2016/02/24

愛し野塾 第60回 認知症発症率の統計的有意な減少


 
 
本国の認知症の患者数は、軽症のかたも含めると800万人といわれています。事実、特別養護老人ホーム(いわゆる特養)では、認知症患者さんであふれかえっており、待機登録すれども自分の順番まで待たされたり、緊急性の高いひとが出てくれば、後にまわされたり、悲惨な状況です。致し方ないことでしょう、平成274月から、症状の重い要介護度が高い人しか、特養には入れないシステムとなりました。こうした背景から、団塊世代が、後期高齢の年齢を迎えるようになると、介護施設、さらに介護者が足りなくなるのではないか、といった懸念を、メディアは連日報じ、我々の不安は増すばかりです。

さて、欧米では、1960年代、心血管病を発症する患者数がますます増大するという底知れぬ不安が蔓延していました。その後、疫学調査により、心血管病の発病率は減少している、という事実が明らかにされましたが、こうしたデータに基づいた事実を専門家が受け入れるのに10年もかかったといいます。集団で、かつ、命を脅かされるようなネガティブな思い込みは、トラウマのごとく深層心理に棲みつき、なかなかその思考パタンから逃れられないものです。現在では、心血管病はコントロールしうる疾患である、という合理的な考え方が全世界に広がっています。


今回ご紹介する論文は、認知症の発症率は、いまや、10年単位でみると20%と、劇的に減少傾向にあることを示している、という嬉しい驚きをもたらす内容です。実は、認知症発症率は2005年にすでに減少傾向にあることが報告されており、心血管病のリスク要因と、認知症のそれがクロスオーバーすることから、認知症の発症率低下は10年前から予見できていたはずだと歴史家は述べています。

 
Jones, David S., and Jeremy A. Greene. "Is Dementia in Decline? Historical Trends and Future Trajectories." New England Journal of Medicine 374.6 (2016): 507-509.

論文は、ニューイングランドジャーナルオブメディシンの211日号に報告されました。

Satizabal, C. L., Beiser, A. S., Chouraki, V., Chêne, G., Dufouil, C., & Seshadri, S. (2016). Incidence of Dementia over Three Decades in the Framingham Heart Study. New England Journal of Medicine, 374(6), 523-532.


対象となった被検者は、1948年に開始されたフラミンガム心臓研究コホートで、米国マサチューセッツ州フラミングハムの住民5209人です。「初期コホート」として登録されました。登録開始から、2年おきに、医師の診察、採血検査など、様々な検査が施行され、データが蓄積されました。1971年には、初期コホートの子孫とされるかたがた5214人が、「子孫コホート」として登録されました。子孫コホートは4年に1度検査を受け、トータル36年間経過を観察されました。初期コホートは、1975年から、認知機能検査を受け、1981年からは、MMSE検査を受けています。子孫コホートは、1979年から認知機能についての質問を受け、1999年からMMSE検査を受けました。


認知症は、DSM-IVの基準に基づき、鑑別診断され、アルツハイマー病と血管性認知症の診断には、それぞれ、NINCDS-ADRDANINDS-AIRENが用いられました。

教育レベルについて、初期コホートと、子孫コホートを比較すると、30年の経過の中で明らかな上昇が認められました。高校卒業の資格を持たない割合が、36%から5%へと劇的に減少していました。

また、糖尿病と肥満を除く血管病リスク因子も減少していました。収縮期血圧は、137mmHgから131mmHgに低下、拡張期血圧は、76mmHgから72mmHgに低下し、血圧の低下を認めました。喫煙率は20%から6%に低下していました。脳卒中や、そのほかの心血管病の発症頻度も低下が認められました。逆に、糖尿病は、10%から17%に増加、BMIは、26から28へ増加していました。

観察期間中、371名のかたが、認知症と診断されました。認知症として診断される年齢は、より高齢化するといった傾向がありました(P<0.001)1977年からの認知症発症率を比較検討すると、10年ごとの認知症発症率は、22%も有意に減少していることが分かりました(P<0.001)。アルツハイマー病の発症率の減少は、P=0.052と統計的有意差は認められませんでしたが、血管性認知症の発症については有意な減少を認めました(P=0.004)。認知症発症の低下に最も関連しているのが教育レベルの上昇であることが明らかになりました(P=0.03)。年齢、性別、APOE4遺伝子多型は、認知症発症との関連は認められませんでした(P>0.10)。高卒者のみ、認知症発症が10年ごとに23%と、減少率の有意な低下を認めました。血管病リスク因子、脳卒中の既往も、認知症発症リスク低下に関連性を認めませんでした。

対象者数が比較的、少ない研究であったことも理由の一つかもしれませんが、この研究では、認知症発症率低下に明らかに影響する因子として、「教育レベルの向上」のみの検出でしたが、今後、食事、運動、環境などの因子との関連について検証が必要でしょう。また、本研究では、コホートに含まれる人種に偏りがあります。被検者のほとんどがヨーロッパ系であり、他の人種にもこの結果が適用されうるのか、疑問が残ります。これは今後の研究の成果を待つほかありません。1961年から始まった日本の長期前向きコホート研究である、「久山町研究」に是非とも期待したいところです。

今回の研究で、明確となった認知症発症の減少と教育レベルの上昇との関係について着目して、直接的要因となる因子を分析すれば、認知症発症をさらに抑制しうる重点項目を見いだすことが出来るかもしれません。具体的には15歳から18歳といった思春期世代への教育の重要性をしっかり認識し、全国民が高校教育を義務教育として受けられるようにすることが重要だと考えます。

本研究では、血管病リスク因子のコントロールが血管性認知症予防に効果的であることを認め、動脈硬化予防の重要性が再認識されました。引き続き、血圧、血糖、脂質コントロールを継続し、禁煙率を上げ、適度な運動を促進し、バランスのとれた栄養摂取、を心がけることは忘れてはなりません。そして、糖尿病と肥満の蔓延を食い止める手だてを考えていくことは、国家レベルの施策として優先されるべきでしょう。

フラミンガム心臓研究コホートを用いた本研究から、認知症発症率は、「実は」、かなり大きく減少している可能性あるのだ、という認識がもてたことは、重要なことだ、と思います。国民ひとりひとりが普段の生活で努力していることが報われているといえるのではないでしょうか。自分も認知症にいずれなるのだろうか、と無意味に強迫観念にかられる必要はないでしょう。

ただし、この超高齢社会、発症率は減っても、認知症患者数そのものは増え続ける可能性は否めせん。介護保険によるサービスの充実が必要であることは論をまちません。