2015/12/14

愛し野塾 第50回 睡眠とアルツハイマー病

睡眠とアルツハイマー病

国内のアルツハイマー病患者さんの数は、軽症のかたも含めると、800万人もいると推算されています。大変患者数の多い疾患であるにもかかわらず、いまだに根本原因がつかめず、日常臨床の現場では、現時点でも手探りの治療が続けられています。アルツハイマー病の主症状としては、認知機能の低下が著しく、特に徘徊や排泄に関わる問題で、患者さんを取り巻く家族や、介護に関わるひとびとは、日々相当な苦労をされています。脳卒中や心筋梗塞などの疾患は発症の予防策として、高血圧、糖尿病、脂質異常の治療が、効果的であるというのに、ことアルツハイマー病の場合、日常生活のなかで「この数値に注意したら予防できる」という確立したものがなかなかみあたりません。

さて、アルツハイマー病患者さんでは、高い割合で睡眠障害を認めることが様々な信頼性のある疫学調査から明らかとなっております。最大で、45%ものひとに認められることという結果もあるほどです。そういった背景もあって、昨今のアルツハイマー病の不眠研究は大変盛んになってきました。睡眠障害が、アルツハイマー病特有の認知力低下を誘発する黒幕であるという仮説が出てきました。


本年7月号のNature Neuroscienceのカリフォルニア大学バークレー校のマンダー博士らによって発表されたレポートは、不眠黒幕説を科学的に裏付ける説得性のあるものでしたのでここにご紹介したいと思います。

アルツハイマー病の一つの特徴は、記憶力の低下であり、すなわちこれは脳内の記憶センターとされる「海馬」と呼ばれる部位の機能低下といい換えることができます。遺伝性アルツハイマー病に関するこれまでの精力的な研究から、原因遺伝子群が明らかにされました。それらの原因遺伝子の遺伝子変異が、ベータアミロイド産生を増加させることがわかりました。これまでの研究によって産生され、蓄積されたベータアミロイドが海馬の機能低下に深く関わっていることは確かなようです。しかしながら、ベータアミロイドの蓄積にが、どういったメカニズムを介して海馬の機能を悪化させるのかは、長い間、不明のままでした。ベータアミロイドに注目した治療が頓挫している現状では、ベータアミロイドが作用するプロセスに的を絞って、治療及び予防の可能性を追求したいというアイデアが、専門家に広まって来ているのも事実です。

今回ご紹介する論文では、このプロセスに影響を及ぼしている要素として、睡眠障害を想定しています。特に、最も深い眠りである「ノンレム睡眠の徐波活動」が、βアミロイド蓄積によって、破壊される可能性の有無について検討されました。

この「ノンレム睡眠の徐波活動」は、記憶強化に著しく重要であることが明らかになっています。この特定の睡眠部分に注目した背景には、すでに明らかにされたメカニズムがあります。すなわち、ベータアミロイドは初期アルツハイマー病では、脳皮質でありノンレム睡眠の徐波活動のジェネレーターとみなされているmPFC(内側前頭前皮質)に沈着することが知られています。マウスの脳内にベータアミロイドを人為的に増やすと、ノンレム睡眠が障害を受けること、高齢者では、ベータアミロイドの脳皮質への沈着の程度が睡眠時間の低下や、睡眠の質の低下とよく相関することが知られているのです。

実験では、26人の平均年齢75.1歳の老人(女性18人、平均教育期間16.5年)を対象に、ビッツバーグコンパウンドBを用いたPETスキャンを施行し、脳内のベータアミロイド沈着量を算出しました。認知機能はMMSE試験で評価されました。対象者は、30点満点中、平均29.5点をとり、認知機能は保たれたかたでした。平均睡眠時間は、8時間42分でした。意味のある言葉と、アルファベットを無作為に羅列したもの、を対にして、覚えるという課題(対語記憶課題)、120対を睡眠前に行いました。課題の評価は、記憶後10分の睡眠前と睡眠後の2度行い、一夜の記憶保持能力を計算しました。睡眠後の課題評価時に、海馬のfMRIを施行しました。睡眠は、睡眠ポリグラフ検査法が用いられ、ノンレム睡眠の徐波活動を検出し、分析されました。

