かつての予想を上回る勢いで高齢化社会を迎えております。WHOは、認知症患者数は今後20年おきに倍々に増加すると予測している現状、認知症を惹起するリスク因子を特定することは、実質的な認知症予防の手立てを考えていく上で重要課題といえるでしょう。
さてリスク因子のひとつである「うつ病」にフォーカスをあてた研究成果が報告され注目を集めています。
すでに、認知症患者の高い頻度のうつ病の発症と同時に、「うつ病」が、認知症の発症の原因になりうる点についても報告されてきました。しかしながら、「うつ病」とひとくくりにするには、ひとりひとりの患者で、症状のあらわれかたが様々であることから、こうした病気の特性をさらに精密に考慮した上で調査研究をおこなう必要性が指摘されていました。
例えば、ある患者は、慢性の経過をたどり、一定の状態がつづいたり、持続的に悪化したりします。またある患者は、抑うつ症状が良くなったり悪くなったりします。ある患者は、一時的にうつ病の症状がみられるもその後よくなる、といったこともあります。伴侶の死、失職、病気、交通事故、職場の人間関係など、日常の生活で生じたネガティブな出来事にたいする「正常な生理反応として生じる抑うつ症状」は、一過性には、重く見られるものの、時を経て、改善することもままあるでしょう。
一方で、「脳に生じた病理的変化が原因として生じるうつ病」の場合には、症状の改善は見込めず、継続的に増悪の経過をとる場合が多いと考えられています。生理的な反応として生じるうつ病と、病的な脳の変化によって生じるうつ病が、同じように認知症発症リスク要因となるのか否か、認知症リスクの特定をより明確にするには、重要な課題と考えられます。
しかしながら、「うつ病のタイプ別、認知症発症リスクの解明」のために膨大な数の患者を対象とするだけではなく、経時的に専門家によるうつ病の診断をする必要があることから、大規模な調査が必要なことは明白です。これまでこの問題に光があてられてこなかったことはそういった調査研究の困難さが理由であるということは、いうまでもありません。
今回、オランダ•ロッテルダムのエラスムス医学センターのMirza博士らが、この困難な命題に取り組み、「持続的に悪化するうつ病が認知症発症のリスク因子になることを見いだした」ことは賞賛に値しますし、発表後も世界的に注目を集めていることは納得がいくものです。
Mirza,
S. S., Wolters, F. J., Swanson, S. A., Koudstaal, P. J., Hofman, A., Tiemeier,
H., & Ikram, M. A. (2016). 10-year trajectories of depressive symptoms and
risk of dementia: a population-based study. The Lancet Psychiatry.
調査はオランダに在住する55歳以上のかたを対象とした、「ロッテルダム研究」の一環で行われました。研究には、当初、認知症のない方が参加し、家庭訪問、及び研究所での診察は3−4年おきに行われました。うつ病に関するデータは、1993年から1995年、1997年から1999年、2002年から2004年の3回、収集されました。これらのデータから、計11年間のうつ症状の経過をそれぞれの患者について縦断的に分析が行なわれました。
認知症の診断については2002年から2014年までの期間内に行なわれました。うつ病の診断には、標準的な評価尺度として用いられている「うつ病自己評価尺度(セスデー、CES-D)」と「HADS-D」が用いられました。認知症の診断には、認知症スクリーニングとして、ミニメンタルステート試験(MMSE)とGMSが用いられ、スクリーニング陽性者は、「高齢者における精神疾患のケンブリッジ試験(CAMDEX試験)」を受けました。
これらの試験結果を踏まえ「認知症の診断」は、DMS-III改訂版の基準に従い鑑別されました。
交絡因子として、年齢、性別、ApoE4変異、教育レベル、BMI、喫煙、アルコール消費量、MMSEスコア、うつ病薬服用状況、高血圧、2型糖尿病、心筋梗塞と脳卒中の既往が、選択されました。
結果
うつ症状のデータが得られた、認知症のない人の人数は、
1993-1995年 2821人、
1997-1999年 3136人、
2002-2004年 3234人、
3回分のデータが得られたのが2612人。
