2015/10/10

愛し野塾 第42回 「腱」由来幹細胞から「腱再生」に挑戦する


アキレス腱の断裂は、痛み(個人差はあります)と身体の不自由をもたらす病気です。激しいスポーツ活動を行う運動選手だけではなく、30歳から50歳の方に障害の頻度が高く、運動習慣を持たない中高年の方が、週末や休日だけスポーツ活動に参加し、跳躍や体重をかけた踏み込み動作などに伴った急激なふくらはぎの筋肉の伸展にアキレス腱が耐えかねて、「ブチッ」と断裂に至るケースが頻繁なことからweekend warriors(週末戦士病)などとも揶揄されている障害です。

さてアキレス腱断裂の治療は、保存療法と手術の大きく二つに分かれます。保存治療では、ギブスや装具で固定することになりますが、手術によって生じる痛みはないとはいえ、長期間の回復時間を要しますし、治療後の再断裂率(再発)が高いという欠点があります。一方、手術治療は、成功率は高いとはいえ、数%には再断裂が生じますし、術後の固定を必要とし、ケースによっては術創の治りが悪く神経痛を訴える症例も少なくありません。なにより断裂した腱が元通りの力強さを蘇らせ、回復後も断裂しにくくなってくれたのならば、これほどいいことはありません。しかし、現在の治療法では一定の限界があることは認めざるを得ません。

さて、新しい治療法として、幹細胞を使って組織を修復することで、損傷を受けた腱を根本的に治癒させることを目的とした治療研究が俎上に乗ってきています。

様々な種類の細胞に分化できる潜在性のある「幹細胞」は、再生医療の分野で注目を浴びてきました。骨髄や臍帯血から採取された幹細胞は、その後、培養され、サイトカインや成長因子などの増殖・分化誘導因子による刺激を与えられることで、目的とする細胞に分化し、損傷した組織にもどされます。腱の修復にも、幹細胞が注目され、実験に供されてきましたが、残念ながら良い結果は未だ得られていません。腱以外の部位の細胞を使っても、腱特有の細胞環境に馴染めず、腱の修復には至らなかったこと不成功の原因としてあげられています。

今回コロンビア大学のリー博士らは、腱に存在する幹細胞を用いて実験を再施行し、見事に腱の断裂を修復することに成功しましたのでご紹介したいと思います。

 

Lee, C. H., Lee, F. Y., Tarafder, S., Kao, K., Jun, Y., Yang, G., & Mao, J. J. (2015). Harnessing endogenous stem/progenitor cells for tendon regeneration. The Journal of clinical investigation, 125(7), 2690. 

腱とは、「骨」と「筋肉」を結ぶ、コラーゲン豊富な結合組織でできた「支持体」です。筋の収縮・伸展する力を骨に伝える作用を持っています。一度断裂した腱は自然に元に戻ることはなく、修復しても正常腱組織ではなく瘢痕組織となり、細胞成分が過度に増殖したり、さらに腱に対し縦に並んでいるコラーゲンが不揃いに形成されたりすることで腱本来の持つ構造上の強度を取り戻せず、十分に機能を回復させることは難しいとされています。腱を構成する成分のうち腱の体積の5%を細胞成分が占め、細胞成分のうち1%未満という微量の細胞が、「幹細胞」です。この非常に少ない腱の幹細胞を培養すると、腱細胞に分化し、腱組織を形成します。

本研究は、この腱幹細胞を効率よく純度よく採集する方法の確立から検討が行われました。腱幹細胞に特異的に発現している細胞表面マーカーであるCD146抗原発現細胞を標的として、セルソーターによって標的細胞である腱幹細胞を分離しました。分離採集された腱幹細胞は、結合組織増殖因子(CTGF)を添加され、採集細胞数の20倍に増殖させるだけではなく、CTGFを持続添加することによって、腱幹細胞はその表現型(CD146抗原+)を2週間維持されることが確認されました。ただしCTGFが欠失すれば増殖された幹細胞の表現系(CD146抗原+)もまた消失することが確認されています。

その後、培養皿上のフィブリンゲル(細胞の生存および増殖に有用な培地として医療利用されているゲル)にCTGFを添加した培地上で、採集された腱幹細胞を暴露すると、細胞内FAK/ERK1/2のシグナル伝達経路が活性化し、正常の個体同様に、コラーゲンの結合組織を形成する腱細胞に分化することが確認されました。こうして、この「腱幹細胞・分離―培養システムの確立」によって、生体内での腱組織再生への効果が期待されました。

そこでリー博士らは、10万個の腱幹細胞+フィブリンゲル+CTGFを、ラットの膝蓋骨の腱内に埋入実験を行いました。

結果は、仮説どおり、移植後2週間で、断裂した腱の部位に、断裂前の腱と同様にコラーゲン結合組織の形成が確認され、1)構造上の問題を乗り越えることに成功しました。さらに2)断裂前とほぼ同じ強度を取り戻し機能的な回復を示唆する結果が得られました。

率直な印象として、成功の秘訣は、ラットの膝蓋骨から腱の細胞を分離し培養皿で増殖させましたが、コロニーを形成する能力が、「幹細胞では非幹細胞の70倍あった」ということが純度よく腱幹細胞を採集できたおおきな要因だろうと思いました。

アキレス腱損傷は、様々なスポーツのトップ選手らの選手生命を脅かす深刻な「スポーツ傷害」というだけではなく、生涯スポーツの観点からも、その回復は、個々人の生活の質にも大きく影響するものです。このアキレス腱の再生治療法が、早期に臨床応用されることが求められてきました。リー博士らの研究はそれを実現するための大きな一歩となったわけであう。ただしヒトに臨床応用するとなると次のようなクリアすべき様々な問題が挙げられます。

  1. ヒトの腱組織から採集し得る、腱幹細胞の数を明らかにすること。
  2. ヒトアキレス腱の断裂修復に十分な細胞数を明確にすること。
  3. ラットの培養実験同様に、ヒト腱幹細胞が順調に増やせるのか?もしくは、増殖条件の検討の必要性の有無。
  4. 幹細胞実験が長期に及ぶことで癌細胞増殖の懸念の払拭。
  5. 現在の治療法と比較して治療成績(運動機能・腱構造・腱強度など)の改善が認められるのか。

臨床応用のためには、こうしたいくつかのハードルを厳格な評価の下、乗り越えなければなりません。しかし、腱のような「硬い」「特殊な組織」で、その「組織に存在する幹細胞」を用いて、再生医療に供するといった新規性の高い発想をもとに、腱断裂の修復に成功したことは、動物実験とはいえ、大きな飛躍に違いありません。今後の検討が期待されます。