2015/12/14

愛し野塾 第50回 睡眠とアルツハイマー病

睡眠とアルツハイマー病

国内のアルツハイマー病患者さんの数は、軽症のかたも含めると、800万人もいると推算されています。大変患者数の多い疾患であるにもかかわらず、いまだに根本原因がつかめず、日常臨床の現場では、現時点でも手探りの治療が続けられています。アルツハイマー病の主症状としては、認知機能の低下が著しく、特に徘徊や排泄に関わる問題で、患者さんを取り巻く家族や、介護に関わるひとびとは、日々相当な苦労をされています。脳卒中や心筋梗塞などの疾患は発症の予防策として、高血圧、糖尿病、脂質異常の治療が、効果的であるというのに、ことアルツハイマー病の場合、日常生活のなかで「この数値に注意したら予防できる」という確立したものがなかなかみあたりません。

さて、アルツハイマー病患者さんでは、高い割合で睡眠障害を認めることが様々な信頼性のある疫学調査から明らかとなっております。最大で、45%ものひとに認められることという結果もあるほどです。そういった背景もあって、昨今のアルツハイマー病の不眠研究は大変盛んになってきました。睡眠障害が、アルツハイマー病特有の認知力低下を誘発する黒幕であるという仮説が出てきました。


本年7月号のNature Neuroscienceのカリフォルニア大学バークレー校のマンダー博士らによって発表されたレポートは、不眠黒幕説を科学的に裏付ける説得性のあるものでしたのでここにご紹介したいと思います。

アルツハイマー病の一つの特徴は、記憶力の低下であり、すなわちこれは脳内の記憶センターとされる「海馬」と呼ばれる部位の機能低下といい換えることができます。遺伝性アルツハイマー病に関するこれまでの精力的な研究から、原因遺伝子群が明らかにされました。それらの原因遺伝子の遺伝子変異が、ベータアミロイド産生を増加させることがわかりました。これまでの研究によって産生され、蓄積されたベータアミロイドが海馬の機能低下に深く関わっていることは確かなようです。しかしながら、ベータアミロイドの蓄積にが、どういったメカニズムを介して海馬の機能を悪化させるのかは、長い間、不明のままでした。ベータアミロイドに注目した治療が頓挫している現状では、ベータアミロイドが作用するプロセスに的を絞って、治療及び予防の可能性を追求したいというアイデアが、専門家に広まって来ているのも事実です。

今回ご紹介する論文では、このプロセスに影響を及ぼしている要素として、睡眠障害を想定しています。特に、最も深い眠りである「ノンレム睡眠の徐波活動」が、βアミロイド蓄積によって、破壊される可能性の有無について検討されました。

この「ノンレム睡眠の徐波活動」は、記憶強化に著しく重要であることが明らかになっています。この特定の睡眠部分に注目した背景には、すでに明らかにされたメカニズムがあります。すなわち、ベータアミロイドは初期アルツハイマー病では、脳皮質でありノンレム睡眠の徐波活動のジェネレーターとみなされているmPFC(内側前頭前皮質)に沈着することが知られています。マウスの脳内にベータアミロイドを人為的に増やすと、ノンレム睡眠が障害を受けること、高齢者では、ベータアミロイドの脳皮質への沈着の程度が睡眠時間の低下や、睡眠の質の低下とよく相関することが知られているのです。

実験では、26人の平均年齢75.1歳の老人(女性18人、平均教育期間16.5年)を対象に、ビッツバーグコンパウンドBを用いたPETスキャンを施行し、脳内のベータアミロイド沈着量を算出しました。認知機能はMMSE試験で評価されました。対象者は、30点満点中、平均29.5点をとり、認知機能は保たれたかたでした。平均睡眠時間は、8時間42分でした。意味のある言葉と、アルファベットを無作為に羅列したもの、を対にして、覚えるという課題(対語記憶課題)、120対を睡眠前に行いました。課題の評価は、記憶後10分の睡眠前と睡眠後の2度行い、一夜の記憶保持能力を計算しました。睡眠後の課題評価時に、海馬のfMRIを施行しました。睡眠は、睡眠ポリグラフ検査法が用いられ、ノンレム睡眠の徐波活動を検出し、分析されました。