少なくとも一度以上のデータが得られたのが3325人、
平均年齢は、74.88歳、
女性は、60%でした。
セスデーの値の経過中の変化の様式から、うつ病自己評価尺度の値について、経過には5つのパターンあることがわかりました。
①
低い値のまま一定。(2441人、73%)
②
高い値から、経過中改善(369人、11%)
③
低い値→高い値→低い値(170人、5%)
④
低い値→継続的に高い値(255人、8%)
⑤
高い値のまま一定。(90人、3%)。
26,330人年を分析したところ、434人が認知症を発症しました。348人がアルツハイマー病、26人が血管性認知症、60人がその他の認知症発症という結果が得られました。
セスデーの値が持続的に低い群(①低い値のまま一定パターン)と比較した結果、低い値から持続的に高い値になる(④)パターンで、認知症発症のリスクが有意に高いことがわかりました(HR1.42、p=0.024)。脳卒中を除外した場合でもHR1.58(P=0.0041)と有意に高く、アルツハイマー病発症にのみ絞った場合でも、HR1.44(P=0.0034)と有意差を認めました。また、死亡率もHR1.45(P=0.019)と有意に上昇する事が分かりました。認知症発症リスクは、セスデーの値で②、③、⑤のいずれのパターンは、①のパターンの群と変わらないことがわかりました。②、④、⑤群では、うつ病薬の服用率は、HRから約10%上昇することがわかりました。観察開始から3年以内では、認知症発症リスクはいずれのパターンも有意差がありませんでした。
*HR(ハザード比:1をこえるとx%そのリスクが上昇するという意味:ハザード比(HR)=1.45なら、45%のリスク上昇です。)
本研究から、うつ病の5つの症状パターンが見出だされました。認知症発症のリスクとなるのは「軽度な抑うつ状態にもかかわらず、継続的に悪化していくパターン」である可能性が示されました。今後は臨床の現場では、「病態が増悪し続けるうつ症状」を「認知症の前駆症状」とみて、認知症予防治療をより早く開始することができるかもしれません。
これまでの研究では、うつ病をきたす因子としては、「喫煙」「運動不足」「社会的ネットワーク(社会的隣接性について質的・量的に定量化されたもの)が小さいこと」「身体的不自由」「心筋梗塞」「糖尿病」「肥満」などが上げられてきました。また、その解決策としては、「運動」と「社会活動の拡充」が推奨されてきました。運動不足及び、社会活動の減少によって、うつ病が惹起されうること、うつ病ゆえに運動と社会活動が制限されること、こうした双方向性の負のスパイラルを食い止めることは容易ではありません。うつ病の悪化が認知症発症に関与する事が浮き彫りにされたいま、高齢化社会を念頭においたプラクティカルなうつ病対策について、国家的見地から適正な投資をしていただきたいものです。適切な産業医教育、カウンセラー、ソーシャルワーカー、ケアマネ、地域のリーダー等の教育・整備の拡充をすることで、軽いうつ状態のうちに、薬物療法を用いることなく、回復へ導くことの重要性を感じます。
さらに踏み込んで、「うつ病から認知症にいたるメカニズム」について少し考えてみましょう。老化が進むと、脳内の血管に動脈硬化性病変が出現します。その病態として、うつ病が発症し、その後、認知症が連続的に発症する可能性があります。認知症の責任病変の海馬が、うつ病発症にも関与していることが示されていることからもこの考え方は受け入れやすいでしょう。その他、血中葉酸の減少や、炎症など別な因子も、うつ病と認知症を結ぶメカニズムとして考えられます。動脈硬化、葉酸、炎症への対処は、運動と食事療法が有効な予防手段と考えられます。
今回ご紹介した論文では、持続的に高度なうつ病のかたでは、死亡率が高いことから、認知症発症前に十分解析できなかったことが指摘されるでしょう。実際、この群では対象者が少なく、統計処理の妥当性・信頼性の欠如がある可能性が否定できないことが指摘されています。冒頭でも記述したように、この命題は、大規模な患者を長期的に調査対象にして研究を進める必要があり困難極めるものであります。今後、より一層詳細な分析が待たれます。
さらなる高齢化社会を迎える我々にとって、人間の尊厳である認知機能が失われる事だけは避けたい、そうした思いで、うつ病対策がより充実してほしいと願っております。うつ病の状態が持続的に悪化している場合、十分な社会資源が充当されるよう、特段の配慮がなされる社会となることを祈っています。