2017/12/19

第150回 愛し野塾 大気汚染が運動効果に及ぼす影響


あらゆる大気汚染物質の中でも、粒径2.5μm以下の微小な粒子状物質「PM2.5」は、いったん吸い込むと肺の奥にまで達し重篤な健康被害をもたらすことが懸念されています。2010年には、米国心臓協会から、慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者への呼吸器系への影響、さらには心血管系への影響も大きい、といった声明が公表されています(1)。わずか数時間から数週間のPM2.5の短期暴露でも、心血管病に関連する非致死的、致死的イベントが誘発され、最も健康被害を受けやすいのは、老人と、いまだ診断のついていない冠動脈疾患、心臓病のかた、と明記されました。24時間あたりでPM2.5の平均値が10μg/m3上昇するごとに、心血管病による死亡リスクは、1日あたり0.4%から1.0%上昇し、米国では、PM2.5暴露による関連死が500万人中1日あたり1人と推算されています。2015年のPM2.5による全世界死亡数は、420万人と推定され、死亡順位の第5位にランクされました。PM2.5は、化石燃料の燃焼、とくに、主に工場等での産業活動、ディーゼルエンジン車の排気ガス、発電によって生じます。PM2.5の構成成分は、燃焼によって排出されるブラックカーボンなど、また硫黄酸化物、窒素酸化物、揮発性有機化合物に代表される様々なガス状大気汚染物質が、化学反応を経て粒子化したものがあります。これまで大気中PM2.5曝露と症状、呼吸機能、動脈スティッフネス(動脈壁の硬さ)との関係、 PM2.5の中のどの成分が人体に悪影響を及ぼすのか、その詳細についてなど、あらゆる調査が行われるなか、ロンドン、インペリアルカレッジのシンハレ博士らによって行われた、シンプルかつエレガントな手法を用いた研究成果が「ランセット」12月5日号に発表されました(2)。 
<研究>
健常者、COPD患者、虚血性心疾患患者を対象に、無作為・クロスオーバー法によって調査が行なわれました。ロイヤルブロンプトン病院の院内掲示で「健常者」を集め、「COPD患者」と「虚血性疾患患者」は、同病院などのデータベースを元にリクルートしました。COPD患者の条件は、60歳以上、一秒率が70%以下、予想一秒量が80%未満のとし、虚血性心疾患患者には、カテーテル検査による確定診断を受けた症例を対象としました。健常者及び虚血性心疾患患者には、COPDがないこと、全参加者は、最低過去12ヶ月間禁煙をしていること、COPD患者と虚血性心疾患患者は、過去6ヶ月間の容態が安定していることを条件としました。
実験エリアは、「高度な大気汚染エリア」として「ロンドンのオックスフォードストリート西端」が選択されました。このエリアは、一般車両通行禁止区間でバスとタクシーだけが通行可能かつ、ほとんどの交通車両は、ディーゼルエンジンで駆動しています。「大気汚染の程度が低いエリア」には、車両の通行のない「ハイドパーク」が選ばれました。歩行調査日に、いずれかのエリアの記されたカードをランダムに引き、当病院から電気自動車で、3km先にあるそれぞれの指定場所に集合し、参加者は午前11時から午後1時までの2時間それぞれのペースでウォーキングを行いました。歩行距離は約5km、2回目のウォーキングは、3-8週後に最初とは別の場所で行われました。
参加者は、健常者40人(男性19人)、年齢61.8歳、喫煙3.9パック年、非喫煙者65%でした。COPD患者40人(男性19人)、年齢67.6歳、喫煙36.7パック年、非喫煙者8%でした。虚血性心疾患患者39人(男性35人)、年齢66.9歳、喫煙9パック年、非喫煙者36%でした。
オックスフォードストリートは、ブラックカーボン、NOs、PM2.5、PM10、ウルトラファインパーティクル、騒音ともハイドパークに比較して有意に高いことがわかりました。温度と湿度に違いはありませんでした。歩行距離は、ハイドパークで2時間で平均4.78Km、オックスフォードストリートで平均4.62kmでした。
ウォーキング後の症状について、オックスフォードストリート歩行では、ハイドパーク歩行に比較して、COPD患者の咳のスコアは1.95倍(p<0.1)、痰のスコアは3.15倍(P<0.05)、息切れのスコアは1.86倍(P<0.1)、喘鳴のスコアは4倍(P<0.05)といずれも有意な上昇を認め、虚血性心疾患患者では、咳のスコアのみが有意に上昇(4.13倍、P<0.05)を認めました。健常者では、全てのスコアで2エリア間に差を認めませんでした。
ハイドパーク歩行後1時間以内に健常者の「1秒量」は有意な増加を認め(P<0.05)、歩行後5-6時間で、7.6%増加(P<0.001)、さらに最長観察時間である26時間で、3.6%(P<0.01)有意に増加を認めました。オックスフォードストリート歩行後の調査では3時間後に1回だけ1秒量の有意な増加を認めたのみで、他の時間帯では改善を認めませんでした。COPD、及び虚血性心疾患患者の歩行後の1秒量の変化は、健常者と似た改善傾向を示しましたが3-4%程度低い値でした。 
健常者の「努力肺活量」は、ハイドパークでのウォーキング3時間後に3.07%改善、5時間後で4.36%改善を認めたものの、オックスフォードストリートのウォーキング後では、いずれの時間帯も改善を認めませんでした。COPD患者、虚血性心疾患患者では、ウォーキング後6時間以内で、虚血性心疾患患者では26時間までそれぞれ改善を認めましたが、ハイドパークの方が、オックスフォードストリートでのウォーキング後よりもより優れた数値を示しました。末梢気道の状態を表す指標「R5-20」の値は、COPD患者のみ、ハイドパークでのウォーキング4時間後に、オックスフォードストリートに比較し有意な改善を認めました(P<0.01)。
動脈スティッフネス(動脈硬化)の進展を表す「脈波伝播速度」の結果は、健常者で、歩行26時間経過後、ハイドパークウォーキングでベースラインよりも7.17%の有意な改善を認めた一方で、オックスフォードストリートウォーキング後には悪化を示し、両群間に有意差を認めました(P=0.0007)。COPD、及び虚血性心疾患患者も同じ傾向を示し、26時間後に有意差を認めましたが、その改善程度は健常者に比較し小さいものでした。動脈スティッフネスの別な指標である「脈波増大係数」の結果は、健常者で、ハイドパークウォーキング歩行3時間後で、最大24.27%低下を認めましたが、オックスフォードストリートウォーキング後には有意な低下を認めませんでした。COPD患者、虚血性心疾患患者についても同様でした。動脈硬化に関する二つのパラメーターの検証によって、低強度から中強度の運動負荷であるウォーキングの「高い心血管イベント抑止効果」が示されました。しかし、この効果は大気汚染エリアではオフセットされてしまう懸念が示唆されました。この「大気汚染エリアでの運動は、期待される健康改善効果を抑制してしまう」という画期的な報告は「運動する場所」が健康に重大な影響を与えるという強いインパクトと、「環境と運動」についての新たな認識を与えました。
動脈硬化に及ぼす大気汚染物質及び騒音の影響を調査した結果、健常者の脈波伝播速度及び増大係数の悪化に有意に寄与する項目は、ブラックカーボンとウルトラファインパーティクルであり、PM2.5の寄与は認められませんでした。COPD患者も同様の結果が得られました。化石燃料の燃焼によって生じるブラックカーボンとウルトラファインパーティルが、PM2.5全体よりも動脈硬化誘発を促すことがわかりました。なお、心血管患者では、ガイドラインに基づいた薬剤投与が動脈スティッフネスを軽減させることがわかりました。COPD患者では、肺機能低下に及ぼすNO2、ウルトラファインパーティクル、及びPM2.5の関与が示唆されました。

