高齢化社会を迎え、高血圧の患者さんの数もまた、増加しています。現在国内の高血圧患者数は4000万人とされ、こうした膨大な数値を目の当たりにすると、高血圧が引き金となって生じる、脳卒中や心筋梗塞の恐ろしさを考えずにはいられません。血圧コントロールは国民全体の課題といっても過言ではありません。
高血圧の最大の原因は、「塩分の摂りすぎ」によるものです。そのため「塩分制限」が血圧コントロールの最大の武器とされてきました。2015年の暮れ、「2014年の国民栄養調査の結果」が厚労省より発表されました。日本人の一日塩分摂取量は、9.9gであることがわかりました。塩分摂取量は、例年徐々に減少し、ついに10gを切ったところです。男女別では、男性で、10.9g、女性で、9.2gでした。高血圧と診断されるひとがとくに多くなる60代では、男性では、11.9g、女性で9.8gという値が示されました。厚生労働省は、男性で9g、女性で7.5gを推奨しています。日本高血圧学会は、6g未満を推奨しており、WHOは、さらに厳しく、5g未満を推奨しています。お分かりのように、日本人の塩分摂取量の推奨値は、いまだかなり多めであることがうかがえます。
このような基準が設けられてきた背景には、国民の健康を守るためには「塩分摂取量は、減らせば減らすだけ、健康によい」という考え方が支配的であったことがあり、政府主導で、減塩が推奨されてきました。国際的には、英国では、減塩は、国家プロジェクトとなっており食品に含まれる塩分を制限する法律があることはよく知られています。
しかし、昨今、「塩分摂取量の下げ過ぎも健康に悪い可能性がある」ことが指摘されるようになりました。各学会などから、「推奨塩分摂取量が低すぎるのではないか?」とする懸念の声があがるようになってきたのです。こうした二つの議論の解明にはいったいどうしたらいいのでしょう。
実は、塩分摂取量を一日尿排出量から正確に計算すればいいのです。しかし、信頼にたる妥当な結論を導くためには、膨大な数の患者さんのデータを調査解析しなければならず、現実的に、研究実施困難であり、議論の解決は遠いだろうと考えられてきました。未だ、どちらの結論が正しいのか不明のままで、喧喧諤諤の議論が巻き起こっていました。
今回紹介する論文は、一日塩分摂取量について、早朝尿を用いて推算され、10万人を超える規模で研究が行われLancetより報告されたものです。「国民規模でおしなべて塩分摂取を減らすことが、健康維持及び増進に寄与するのかどうか」、という重要な課題に明確な答えが出されたと思いますので、ここに解説してみたいと思います。
研究は、4つの臨床研究(PURE,EPIDREAM, ONTARGET,TRANSCEND研究)を総合した形で行われました。
l PURE(Prospective Urban Rural Epidemiological Study)研究からは、血管病の既往のない、15万6424人の35−70歳のかたを17国から登録。
l EPIDREAM研究は、18−85歳の17,453人。
l ONTARGET試験では、55最以上のかた25,630人、
l TRANSCEND研究からは、5926人。
ONTARGET研究とTRANSCEND研究は、心血管病のあるかたの無作為比較試験です。
対象者は、最終的に、49カ国から13万3118人となりました。この内、「高血圧グループ」が、69,559人、「正常血圧グループ」が69559人でした。74%は心血管病の既往がなく、89%は糖尿病の既往のないひとでした。高血圧グループの平均年齢は、58.6歳、正常血圧グループの平均年齢は、50.5歳でした。高血圧グループでは、男性で、肥満気味、運動の習慣を持たない、心血管病及び糖尿病罹病率が高いといった傾向がありました。
結果
高血圧グループの1日尿ナトリウム排泄量の平均は、4.95g(塩分として12.48g)、正常血圧のひとは、4.82g(塩分として12.15g)で、高血圧グループで数値的としてはわずかですが、統計的有意に多いことがわかりました(p<0.0001)。
高血圧グループの11%が、1日尿塩分排出量が7.5g以下、24%が15g以上でした。1日尿塩分排泄量が7.5gと15gの間のひとが、高血圧グループの65%を占めました。正常血圧グループの、11%が一日尿塩分排泄量が7.5g以下、9%が15g以上、その間が69%でした。
133,118人が4.2年の研究観察期間を完了ことができました。
この期間中に、全死亡、心血管病発症をアウトカムとし、その発症率を求めると、高血圧グループで11%、正常血圧グループで4%でした。高血圧があるとアウトカム発現リスクが約3倍にあがることがわかりました。
リスクが一番低かったのは、一日尿塩分排泄量が10g~12.6gのひとであることからこのカテゴリーの値をレファレンス値(参照値)として用いました。