結果は、mPFCアミロイド沈着量は、睡眠時間に占めるノンレム睡眠の中でも、0.6から1ヘルツまでの非常にゆっくりとした徐波活動の時間の低下と正の相関関係にある(P=0.031)ことがわかりました。つまり、mPFCのアミロイド沈着量が多いほど、ノンレム睡眠の徐波活動の占める時間は低下していました。しかし、mPFCのアミロイド沈着量と徐波活動の中でも1ヘルツから4ヘルツまでのやや早めの活動が占める時間との間に相関関係は認められませんでした(P=0.067)。mPFCアミロイド沈着量とノンレム睡眠時の徐波活動時間に認められる相関関係は、他の交絡因子として想定される、年齢、mPFCの容積、性別による影響は受けていないことが示されました。さらに、脳の他の部位である側頭葉、後頭葉、頭頂葉のアミロイド沈着量と、徐波活動の占める時間との間に相関関係はなく、mPFCのアミロイド沈着量とレム睡眠時間の比率との間に相関関係に認めませんでした。こうした分析結果から、mPFCに生じるアミロイド沈着は、ノンレム睡眠の徐波活動を特異的に抑える可能性が示唆されたのでした。

さて、次に、ノンレム睡眠が及ぼす海馬依存性の記憶力への影響について検討が行われました。対語記憶課題という方法によって、記憶力が評価されました。その結果、ノンレム睡眠の徐波活動が占める時間が長いほど、記憶力が上がることがわかりました(r=0.5, p=0.019)。この結果も、年齢、性別などの交絡因子によって、影響を受けないことも確認されました。mPFCのベータアミロイド沈着量が与える、海馬依存性の記憶力への影響について精査された結果、アミロイドの沈着量が多いほど、記憶力が低下することがわかりました(r=-0.47, p=0.02)。

さて、こういった結果から、mPFCのベータアミロイド沈着が、海馬依存性の記憶力低下に関与しているようですが、このプロセスは、ノンレム睡眠の徐波活動における負の効果を介したものかどうか、について数学的モデルによって、検討が行われました。そのため二乗平均平方根誤差、適合度検定、ベイズ情報量基準の手法が用いられました。結果は、ベータアミロイドの沈着は、直接、海馬依存性の記憶力低下をもたらすのではない、ということがわかりました(標準回帰係数は0.16で統計的有意差なし)。ベータアミロイド沈着徐波活動低下記憶力低下というプロセスモデルが、有意に適合していることがわかりました(P<0.05)。この研究から、脳の特異部位であるmPFCへのアミロイド沈着が、睡眠障害を引き起こし、その結果として、記憶力低下が生じるという可能性が高まってきました。

この研究のドローバックは、なんといっても、統計的処理に伴う、相関関係によるデータをもとにした、少数の患者さんの横断的研究であることです。得られた結論の精度をあげるためには、より多くの患者さんを長期的に経過観察することが大きな課題となるでしょう。特に、重要な結論であるベータアミロイドの沈着、徐波活動の低下、記憶力の低下が、「時系列で生じているのか」は、経時変化を分析しなければ、確定的なことはいえないでしょう。数学モデルによるシュミレーションだけでは「理論上の」仮説の域をでないでしょう。

 動物モデルでは、「不眠」は、脳からのベータアミロイドの除去を妨げ、蓄積の原因となることが知られています。今般の研究から、アルツハイマー病の初期の段階で、脳のmPFCにベータアミロイドが蓄積し、睡眠障害を惹起するのだとすれば、翻って、この睡眠障害が、ベータアミロイドの蓄積に拍車をかけるという悪循環を招き、多量のベータアミロイドが脳に蓄積するということが想定されます。将来的に、ノンレム睡眠時の徐波活動を活性化する方法が見いだされれば、この悪循環を断ち切り、アルツハイマー病治療の突破口となるかもしれません。

また、睡眠障害の検査を定期的に行うことで、アルツハイマー病の進度を評価することができるようになるかもしれません。徐波活動の低下を睡眠検査によって検出することで、記憶力低下の前兆をキャッチできるようになるかもしれません。


