2015/10/06

愛し野塾 第41回 アルツハイマー病は、伝染するのか?!


亡くなった人の体から採取した「ヒト成長ホルモン」による治療を受けた後に、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJDを発症されたかたが、発症と同時に、アルツハイマー病に酷似する病態を呈していたことが明らかにされ、アルツハイマー病も、CJDと同じく、伝染する病気ではないか?という懸念が急速に広がっています。 

Jaunmuktane, Zane, et al. "Evidence for human transmission of amyloid-[bgr] pathology and cerebral amyloid angiopathy." Nature 525.7568 (2015): 247-250.

 

1990年代、英国で発症したCJDの患者さんは、10代、ティーンネイジャーでした。さらに、引き続いた10代、20代というあまりにも若い世代の発症、死亡報道には、イギリスだけではなく世界を震撼させました。発症は欧州だけではなく、英国滞在歴のある欧州以外の方にも認められ、牛の海綿状脳症(一般的には狂牛病と呼ばれています)との因果関係が指摘されてきました。1985年から大流行した狂牛病に感染した牛の肉を食べたことで、CJDを発症したのでは?と考えられたのです。あの当時はイギリスを訪れたときには、牛肉が入っている料理かどうか、食べるべきかどうか、悩んだものでした(実際、私もその当時の渡航歴により今も献血はできません)。北海道でも、狂牛病流行は「あってはならない事態」として認識され厳しくスクリーニングされています。 

さて、今回雑誌Nature報告されたケースでは、お亡くなりになった方の臓器から採取された「成長ホルモン」を治療に利用した方が、CJDに発症したことから、詳細の調査をしたところ、その原因成分の夾雑を認め、さらに精密な分析をしたところアルツハイマー病にも罹患していた可能性を研究報告しています。 

1960年代から70年代にかけて、CJDは、発症数こそ少ないものの、脳神経の変性をきたし、行動異常、認知症等を経て、死に至るという不治の病として知られ、臓器移植や血液を介し、ヒトからヒトに伝染することが報告されていました。その当時から、神経変性を起こす他の病気のなかに、伝染性を有する病気の存在があるのではないか?と、研究者間では密かにささやかれてきました。今回、国際的に権威ある医学誌「ネイチャー」に、「ヒトからヒトへ、アルツハイマー病に酷似する病理像を呈する疾患が伝染した」という報告がなされ、戦々恐々の事態となりました。感染源は前述しましたように、死後、ヒトから採取した下垂体の抽出物である、成長ホルモンのようです。 

1985年まで、成長ホルモン分泌不全性低身長症(最近まで下垂体性小人症と呼称)のこどもたちには、注射による成長ホルモン治療が行われてきました。おおよそ30000人が人体由来の成長ホルモンを注射されたようです。下垂体は大変小さな臓器ですから、治療に十分な量の成長ホルモンを得るためには、何千もの下垂体を集めて、粉砕し、成長ホルモンを抽出・精製していました。そのプロセスで夾雑したと考えられる異常蛋白「プリオン」が、CJD病発症の原因となりました

かつて注射治療を受けた成長ホルモン分泌不全性低身長症のこどもたちの中で、約5年から40年もの長期の潜伏期間を経て発症すること、かつ発症率が6.3%と低いことから、「発症したCJD」と「注射剤」の関係は、長い間、繋がりませんでした。現在では、CJD原因物質が「プリオン」と呼ばれるたんぱく質であることがわかっています。「プリオン」は正常なヒトに存在するたんぱく質ですが、病気を起こす変異体のプリオンは、正常型と接触することで、正常型を病原型に変えてしまい、脳内にこの異常プリオン蛋白が異常蓄積することが原因となって神経の変性をもたらします。この病気は種を超えて伝播します。もともとは、「スクレピー」(羊のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)に罹患していた羊の肉を、牛に与えたことから「狂牛病」が発生しました。そして「狂牛病」に感染した牛の肉を食べると人間がCJDとなるというわけです。感染性をもち、病気を起こす型である「病原型」蛋白は、構造的に「折りたたみ異常(ミスフォールディング)」があり、タンパク質同士が凝集し、脳内に蓄積してしまいます。