高血圧グループの内訳について、このリファレンス値を基準に解析を行ないました。一日塩分排出量10g~12.6g(参照値)群と比較し、一日塩分排出量が15g以上の群では、全死亡と心血管病発症のアウトカムは、23%もの有意なリスク増加を認めました(p<0.0001)。さらに興味深い事に、1日塩分排泄量が7.5g以下の場合でも、34%もリスクが上昇するという結果が得られたのです(p<0.0001)。
正常血圧グループについても同様に解析した結果、一日尿排泄量が15g以上の場合でも、レファレンス群と比較しても、アウトカム発生率に、有意差がありませんでした。にもかかわらず、一日尿排泄量が7.5g以下の場合には、全死亡と心血管病発症リスクは、26%の有意な上昇を認めたのです(p=0.0009)。
ふたつのグループのそれぞれの解析から、血圧が高くとも正常であろうとも、塩分摂取を一日7.5g以下に制限すると死亡リスクが上昇することが強く示唆されたのです。
高血圧グループでは、塩分摂取が2.5g増えるごとに、収縮期血圧は、2.08mmHg増加しました。正常血圧グループでは、1.22mmHg増加することがわかりました。つまり「塩分摂取は、血圧を上昇させる因子である」ことに間違いありませんでした。
しかし、血圧の値で補正した後にも、一日塩分排泄量とアウトカム発生率の関係には変化が認められませんでした。つまり、塩分摂取を減少させると、血圧は減少するものの、その恩恵を損失させる「別の要因」によって、「高血圧」のひとでも、「正常血圧」のひとでも、死亡率や心血管病リスクが増大することがわかったのです。
そのメカニズムについて、別な疫学研究ではつぎのように示唆しています。塩分摂取が減ることによって、レニンやカテコーラミンのシステムが作動し、心血管病発症を惹起させる可能性があるのではないかという説です。今後、検証が進むことでしょう。しかし、いずれにせよ、塩分摂取を減らしすぎることは、高血圧のかた、正常血圧のかたにかかわらず、健康を害する可能性が示されたことで、臨床医は、減塩療法の危険性を認識した上で日常臨床にあたることは必須ですし、バイヤスのかかった「健康医学の常識」を、見直すべき状況であると言っても過言ではないでしょう。
この研究は、対象人数が10万人を超えているだけではなく、既往歴等、まったくことなる集団を含み、さらに多人種を包含し、発展途上国、先進国を網羅する49カ国を対象とする、4つの大規模臨床研究を総合したものであることから、その信憑性は高く評価されるものです。また、塩分摂取量の推算は、従来の研究で行われてきた一回だけの一日尿での計算からではなく、「2回」別の日に分けて、早朝尿を採取し施行していることで、日々の塩分摂取量の誤差を考慮にいれ、正当性に高いことも、評価される所以だと思います。しかし、一方で、この方法では、塩分摂取量推算値は10%程度、多めにでる可能性が指摘されており、得られた結果をより少ない塩分摂取量に換算しなければならない点が弱点であると考えられます。
一方、交絡因子として、心血管病の既往・高血圧・糖尿病について試験開始直後の2年間のデータを考慮し、これらを除外した場合でも、得られた結果に変化を認めなかったことを示した点は信憑性を高めているポイントと言えるのではないでしょうか。
ナトリウムは、体を構成する細胞膜の電位を保つ重要なカチオン(Na+)です。このため、生体内では、血中ナトリウム濃度は極めて厳格にコントロールされています。また、最新の研究から、「感染症に対抗するメカニズム」には、感染の生じている細胞内局所へのナトリウムのモビライゼーション(動員)が必要であることも示されています。行き過ぎの塩分制限は、反って、免疫力を低下させ健康を害するとなれば、こうした生理的なナトリウムの作用に支障をきたしてしまうことも考慮すべきでしょう。
冒頭に述べた、「日本高血圧学会や、WHOの塩分摂取基準」は、見直し検討がなされなければならない状況かもしれません。今回の結果が正しいとすれば、日本人の平均塩分摂取量はすでに妥当な線に到達しているとみてよいと考えられます。
臨床医としても、血圧が高いかたで、塩分摂取量が15g以上と多いかたには、塩分制限をすすめるが、あくまでも、一日あたりの塩分は、7グラムを切らない程度への減塩が望ましいことも加えて説明すべきかもしれません。さらに血圧の正常なかたは、塩分制限は不要であり、むしろ、過度の塩分制限は危険を伴うことを認識する必要がありそうです。塩分制限の問題は、コペルニクス的転換点にやってきた可能性がでてきました。市民の利益を第一に考え、これまで構築されてきたドグマを捨て、ここに突きつけられた新しいデータを真摯に受け止められるのかどうか、各学会,WHOの方針改定の今後の推移に注目が集まっています。