膵臓は、胃の真後ろについている背部にある臓器で、解剖学的位置からして、たとえ「がん」ができたとしても症状が現れにくいことから、発見が遅れることが多く、発見した時には、唯一の根本療法とされる手術療法で対応することが厳しくなることが顕著な臓器です。毎年、膵がんによって2万8千人もの方が犠牲となっているという背景には、発見時には既に「5年生存率は10%に満たない」とされるステージ4の方が80%以上を占めるという深刻な現実があります。膵がん罹患数は、男性で8位、女性で7位ですが、死亡数では、男性で6位、女性で5位となっていて、全体としては、5位の位置を占めています。罹患数と死亡数がほぼ同数となっており、罹患数の順位よりも死亡数の順位のほうが高くなっているのは、胃がん、大腸がんなどのほかの癌に比較して、生存期間が顕著に短い所以です。手術療法以外の有効な治療法がなく、普段の生活の中できる予防策の一刻も早い確立が望まれています。
膵臓がんのリスクファクターとしては、もっとも高いものが「喫煙」です。自明ではありますが、禁煙はひとつの予防策となります。ほかのリスクファクターとして、肥満、糖尿病、膵臓の嚢胞、慢性膵炎が報告されています。バランスのとれた食生活、適切な運動は、肥満防止・糖尿病予防の観点から有効と考えられるでしょう。
さて、基礎研究から、膵臓がんを誘発するメカニズムにおいて、「慢性の炎症」がトリガーであることが知られています。これを裏付けるように、臨床研究でも、抗炎症効果のある「アスピリン」が膵臓がんのリスクを減らすことが示されています。このため、抗炎症効果のある「ω—3脂肪酸」に、すい臓がんを予防する活性があるのではないかと期待されています。残念ながら、欧米人を対象とした、最新の前向き研究のメタ解析では、ω—3脂肪酸には、膵臓がん発症抑制効果がないことが示されましたが、欧米人に比べ日本人はω—3脂肪酸の消費量が多く、日本人を対象としたデータ解析が待ち望まれていました。たとえば、ω—3脂肪酸の中の、DHAは、欧米研究では「多く摂取する人の定義が、一日あたり、平均0.32g」と少なめですが、日本人の摂取量では、最小の消費群ですら、平均0.28gですから、研究解釈はかなり異なってきます。日本人の場合、多く摂取する群では、「1日あたり、1.04gのDHAを摂取」しています。ちなみにマルハニチロのさんまの缶詰1缶には、2グラムのDHAが含まれており、よくDHAを摂取する群では、2日に1回この缶詰1缶食べるのに匹敵する量を摂取していることになります。魚好きのひとなら、DHAの摂取量として、1日1グラム摂取群の存在に、なんら疑問もわかないでしょう。日本人の魚由来のω—3脂肪酸の消費量は、欧米人のほぼ3倍に相当し当然、研究プランも同じデザインのもとで行うわけにはいきません。今回、国立がんセンターの日高先生らは、DHA消費量と膵臓がん発症との関係について、日本人について調査をし、素晴らしい結果を発表されたので紹介したいと思います。
Hidaka, Akihisa, et al. "Fish, n–3 PUFA consumption, and pancreatic cancer risk in Japanese: a large, population-based, prospective cohort study." The American journal of clinical nutrition 102.6 (2015): 1490-1497.
Hidaka, Akihisa, et al. "Fish, n–3 PUFA consumption, and pancreatic cancer risk in Japanese: a large, population-based, prospective cohort study." The American journal of clinical nutrition 102.6 (2015): 1490-1497.
JPHCと名付けられたこの研究は、遡ること1990年に第1コホート、1993年に第2コホートが選出されました。研究対象者数は14万420人と大規模で、40-69歳の男性約68000人、女性約71000人でした。研究開始後の5年目に、質問表を送付し、参加者に答えてもらう方式で、食事内容の詳細を調査しました。質問表のうち十分な回答を得られなかったケースを除外し、最終的に、条件に合致する、82024人(38000人の男性と43000人の女性)が解析対象となりました。塩漬け、干し魚、ツナ缶、鮭、鰹など14種類の魚介類について詳細な質問によって、毎日の魚の消費量を正確に推算し、また、脂肪酸含有表を用いて、ω−3脂肪酸、EPA,DPA,DHAの摂取量を求めました。αリノレン酸は、主に植物性オイルから摂取されているため、その使用量についても調査をされました。5年目の質問表を送った後、さらに1年後にも、ある一定数の選別した集団に質問表を送り、得られた摂取量推定が正確性を検定しました。平均で12.9年とされる観察期間中の死亡者については、厚生労働省の死亡者登録を用いて確認し、15.4%にあたる12592人の死亡者があったことが判明しました。膵臓がんの死亡診断名は、病院のカルテ記録、癌登録名簿、死亡診断書を用いて、確認され、1068774人•年の観察期間中、449人の膵臓がん(247人の男、202人の女性)が調査によって検出されました。
さて、分析の結果は、欧米の結果を追認するように、魚の摂取量も、魚由来の全ω−3脂肪酸も、EPAも、DPAや、αリノレン酸摂取量も、「膵臓がんとの相関は認められません」でした。しかし、DHA摂取量は、最大摂取量である「一日摂取量1.04グラムの群」は、最小摂取量である一日摂取量0.28グラムに比較して、統計的有意に「31%の膵臓がんの発症率低下を認めました(p=0.03)。
欧米の研究では、調理法による結果の違いを示しているものもあり、魚をフライにして摂取した場合には、DHA摂取による膵臓がんリスク低下は認められないとしていますが、今回の研究では、フライにした魚でも、同様の結果が得られたということでした。日本人のDHAの摂取量の多さは、フライ調理に伴う不飽和脂肪酸の発生などの不利益を克服している可能性があるのかもしれません。αリノレン酸は、DHAの前駆体物質ですが、αリノレン酸摂取量が多くても、膵臓がんのリスク低下作用が認められず、得られた結果に齟齬があるのではないか、との議論がありますが、日本人のαリノレン酸の消費量は、欧米人の2倍とされ、膵臓がん予防には及ばないのではないかと解釈できるのではないでしょうか。事実、DHAも欧米人の2倍程度では、膵臓がんのリスク低下作用は、4%程度で統計的有意な低下を認めるまで至っていません。
さてこの研究の問題点は、DHAの摂取量の試算を「質問表の結果」に基づいて施行している点です。摂取量算出結果に曖昧さが残ります。事実、選別した集団に行った、1年後の検定では、DHAの摂取量推定値の再現性は、35%前後と低い値でありその精度に疑問が残ります。しかし、DHAの検定した値が高めではなく低めに算出されている傾向があり、得られた結果は、むしろ過小評価されている状況が推察され、DHAが膵臓がんの発症リスク低下因子であるという結論は、変わらないと考えるのが妥当でしょう。
論文を踏まえ、膵臓がん予防策として、日常生活で心がけることとして、禁煙、カロリーを摂りすぎない、肥満にならないように気をつけ、普段から、体を動かすようにすることに注意するばかりでなく、「DHAを多めに摂取する」ことだと思いました。漁獲量の危惧は否定出来ませんが、日本は欧米に比べたらさんま、さばなどDHAが豊富に含まれるお魚が手に入りやすい環境です。是非とも、お魚主義の食卓へ、意識を再認識したいところです。