この論文を読んで、アルツハイマー病を予防するには、一にも二にも、良質な睡眠をとることを勧めたいものだと感じております。午後は、コーヒーやカフェインの入ったお茶類は避け、睡眠前にはリラックス出来る状態をつくり、決まった時間に布団に入る。忙しくても、寝ることも重要課題、と最低でも6時間は寝るように心がけたいところです。睡眠はトラウマになるようなネガティブな記憶についても、和らげる効果がありそうだということも脳科学では分かってきました。枕やマットも自分にあったものに工夫するのもひとつですね。「健全な認知」を維持する、また改善するために、睡眠生活を見直してみませんか?皆さん、いかがお考えでしょうか。

2015/12/02

愛し野塾 第49回 自閉症スペクトラム(ASD)の性差の話題


自閉症スペクトラム(ASD)は、社会性の欠如、コミュニケーション能力の低下、限定的な興味・パタン化した反復行動を特徴とする症候群ですが、女性に比して男性に有意に多いのが特徴とされます。この発症比率の男女差は、医療サイドも家族サイドもアプリオリに受け入れており、性差が生じる原因の追求は見過ごされてきました。しかし女性の割合が男性の約4分の1とあまりにも低いのは、実は診断過程で女性のASDが見過ごされているのではないか?という議論が専門家のあいだで広まってまいりました。この低い女性の発症率には診断上のバイアスがあるかもしれないという指摘です。


さて、このバイアスの存在について議論すべく、2014年10月ASD擁護団体の「自閉症スピークス」と自閉症科学財団が主催した会議に、医師、家族、自閉症のかたが集まりました。そのサマリーが公開され、注目されています。


これまで、米国を中心とする様々な国で行われてきた多くの疫学調査から「男性:女性のASDの比率は、4対1」というのが汎用されてきました。ASDだけではなく、注意欠陥多動障害も男性に頻発していることもあり、発達段階で認められる行動障害に、性差が生じるのは当たり前なことだと、特別な議論なしに定説として受け入れられてきてしまった可能性も指摘されました。事実、過去の調査・研究では、ASD男女比は、その診断基準によって、2対1から7対1まで幅があることも知られており、鑑別診断の男女比率が安定しない原因を探求することは、女性のASD診断の精度を上げる上での手がかりになるといわれ始めました。女性の低いASD診断率の原因として、「知能指数によるバイアス」が挙げられます。知能指数が低いコホート研究では、発症の性差が低く、知能指数が高いコホート研究では、性差は大きくなるといった傾向が認められます。また、ASDと診断された女性の知能指数は、男性より低いという結果が、この問題をさらに複雑にさせています。一方。ASDの兄弟研究では、高機能自閉症かつ、若年者集団の調査で、性差が大きくなる傾向を認めています。


こうした事情を勘案すると、性差の問題は、知能指数が交絡因子として関与している可能性が高く、診断上のバイアスとなっていることは認識すべき問題点ではないでしょうか。


セルフ・アドボカシーの観点から「ASDでは、早期、かつ正確な診断による本人・周囲の認知は、必要欠くべからざるもの」という提唱は、より早期の治療・介入が顕著な効果をもたらすという数々の報告からも説得力があります。診断の遅れ、見逃し、放置、によって本来ならば改善の潜在性をもつASDのかたでも、不適切な環境のなかで発育し、社会生活に馴染む機会を逸してしまうかもしれないのです。今後、知能指数の良し悪しに惑わされることなく、女性ASDの鑑別診断法を見直し、整備していく必要があることはいうまでもありません。


さて、「知能指数」というバイアスによって生じる女性のASD診断の困難さ、を差し引いたとしても、男女比は、顕著で、それは2対1から、3対1くらいの間だろう、ということで意見は一致したようです。


ASD発症には性差が存在することは繰り返し議題に取り上げられました。議論の中でも、「女性には、自閉症発病を予防する機能がそなわっているのではないか」、とする仮説が注目を集めました。