<議論>
「適度な運動は健康維持・増進に効果をもたらす」という常識が、一部覆される「大気汚染の高い地域での運動は、かえって健康によくない可能性がある」という本研究結果には大変驚かされました。特に高齢者、COPD患者、虚血性心疾患患者は、大気汚染が危惧される都市部の交通混雑エリアでの運動は避け、公園や換気のよい室内での運動が推奨されることになるでしょう。また、現在PM2.5予報が、大気汚染のマーカーとして使用されていますが、肺疾患、血管病予防の観点から、ブラックカーボンやウルトラファインパーティクルの情報の提供も必要ではないでしょうか。たとえ、PM2.5が基準値以下でも、その構成成分であるブラックカーボンなどが高濃度では、体に与える負の影響は大きいと推測され、外出を控える、もしくは外出先を選ぶことができます。米国NYUのサーストン博士らの報告で、都市部に住む小児の喘息症例では、PM2.5全体ではなく、ブラックカーボンへの曝露が呼吸器症状を悪化させ、心血管病罹患率及び死亡率にも関与することが示されたこと(3)を合わせても、今回の結果は、化石燃料の燃焼による大気汚染対策の重要性を示すものとなりました。
本研究は、極めて短期間の調査で得られた結果ですから、今後はより長期の観察によって、心筋梗塞や脳卒中などの病態発症との関連性を明確にする必要があるでしょう。また、大気汚染が人体への悪影響を与えるメカニズムについて、リン脂質の酸化や酸化ストレスの関与が示唆され、今後はさらなる病態解明のためにリン脂質、酸化ストレスの評価も不可欠となるのではないでしょうか。
ディーゼルエンジン燃焼などによって発生する微小粒子状物質が及ぼす健康被害が具体的に明白となった以上、これら粒子状物質に特化した発生抑止政策の早急な展開が待たれます。

1. Brook, R. D., Rajagopalan, S., Pope, C. A., Brook, J. R., Bhatnagar, A., Diez-Roux, A. V., & Peters, A. (2010). Particulate matter air pollution and cardiovascular disease. Circulation, 121(21), 2331-2378.
2. Sinharay, R., Gong, J., Barratt, B., Ohman-Strickland, P., Ernst, S., Kelly, F., ... & Chung, K. F. (2017). Respiratory and cardiovascular responses to walking down a traffic-polluted road compared with walking in a traffic-free area in participants aged 60 years and older with chronic lung or heart disease and age-matched healthy controls: a randomised, crossover study. The Lancet. pii: S0140-6736(17)32643-0. doi: 10.1016/S0140-6736(17)32643-0. [Epub ahead of print]
3. Thurston, G., & Balmes, J. (2017). We need to “Think Different” about particulate matter. Am J Respir Crit Care Med. 2017 Jul 1;196(1):6-7. doi: 10.1164/rccm.201702-0273ED.