2016/07/12

第78回 愛し野塾 メチレンブルーが記憶を呼び覚ます?



理科の実験で使用された方もいらっしゃるでしょう。水溶液にすると美しい青色を呈する、染料としても知られている「メチレンブルー」には、記憶をアップする効果があるのではないか?と、昨今、注目されています。

メチレンブルーは、FDA認可を受けた医薬品として救急の現場でも重用されており、メトヘモグロビン血症の特効薬として汎用されてきた長い歴史があります。低容量のメチレンブルーは(Tolerability:有害作用が発生したとしても十分耐えられる)忍容性が高く、副作用が少ないことも知られています。メチレンブルーは、親油性という特性によって、高い細胞膜透過能を有し、細胞質内からミトコンドリア膜を透過し、ミトコンドリア電子伝達系に作用することで、エネルギー代謝を活性化させます。エネルギー代謝の活発な神経系のなかでも、特に「記憶」と関係する神経細胞への作用を介して、記憶力増強効果を及ぼすものとして注目されてきました。動物実験は30年前から開始され、すでに、メチレンブルーの記憶増強効果は各種認知試験で確認され、ほぼ確証が得られている段階です。

2014年には、ヒトを対象とした実験で、記憶増強効果があることがわかりました。

Telch, M. J., Bruchey, A. K., Rosenfield, D., Cobb, A. R., Smits, J., Pahl, S., & Gonzalez-Lima, F. (2014). Effects of post-session administration of methylene blue on fear extinction and contextual memory in adults with claustrophobia. American Journal of Psychiatry, 171(10), 1091-1098.

本研究では、42人の、閉所恐怖症と診断された患者を対象に、「閉所に入る」という行動学習を行わせ、恐怖を感じていた行動に馴化させ、閉所恐怖症が軽減、あるいは、消失するという「学習記憶」が増強されるのかどうかをみる試験(恐怖消去試験)が遂行されました。被検者には、ドアを閉めた部屋で<5分間の閉所に置ける恐怖消去学習>の直前に260mgのメチレンブルーが投与されました。6回の学習を終え1ヶ月経過後、別のドアを閉めた部屋で、恐怖試験が再施行されました。6回の学習後、<恐怖症が軽減した対象者>を比較検討すると、メチレンブルー投与群では、プラセボ投与群に比較して、30日後も恐怖レベルが低下しており、学習記憶の増強かつ持続効果が認められました(p<0.05)。一方で、<5分間の閉所に置ける恐怖消去学習>をおこなっても、依然として恐怖レベルが高い数値を示した対象者を試験30日後に分析した結果、プラゼボ投与群に比較して、むしろメチレンブルー投与群において高い恐怖レベルを認めました(p<0.05)。さらに、前述の恐怖軽減効果とは無関係に、認知機能増強効果の有無について、文脈依存記憶試験を用いて検討した結果、メチレンブルーによる、文脈記憶の増強効果(p<0.05)は有意に高いことが認められ、この結果は、閉所恐怖症のレベルとは無関係であることが証明されました。本研究の成果から、メチレンブルーにはヒトにおいても、記憶増強効果があると考えられるようになりました。

さて、今般、メチレンブルーがヒトの記憶を強化するメカニズムを、fMRI (functional magnetic resonance imaging)を用いて検討されました。その結果、脳の記憶に関与する特定の部位の活性化が見いだされ、注目されています。

Rodriguez, P., Zhou, W., Barrett, D. W., Altmeyer, W., Gutierrez, J. E., Li, J., ... & Duong, T. Q. (2016). Multimodal Randomized Functional MR Imaging of the Effects of Methylene Blue in the Human Brain. Radiology, 152893.

対象者は、 26人(22−62歳、プラゼボとメチレンブルー投与群とも、13人ずつで、平均年齢30歳、教育期間17年、右利き80%、30歳以上はそれぞれ3人ずつ、両群で均等に分布)で、無作為に、プラゼボ投与群とメチレンブルー投与群に振り分け、「注意の持続」と「短期記憶」に与える、メチレンブルーの効果について、fMRIを用いて調査されました。「注意の持続」の測定には、サイコモーター・ビジランス試験が用いられました。モニター上の光の点を映し出し、一時的に、その光を消します。このモニター上の光が消去されている時間が、「注意の持続」を要する時間と評価されます。消灯後、再び、同じ光を点灯したときにボタンを押す反応時間を計測します。一方、「短期記憶試験」では、「遅延見本合わせ課題」によって評価しました。ある図形(見本図形)を呈示し、一定の時間、その図形を画面上から消し(遅延期間)、その後、見本の図形と別の図形のふたつを共に画面でみせ、見本図形を言い当てた率を評価する記憶試験です。

サイコモーター・ビジランス試験中、fMRIによってメチレンブルー投与が、両側の島皮質の活性を有意に上昇(p<0.05)させることがわかりました。短期記憶試験中では、前頭前皮質、側頭皮質、後頭皮質において、それぞれの局所活性の顕著な上昇を認めました。またメチレンブルーを投与にすることによって、遅延見本見合わせ試験の正答率が7%増加しました(p<0.01)。一方で、サイコモーター•ビジランス試験における反応時間の改善は認められませんでした。本研究の実験結果から、低容量のメチレンブルーは、「注意の持続」と「短期記憶」を増強させる効果があり、この効果には、記憶に関与する脳の特定の部位が関与していることが示唆されました。脳の血流増大の関与について同じ条件下で検討した結果、メチレンブルー投与による同定された部位の血流増加は認められませんでした。この結果から、記憶増強に伴う脳特定部位の活性化は、血流増加に伴うものではなく、メチレンブルーによって生じたミトコンドリアにおけるエネルギー産生増強効果によるものではないかと推測されました。

本研究は、メカニズムを探求するためにfMRIを用いた神経生理学と心理学実験を組み合わせた大変インパクトのある報告でした。しかし、対象者数や対象者の年齢層には不満が残ります。もちろん、対象者ひとりあたりのfMRI画像から得られるデータ数が非常に多いことから、人数の少なさはある程度克服されているのかもしれません。しかし、汎用性まで考えると、今後はより多くの人数、かつ幅広い年齢層で検討され、データの妥当性が検証されることが望まれます。また、本研究は、メチレンブルーを単回投与のみのデータのため、今後は、メチレンブルー投与の容量、及び頻度と記憶増強効果との関連、また副作用等、忍容性についての検討が必要でしょう。本研究では、メチレンブルーの血中濃度が測定されていませんでした。血中濃度と記憶試験の結果との相関関係の有無にも興味が持たれます。薬物の代謝、反応性、忍容性は、年齢に応じて変わることが予想され、高齢者についての検討、また個々の腎機能、肝機能の関連についても検討が必要でしょう。

いずれにしても、メチレンブルー単回投与が、「注意」及び「記憶」試験結果の改善を認め、同時に記憶に関わる脳の特定部位が顕著に活性化される強い可能性を示したという事実によって、もはや人間の尊厳を脅かす記憶障害に対して、メチレンブルーが貢献することを期待せずにはいられないところであります。