女性のASD発症には、男性のASD発症に比べて、より多くの発症リスク因子を必要とする仮説です。これを裏付ける科学的証拠として、女性ASDでは、男性ASDに比べて、遺伝子異常が多いことがあげられています。特にコピー数多型(CNV)がより多く認められます。また、こういった遺伝子異常は、ASDでない父親からよりも、ASDでない母親から、より受け継がれやすいことも分かっています。さて、ASD女性のほうが、より発症リスク因子を有しているならば、すなわち、その親もリスク因子を有するということが想定され、兄弟のASD発症率の上昇がおのずと予想されるのですが、疫学調査では、女性ASDのかたのシブリング(兄弟・姉妹)にASD発症率が多いといった明確な結果は未だ得られておらず、この点は、まだリサーチの余地がありそうです。


知能指数が正常範囲を示す女性ASDに特徴的なのは、男性ASDに比較して、社会活動がより活発であることです。これまで女性ASDは男性ASDに比べて、繰り返し行動が少ないとされてきましたが、どうやらそれは誤りで、むしろ、繰り返す「行動の種類が異なる」という表現のほうがより説得力があると感じます。一例を挙げれば、どこに行くにも使い古した本を持ち歩き、常に読書をしている女性はASDの繰り返し行動の疑いをもつべきだと示唆されています。また人形や赤ちゃんに過剰な(執拗な)関心を抱いている様子が、いわゆる「ごっこ遊び」と混乱され、繰り返し行動が見逃されている場合もある、としています。

医療者側が、こういった個性的な性癖の一部として見過ごしてきたことを、常同性のある繰り返し行動として疑いをもつことのできる「眼」を養うために、高度専門的なトレーニングが必要でしょう。男性だけではなく女性ASDのかたの治療・介入を多数経験することが必要である、とレポートでは結論づけています。


こうした議論によって注目された「女性ASDに認められる徴候が男性のASDとは異なる」という強い仮説から、女性ASDの診断そのものがつけられていないケースの存在を疑うことは必須でしょう。男性の場合、比較的明らかに他者とは異なる多動や攻撃的な行動が見られやすいので、医療機関を受診するきっかけも多く、診断を受け易いといえるでしょう。しかし、女性のASD患者で、「知能指数が70以上」、かつ「社会性がある」と医師が診断すれば、ASDではないと認識され、本来必要だったかもしれないASDに適切な治療・介入を受ける機会を逸すケースは多数存在する可能性があるのです。正常な発達段階で認められる男女差によって、ASDに認められる基本障害が発見しづらくなるという可能性も指摘されました。ASDで知能指数の高い女性は、言語能力も高い傾向があるのですが、これは実は、発達段階における言語能力獲得の、成育上の男女差による状態かもしれません。


発達段階において同年齢では、女性は男性に比較すると、言語獲得能が高いというだけではなく、記憶、認知能、話し言葉の流暢さ、社会的コミュニケーションも一見、高い傾向があるといった「性差」が、女性ASDの症候をあいまいにしてしまう要因となりうると報告では指摘しています。また、親・先生、また医師のもつ男の子と女の子では、社会コミュニケーションや遊び行動に対する偏った期待感は、ますますこの問題を複雑化させ、そういった思い込みも低い女性ASDの診断率に拍車をかけていることも厳しく指摘されました。


研究レベルでも、女性のASD患者が、ASDではない女性と比較されることはなく、そのケース数の多さから結果としてASDではない男性に生じる徴候を基準として比較され診断に至ることから、発達過程における行動様式の性差が診断に及ぼす影響は想定以上ではないか、と見直されています。ASDのセルフ・アドボカシーから、医療側がASD障害者との日常でのふれあいをもっと増やすようにすることで解決できる問題が沢山ある、という提言はもっともなことだと思います。女性ASDの方では、仕事につける、しかし仕事が続かない傾向があります。その要因も実は明らかにされていません。医療者や専門家が一緒に職場で過ごす中で、その要因を見つけ出し、仕事のトレーニングに適切な手法を見出していくことも必要でしょう。女性ASDの場合、男性との性的関係についての研究も端緒についたばかりです。今後はこの会議での議論をもとに、女性ASDのかたが適正な環境の下、フェアに力を発揮でき、社会進出しやすい環境が整備されることを望みます。


Halladay, Alycia K., et al. "Sex and gender differences in autism spectrum disorder: summarizing evidence gaps and identifying emerging areas of priority." Molecular autism 6.1 (2015): 1.