蛋白の異常凝集が病気の原因になっている別な病態といえば、代表的なものが、「アルツハイマー病」です。アルツハイマー病では、「アミロイドベータ(蛋白」と呼ばれる40アミノ酸程度のペプチドの脳内での集合化およびアミロイド線維形成が生じ、アルツハイマー脳特有の所見である「老人斑」として観察されます。この異常蛋白の凝集は、アルツハイマー病の発症の数十年も前から、生じることが既にわかっています。ミスフォールディングを起こした蛋白を、「シード(種)」と呼びます。少量のシードを動物に注射すると、脳内でのの凝集を認めています(動物モデル)。こういったバックグラウンドから、CJDのプリオンと非常に似通ったメカニズムで、の沈着が生じる可能性が指摘されてきました。今回発表された論文報告は、ヒトの病理像の仔細な観察から、この「シード」仮説を支持するものとなりました

この研究では、30年ほど前に死体由来の成長ホルモンによって注射治療を受けた、36-51歳のCJDで死亡した8人の患者さんの剖検例を対象としています。

8人中4人に、脳の広範囲での」の沈着が認められ、別の2人には、まばらに「の沈着が確認されました。アルツハイマー病は、高齢のかたに生じる認知症疾患で、本研究の36-51歳という若い年齢層で沈着が認められることは極めてまれです。また、CJDの死亡例のうち、遺体由来の成長ホルモン治療歴がないケースでは、さらに10歳以上高齢な方であっても、「」の沈着は認められませんでした。若くしてアルツハイマー病になる、「若年性」タイプは、遺伝性であることが知られていますが、研究対象者には、遺伝性の異常は認められませんでした。
 
また、今回の研究では、アルツハイマー病の患者さんの下垂体に、「」の沈着があることも証明され、死体由来の成長ホルモンに「」のシードが含まれていた可能性が高いことも示しています。動物実験では、すでに、マウスを使って、腹腔内に、「」のシードを注射すると、脳の血管に「」沈着が認められることが知られています。ですから、死体由来の成長ホルモンに含まれていたと思われる「」が脳以外の部位に投与されたとしても、脳内に「」が沈着する可能性は多いにあり得るということになります。 

しかしながら、この研究報告について、いくつかのドローバック(欠点)について考えなければなりません。

  1. 死体由来の成長ホルモンに本当に「」のシードが混入していたのかどうか。これが証明されておらず、論文の結論が「憶測」の域を出ていないと考えられます。 
  2. アルツハイマー病に特徴的なもう一つの病理像である「タウノパチー」が見られないのはなぜなのか。 
  3. クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)」を発症せず、アルツハイマー病のみを発症した症例がないのはなぜなのか。この点に関しては、2008年の研究段階では、死体由来成長ホルモン治療を受けた患者のアルツハイマー病発症リスクは、治療を受けていないかたと変わりない、とされていますが、より長期にわたる観察が必要な可能性は否定できません。同じ理由から、2)の内容ももう少し時間が経過しないとと「タウノパチー」を呈しないという可能性があります。

 さらに今後証明されなければならない点は、「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)」が、「」の沈着を進めたのではないか?ということです。 

1985年以降、死体由来の成長ホルモンは使われることがなくなり、遺伝子操作によって作成された人工的なホルモンで治療されるようになりました。以来、CJDは出現しなくなりました。もしこの論文が指摘するように、仮に「アルツハイマー病」も伝染性の疾患だとしても、少なくとも「成長ホルモン注射」という経路でのヒトへの感染の可能性はなくなったことは朗報と言えるでしょう。

しかし、指摘された論文のドローバックが今後の研究によって解決し、この論文の示唆するアルツハイマー病の感染の可能性が証明されるのであれば、他経路からの「」シードの伝播の可能性について明確にし、治療される側の不利益にならないよう準備しなければならないでしょう。今後の議論が待たれるところです。