行き詰まっていたのでした。

そのような状況の下、2014年、米国ジョージメイソン大学のクレイマン博士らの論文でようやく、コホート研究が試みられました(Kleiman, E. M., & Liu, R. T. (2014). Prospective prediction of suicide in a nationally representative sample: religious service attendance as a protective factor. The British Journal of Psychiatry, 204(4), 262-266.)。

クレイマン博士らの研究の対象者数は、214人で、サンプルサイズは十分大きいと考えられました。彼らの研究によって「教会へ礼拝に赴く頻度が高いひとでは、自殺率は67%も低くなる」という結論がえられました。この結果は、信仰心は自殺を思いとどまらせる「自殺予防効果」がある、とそれまでの考え方を支持する結果を得ることが出来たのです。しかし、残念ながら、交絡因子となる、「うつ病者」の分析が脆弱であり、クレイマン博士らの研究の信憑性について、少なくない数の疑いの声があがっていたのです。

ところが、先月(20166月)、ハーバード大学のVanderWeele博士らは、クレイマン博士の調査研究の4倍を超える約9万人を調査対象に、「信仰と自殺」についてまとめ、発表したのです。VanderWeele博士らは、「うつ病」についても、交絡因子として調整した上で「頻繁に教会の礼拝に行く習慣のあるひとでは、約80%も自殺率が低くなる」という結果を報告し、あらためてこの命題について注目が集まっています。

VanderWeele, T. J., Li, S., Tsai, A. C., & Kawachi, I. (2016). Association Between Religious Service Attendance and Lower Suicide Rates Among US Women. JAMA psychiatry.

この研究は「ナースヘルススタディー」と呼ばれ、1976年に開始された大規模コホート研究です。対象は、30歳から55歳までの全米からリクルートされた121700人の看護師です。研究開始時から、ライフスタイル、及び健康医療情報について、2年ごとに質問表を用いて調査分析しました。1996年からは、礼拝参加の頻度について質問表による調査を加えました。自殺者数は、米国死亡者ファイル、国民死亡記録、血縁者からの情報提供をもとに確定しました。「自殺」は、国際疾病分類(ICD-8)によって鑑別されました。
交絡因子として、年齢、就労状況、アルコール依存症の家族歴、BMI,運動頻度、カフェイン摂取量、アルコール摂取量、喫煙歴、抑うつ症状の有無、疾患の有無(2型糖尿病、血圧、癌、高コレステロール血症)、収入、単身生活か否か、居住地域(東西南北の地域区分)、礼拝回数、社会統合スコア(婚姻状況、あるグループへの参加の有無、親友の数、親戚等で近しい人の数)が設定されました。

結果
対象者は、1997年の研究開始時は、89,708人でした。
<教会への礼拝について>
- 週1回以上参加する人が17028
- 週1度の参加する人が36488
- 1回以下の人が、14548
- 全く参加しない人が21644

大多数が、「カトリック」か「プロテスタント」の信者でした。礼拝参加回数の多いひとほど、抗うつ剤使用者は、少なく、同様に、非喫煙者、既婚者が多いことが分かりました。観察期間中36人の自殺者が認められましたが、礼拝参加回数が多くなるにしたがって、自殺者数が減ることを認めました。

1996年の段階でのサーベイで、週に1度以上礼拝に赴く人は、まったく礼拝をしない人に比較して、84%自殺率が低いことがわかりました。

また、この結果は、2000年のサーベイで施行した「社会統合スコア」、1998年に施行した「アルコール摂取量」、2000年に施行された「鬱病の症状」あるいは、「抗うつ剤の使用」を交絡因子として調整した場合でも、この結果は変わらないことがわかりました。
宗派による違いについて精査をしたところ、カトリック教の場合は、週に1度以上礼拝に赴く人は、まったく礼拝をしない人に比較して、95%自殺率が低いが、プロテスタント教の場合は、66%低くなることがわかりました。教義の観点から、カトリック教のほうが、プロテスタント教よりも自殺を忌み嫌うという特性があることにこの違いは起因するものと考えられます。

過去の研究から、礼拝回数が多いことは、すなわち、礼拝の参加者相互の社会的つながりが強化され、生きている事の「意味づけ」をしやすくなることが、自殺予防に効果があるのではないか、とされていました。しかし、今回、交絡因子として「社会統合スコア」を考慮して分析すると、その影響を受けないことがわかり、これまでの「礼拝に集まることで獲得される利益(自殺を思いとどまる)」という考え方は統計的には有意なものではないようです。同様に、アルコール摂取、鬱病の症状、抗うつ剤の服薬状況にも結果は影響を受けず、礼拝を通して教えられる「自殺が悪である」とする、教義が、自殺予防効果をもたらした、と考えるのが正しいようです。
一方で、今回の研究では、交絡因子として補正をおこなわなかった「パーソナリティ、衝動性、絶望の感情」といった人格に関する項目は、今後の研究に加えられるべき重要な検討課題となると思われます。

前向きの感情である「生きていることの意味づけや、目的、人生に対する楽観性、感謝の感情、寛大な気持ち」が、礼拝を重ねると高まり、潜在的な自殺願望抑止力を強化しているのだろうという意見もあります。

信仰心をもっているひとは、うつ病の発症が少ないということも過去の研究で報告されています。しかし、いったんうつ病に罹患すると、引きこもる傾向が強くなり、礼拝にいく回数も少なくなるでしょう。今後、うつ病のひとと向き合うとき、宗教心を持っているのかどうか、宗教行事にでかけているのかどうかなども加えて、自殺予防の観点から、注目していくことが必要になりそうです。ただし、日本で広まってきた仏教では、教義の中で「必ずしも自殺を罪としているわけでもない」ですし、また、歴史的に「切腹」や「殉死」「特攻」などに見られる、一部、自死を美学としてきた思想背景もあることは、「自殺したら地獄へ墜ちる」と教えられる西洋の文化的背景とは大きな違いがあることは明らかです。今回の研究の成果を我が国では、どのように生かしていくのか、家庭からアカデミックな立場から、議論すべき観点ではないかと思う所存です。