2015/11/19

愛し野塾 第48回 がん細胞・標的とすべき遺伝子の話

がん細胞

憎きがん細胞を撲滅させるには、がん細胞の成り立ちを熟知することがまず先決です。具体的には、正常な細胞から、どのようにしてがん細胞が発生・分化・増殖するのか、そのメカニズムを解明することが必要となります。


30年ほど前、癌遺伝子やがん抑制遺伝子の連続的な変異によって、がん細胞は生じるという仮説が確立されました。癌遺伝子とは、細胞の増殖に寄与する遺伝子で、遺伝子の変異によって、細胞は無限の増殖能を獲得し、がん化していきます。がん抑制遺伝子に変異が起きると、今度は、増殖のブレーキが効かなくなり、同様に増殖能力が高まり、がん化するのです。しかし、さらに具体的にいえば、こうした遺伝子のうちの一個のみの異常で、細胞はがん化するのか、それとも遺伝子の変異は複数必要なのか、複数であればいくつの遺伝子変異ががん化には必要なのか、さらに、遺伝子の変異する順番は重要なのかが長らく明らかにされてきませんでした。がん化に関わる遺伝子の異常の詳細が明らかになれば、特定の遺伝子をターゲットにした治療が、癌の「根本治療」として確立するという仮説のもと、こうした研究はがん研究領域において最も重要とされてきました。

さて、現在までに、遺伝子工学の技術的革新によって、22000個にも及ぶ癌のすべての遺伝子配列が同定され、300万個以上の遺伝子変異が登録されています。癌に特別に生じた遺伝子の変異は、何千にも及ぶことが知られていますが、実は、腫瘍細胞に、増殖の利点を与える遺伝子変異のことを、「ドライバー(運転手)遺伝子」の変異と呼び、実際このドライバー遺伝子は、わずかな数にしかすぎず、そのほかの遺伝子は、「パッセンジャー(乗客)遺伝子」と称され、偶然生じた遺伝子変異に過ぎないことが分かってきました。ドライバー遺伝子と命名されたものは200個ほどあり、全体の遺伝子の1%とされます。

成人の固形癌に限れば、わずか「3個」のドライバー遺伝子の異常が、正常細胞を癌化させるのに必要十分であることが分かってきました。それぞれの遺伝子が、「突破」「拡大」「浸潤」の3段階の癌化に決定的な働きをします。「突破段階」は、一個目のドライバー遺伝子の異常を惹起し、これによって細胞の異常増殖が開始します。臨床の現場で異常として診断されるまでには、長い年月を必要とし、一例としては、子宮頸癌健診で異形上皮として発見されることがあります。異常増殖によって、ある一定の細胞数を獲得すると、「拡大段階」に突入する能力をもつようになります。それは、2段階目のドライバー遺伝子に異常が来されることによります。これによって、細胞は酸素や栄養が不十分な過酷な細胞環境でも、成長することができるようになります。これが良性腫瘍とよばれる状態です。さらに進んで3段階目のドライバー遺伝子に変異が生じ、「侵襲段階」に達すると、正常細胞の中で増殖するようになり、悪性細胞と呼ばれるようになります。
こうした現象について、大腸がん、子宮頸部がん、膵臓がんで次々とその詳細が明らかになってきましたが、今回、<悪性黒色腫>でも、どの特定の遺伝子が具体的に「突破段階」「拡大段階」「侵略段階」で暗躍するのかが判明しました。

カリフォルニア大学サンフランシスコ絞のシャイン博士らが、37個の原発性悪性黒色腫と、その前段階の病変の150部位から組織を得て、293個の癌関連遺伝子を調査検討し、BRAF,TERT,CDKN2Aとよばれる遺伝子群が、それぞれの段階の主要なプレーヤーであることがわかったのです(N Engl J Med 2015; 373:1926-1936November 12, 2015DOI: 10.1056/NEJMoa1502583