結果は、mPFCアミロイド沈着量は、睡眠時間に占めるノンレム睡眠の中でも、0.6から1ヘルツまでの非常にゆっくりとした徐波活動の時間の低下と正の相関関係にある(P=0.031)ことがわかりました。つまり、mPFCのアミロイド沈着量が多いほど、ノンレム睡眠の徐波活動の占める時間は低下していました。しかし、mPFCのアミロイド沈着量と徐波活動の中でも1ヘルツから4ヘルツまでのやや早めの活動が占める時間との間に相関関係は認められませんでした(P=0.067)。mPFCアミロイド沈着量とノンレム睡眠時の徐波活動時間に認められる相関関係は、他の交絡因子として想定される、年齢、mPFCの容積、性別による影響は受けていないことが示されました。さらに、脳の他の部位である側頭葉、後頭葉、頭頂葉のアミロイド沈着量と、徐波活動の占める時間との間に相関関係はなく、mPFCのアミロイド沈着量とレム睡眠時間の比率との間に相関関係に認めませんでした。こうした分析結果から、mPFCに生じるアミロイド沈着は、ノンレム睡眠の徐波活動を特異的に抑える可能性が示唆されたのでした。

さて、次に、ノンレム睡眠が及ぼす海馬依存性の記憶力への影響について検討が行われました。対語記憶課題という方法によって、記憶力が評価されました。その結果、ノンレム睡眠の徐波活動が占める時間が長いほど、記憶力が上がることがわかりました(r=0.5, p=0.019)。この結果も、年齢、性別などの交絡因子によって、影響を受けないことも確認されました。mPFCのベータアミロイド沈着量が与える、海馬依存性の記憶力への影響について精査された結果、アミロイドの沈着量が多いほど、記憶力が低下することがわかりました(r=-0.47, p=0.02)。

さて、こういった結果から、mPFCのベータアミロイド沈着が、海馬依存性の記憶力低下に関与しているようですが、このプロセスは、ノンレム睡眠の徐波活動における負の効果を介したものかどうか、について数学的モデルによって、検討が行われました。そのため二乗平均平方根誤差、適合度検定、ベイズ情報量基準の手法が用いられました。結果は、ベータアミロイドの沈着は、直接、海馬依存性の記憶力低下をもたらすのではない、ということがわかりました(標準回帰係数は0.16で統計的有意差なし)。ベータアミロイド沈着徐波活動低下記憶力低下というプロセスモデルが、有意に適合していることがわかりました(P<0.05)。この研究から、脳の特異部位であるmPFCへのアミロイド沈着が、睡眠障害を引き起こし、その結果として、記憶力低下が生じるという可能性が高まってきました。

この研究のドローバックは、なんといっても、統計的処理に伴う、相関関係によるデータをもとにした、少数の患者さんの横断的研究であることです。得られた結論の精度をあげるためには、より多くの患者さんを長期的に経過観察することが大きな課題となるでしょう。特に、重要な結論であるベータアミロイドの沈着、徐波活動の低下、記憶力の低下が、「時系列で生じているのか」は、経時変化を分析しなければ、確定的なことはいえないでしょう。数学モデルによるシュミレーションだけでは「理論上の」仮説の域をでないでしょう。

 動物モデルでは、「不眠」は、脳からのベータアミロイドの除去を妨げ、蓄積の原因となることが知られています。今般の研究から、アルツハイマー病の初期の段階で、脳のmPFCにベータアミロイドが蓄積し、睡眠障害を惹起するのだとすれば、翻って、この睡眠障害が、ベータアミロイドの蓄積に拍車をかけるという悪循環を招き、多量のベータアミロイドが脳に蓄積するということが想定されます。将来的に、ノンレム睡眠時の徐波活動を活性化する方法が見いだされれば、この悪循環を断ち切り、アルツハイマー病治療の突破口となるかもしれません。

また、睡眠障害の検査を定期的に行うことで、アルツハイマー病の進度を評価することができるようになるかもしれません。徐波活動の低下を睡眠検査によって検出することで、記憶力低下の前兆をキャッチできるようになるかもしれません。


この論文を読んで、アルツハイマー病を予防するには、一にも二にも、良質な睡眠をとることを勧めたいものだと感じております。午後は、コーヒーやカフェインの入ったお茶類は避け、睡眠前にはリラックス出来る状態をつくり、決まった時間に布団に入る。忙しくても、寝ることも重要課題、と最低でも6時間は寝るように心がけたいところです。睡眠はトラウマになるようなネガティブな記憶についても、和らげる効果がありそうだということも脳科学では分かってきました。枕やマットも自分にあったものに工夫するのもひとつですね。「健全な認知」を維持する、また改善するために、睡眠生活を見直してみませんか?皆さん、いかがお考えでしょうか。