2015/10/12

愛し野塾 第44回 臨床研究に内在する危機と正しさを追求する使命

赤ちゃんの網膜の血管は妊娠第36週頃までに完成するといわれています。それよりも早く生まれた未熟児では、血管形成が正常な分化を遂げず、枝分かれする等、異常を認めることがあります。特に、妊娠28週未満で生まれた場合には、網膜の血管分化異常が顕著に出現し、ほぼ全例に未熟児網膜症を発症することが報告されています。なかには、網膜剥離を経て失明する症例も認められます(日本小児眼科学会ホームページ http://www.japo-web.jp/info_ippan_page.php?id=page14 2015/10/12閲覧)。
1950年代の研究から、未熟児誕生後の保育器内での高濃度酸素投与が、未発達の網膜動脈の攣縮を引き起こし、結果として未熟児網膜症の発症リスクが増大することが知られるようになりました。1960年代には、未熟児網膜症発症リスクを抑制するために、酸素濃度を低くおさえすぎて、今度は、1人の失明を予防するために、新生児が16人のいのちが犠牲となってしまうという結果が算出されました。その後、しばらくして2001年のイギリスのコホート研究(Arch Dis Child Fetal Neonatal Ed. 2001 Mar; 84(2): F106–F110.)から、血中酸素飽和度が88−98%の場合には、網膜症発症は、27.2%に生じ、70-90%未満の場合は、発症レベルが6.2%にまで減少すること、かつ、両群の死亡率は同程度であるという統計結果が報告されました。この英国の研究結果を踏まえて、米国小児学会は、「未熟児への酸素投与に際して酸素飽和度が85-95%になるように治療をするべきである」、というガイドライン(指針)が示されたのでした。
しかしながら、このガイドラインもデータの妥当性・信頼性の観点から十分な科学的根拠に基づいて作成されたとはいえず、「凡そその程度が望ましい」、という推測の範疇をでておらず、「網膜症のリスクを最低限にする適正な酸素飽和濃度の真の値」については、医師も患者の家族も渇望していたのです。言い換えれば、最適な濃度を設定するための「前向きの無作為試験」が待ち望まれてきました。
このような背景のもと、この重要な課題に取り組んだのが「サポート研究;SUPPORT study (the Surfactant, Positive Pressure, and Oxygenation Randomized Trialの頭文字)」と呼ばれる臨床試験でした。これは、米国アラバマ大学のカルロ医師の率いる国際チームによって組織され、2005年から開始され、2010年に医学誌の最高峰であるニューイングランドジャーナルオブメディシンに発表されました(N Engl J Med 2010; 362:1959-1969, May 27, 2010
この研究では、24週から28週未満で生まれた超未熟児1316人を対象とし、酸素飽和度を「85%89%に設定する群」(低い酸素群)と「91-95%にする群」(高い酸素群)に無作為に振り分けられました。アウトカムは「重症網膜症」と「死亡」としました。予想どおり、低い酸素群は、高い酸素群に比べて、48%の網膜症のリスク低減効果が認められました(P<0.001)。ところが、予想に反して、低い酸素群は、高い酸素群に比較して、27%という非常に高い死亡リスクを認めました(P=0.04)。つまり「2例の重症網膜症発症を阻止するには、1例の死亡犠牲者が出る」という想定外の惨い結論となったのです。
この研究を境に、未熟児の酸素飽和濃度は、生命重視した場合、「91−95%」に設定することは、理論的根拠が得られ、また、医師も患者の家族も、新生児にたいして、「重症網膜症」と「死亡」との関係で、納得のいく治療を施せるになったことから、未熟児の臨床に与えたインパクトは極めて大きいものでした。同時期に、イギリス、オーストラリアを中心に行われた「BOOST II」研究でも同様の結果がえられました。
ところが、<85%89%>に酸素飽和濃度を設定した場合、死亡リスクが跳ね上がるという結論が、その後、まったく予期しない場所で勃発した「糾弾」に始まり患者家族による「訴訟」にいたる大きな社会問題に発展し、医療研究関係者の「臨床研究」の意欲をそいでしまいかねない事態となりました。
2013年3月、米国被験者保護局が、家族への説明文(インフォームドコンセント)の中に「理論的に予見しうるリスクの記述が欠けていた」とし、説明文の訂正を求めたのです。言い換えると、「酸素飽和濃度を低めに設定した場合、死亡率があがるかもしれない」ということをあらかじめ説明するべきだったというのです。もちろん、予見し得なかった理由は、前述した臨床研究の歴史的背景から明確であり、「結果をみて、その結論があまりにも重大だったため、当局が腰を抜かした」のが実情でした。しかし、その「当局の動揺」はあろうことか「臨床研究者らへの糾弾」に転じ、研究者の名声を穢しただけでなく「重要な臨床問題に焦点を当て、治療のあり方の改善を目的とする臨床研究」を失速させるような事態に発展したのです。
医学の諸問題に精通し、公平な判断を何よりも重んじ、学術界の人望も厚いことで知られる医学誌ニューイングランドジャーナルオブメディシン主幹のドラッツェン博士は、毅然と「サポート研究は、医学の進歩をもたらすモデルケースであり、被験者保護局の糾弾は唾棄すべきものだ」と主張しました(N Engl J Med 2013; 368:1929-1931, May 16, 2013このドラッツェン博士の論調をはじめとする、様々な反論に圧倒されたのでしょう、その後米国被験者保護局は、同年6月「説明文の訂正要求を保留とする」と回答したのでした。
しかし、患者家族は、黙ってはいませんでした。米国被験者保護局の最初の要求内容に触発されたのでしょう、研究者らを相手に「訴訟」を起こすという前代未聞の状況に発展し、さらに皮肉なことに、米国被験者保護局もまた訴訟の対象となりました。原告3人のうち2人は、「低酸素群」に、1人は、「高酸素群」に割り当てられたかたの家族でした。3人の新生児は死亡には至らなかったものの、残念なことに、2人には、神経障害が残り、1人は、網膜症を発症しました。原告らの主張は、「サポート研究に参加したことが原因で、後遺症が残った」というものでした。
アラバマ北部地方裁判所宛のこの訴状は、ボーダー判事の手により、2015年8月13日、門前払いとなりました。判事は、「原告は、超未熟児であり、早産の合併症として網膜症と神経障害をきたすリスクは極めて高かったと考えられる。サポート研究に参加したことが原因となって不利益を被った、とするには根拠が乏しい。」との判断を下しました。結果的には、サポート研究は「最も高いレベルの研究倫理規定」に基づき試行されていたことが確認されました。そして、現行の「臨床研究」遂行の手順の正しさがあらためて法的に確保されたのでした。
ボーダー判事による裁断は、「新生児、親御さん、そして、日常臨床にたずさわるすべての人の勝利」とドラッツェン博士は述べています(N Engl J Med 2015; 373:1469-1470 October 8, 2015, http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMe1511158米国被験者保護局は、研究者およびリサーチに携わる全てのひとに謝罪をするべき、としています。
また、一般大衆のとった態度、すなわち、誤った情報をもとに、情報を精査することなく研究者批判のキャンペーンを張り続けたという事実についても言及し、「大衆心理」の恐ろしさを批判するとともに、過去にもあった心不全治療のケースを取り上げ、「大衆心理」に負けていれば、いまだに「ヒルと瀉血」治療がおこなわれていただろうと揶揄しています。