ここまで明らかとなると、さて、こういったがんの撲滅法として、それぞれの癌で、判明した「3つのドライバー遺伝子に対抗する抗がん剤の同時使用」が有効となることが期待されます。さらに今回の研究から、悪性黒色腫の発症に関係する遺伝子について、紫外線による影響を受けやすい遺伝子であることが判明し、従来から指摘されているように、長時間紫外線を浴びることを避けることは、予防の観点からがん発症抑制に有効であることが確認されました。


癌研究も,遺伝子の立場から、いよいよ本格的に治療への道が開けてきている、そのように感じています。

愛し野塾 第47回 高血圧再考


世界の高血圧患者数は推定10億人、また日本国内では、推定4000万人とも言われています。米国では約7000万人の患者がいるといわれ、まさに高血圧大国といえるでしょう。ガイドラインにしたがうと収縮期血圧140mmHg以上、拡張期血圧が90mmHgの場合に高血圧と診断されます。

日常臨床で最も多いのは「血圧の患者さん」といっても過言ではないでしょう。血圧が高いことで、頭痛や動悸などの症状が認められる場合も少なくありませんが、そのほとんどは、無症状です。健診で指摘されたり、家庭血圧での測定で気づいたりすることが多く、血圧自動測定器が市役所、体育館、公衆浴場などのあらゆる場所で設置されている日本ならでは、の利便性が高血圧の早期発見・早期診断に役立っているといえるでしょう。

一方で、高血圧について、テレビや雑誌等のメディアで特集されることも頻繁で、様々な情報にさらされているうちに、「さて、いったいどの値に血圧を下げるのが適切なのか」、と戸惑いを覚えることもあるようです。具体的には、収縮期血圧を、140mmHgを目標とするのが最適か、130mmHg150mmHはどうなのかという疑問です。こういった困惑の背景には、処方薬によって血圧を下げすぎてしまったら何らかの副作用が起きるのではないか、という不安、また薬はできるだけ減らしたい、と考える患者さん側の要望があるのでしょう。

少し前まで、学界では、血圧は、下げれば下げるだけ、心血管に及ぼす影響は良好であり、したがって、血圧は出来るだけ下げたほうが良いとの考え方が支配的でした。こうした考え方のもと、行われたのが、糖尿病患者さんだけを相手にした大規模臨床試験「ACCORD」でした。収縮期血圧の目標値を<133mmHg>にした群と<119mmHg>にした群を比較して、当然後者(119mmHg)に良い結果がもたらされるはずだ、という希望の混じった予測をもって施行されました。しかし、結果は、予想外。両群間で、心血管イベントの発症率に違いはなく、それどころか腎臓などへの副作用が強く血圧を下げた群で有意に多かったことから、特段、糖尿病患者さんについては、血圧の下げ過ぎは禁物で、133mmHgが最適であるという結論が示唆されました。その後、その他の臨床試験の結果も合わせて、最近では、血圧はやや緩めのコントロールでよい、特に、高齢者では、150mmHg以下でよい、という考え方が広がり、日本のガイドラインでも、「後期高齢者は、150mmHgを目標とする」「糖尿病の場合は、130mmHgを目標とする」と示されています。まずは妥当な判断と考えられます。

2015年11月、糖尿病、脳卒中の既往がなく、施設入所している高齢者を除外した高血圧患者、9361人を対象に、<血圧はやや緩めでいいという最近の風潮>に真っ向からチャレンジした、血圧を140mmHgにする群(標準治療群)と120mmHgにする群(強化治療群)の2群を比較するという、大規模臨床試験「SPRINT」の結果が発表されました(A Randomized Trial of Intensive versus Standard Blood-Pressure ControlThe SPRINT Research GroupNovember 9, 2015DOI: 10.1056/NEJMoa1511939)。昨今の風潮からすれば、当然、血圧を下げすぎの群に悪い結果が出ると予想されていたのですが、その結果が余りにもインパクトがあり予想外のものだったため、多くのメディアでも取り上げられ、今後のガイドライン改定に大きく寄与することが見込まれることから愛し野塾で取り上げることにしました。

この試験の対象者は、平均年齢67.9歳で、そのうち女性の割合が35-36%でした。スタチン使用者は、約40%、アスピリン使用者は、約50%でした。BMI29.9と対象者には肥満のかたが相当数含まれていました。

試験開始時収縮期血圧は、「139.7mmHg」でしたが、1年後、標準治療群では、「136.2mmHg」、強化療法群では、「121.4mmHg」と血圧は降下しました。心血管イベント(心筋梗塞を含む冠動脈疾患、脳卒中、心不全、心血管病に伴う死亡)の発症率は、1年あたり、強化療法群で1.65%、標準治療群で、2.19%で、強化療法群で顕著に低く(p<0.0001)、25%の発症率低下が認められたため、5年を予定していた臨床試験は、3.26年で中止となりました。全死亡も強化療法群で27%の有意な低下が認められました(p=0.003)。結果は、75歳以上でも75歳未満でも差は認められず、年齢にかかわらず、降圧目標をより低く設定した群で、良い結果が得られたのです。

しかしいいことばかりではありませんでした。低血圧、意識消失発作、電解質異常、急性腎臓障害、腎不全は、強化療法で明らかに多かったのです。特に急性腎臓障害、腎不全は、標準治療に比べて、1.66倍(P<0.001)多かったことは大きな懸念材料といえるでしょう。腎機能が正常なかたの場合、30%以上の腎機能低下は、約3倍強化療法群で、標準治療群に比べて有意に多いこともわかりました(P<0.001)。降圧を強化すると腎臓への悪影響は避けられないようです。

さて、今回の結果から、高齢者は、「150mmHg」でも良いというのは、どうやら緩すぎるということは明確でしょう。少なくとも「140mmHg」にするべきでしょう。しかし、「糖尿病、脳卒中の既往、施設入所の高齢者」を除くすべての高血圧のかたについて「120mmHg」目標とするべきかどうか、については疑問を覚えます。

考慮すべきは、薬物投与が徹底して行われている米国ですら、「140mmHg」の目標には、3分の1から半分の高血圧の患者さんは、到達できていないという現状です。つまり高血圧治療は容易ではありません。今回の臨床試験では、血圧を下げるのが難しいかたは含まれていないように見受けられましたが、実際の日常臨床では、多くのかたが、治療に難渋するものです。こうした患者さんに薬の増量を強いたり、強い降圧作用をもつ薬に変えたりして、血圧を120mmHgに下げることが、道理にかなっているかのかどうか、よく考える必要がありそうです。

また、今回の大規模試験の強化療法群の患者さんの処方数は平均3剤ということでした。服薬数は少なくしたいという患者さんの希望からすれば、「3剤」は多く、「2剤」が限界だと考えます。実際、米国の医師も「2剤」以上薬を使うのを嫌うという調査結果があります。

そして、強化療法をするとなると、腎臓障害発現などの副作用に備えて、頻繁に外来来院を促す必要が出てくることでしょうし、それに伴う採血検査、尿検査も必須となるでしょう。医療費増大に拍車をかけることになりかねませんし、なにより患者さんへの負担も増加します。この点もよく考慮すべきでしょう。

私は、「SPRINT研究」の結果から、高血圧患者さんの収縮期血圧の目標値を120mmHgに設定することは重要だが、個々人の容態や生活環境をよく考慮にいれて、患者さんの負担や不安を増すことないように、医師と患者さんは、双方向の話し合いを繰り返し、治療を進めていくべきではないかと感じました。例を挙げれば、比較的容易に1~2剤で、降圧され、120mmHgとなる症例では、120mmHgをターゲットとして良いでしょう。しかし、治療に難渋し、3剤以上を持ってしてもなかなか降圧が難しい場合は、140mmHgでよいのではないかと思います。「糖尿病、脳卒中の既往のあるかた、施設入所されている高齢のかた」の場合は、133mmHgを目標としてよろしいのではないでしょうか。このように私は考えております。皆様いかがお考えでしょうか。




写真は冬桜@新宿御苑