2015/10/12

愛し野塾 第43回 「薬価」の経済的観点からの考察

薬価の経済的側面からの考察
悪玉コレステロール(以下、LDL-CHOL)は、血管に蓄積することで血管内皮にダメージを与え、血管は肥厚し、弾力性を失い「動脈硬化」の原因となります。動脈硬化によって血管の内径は狭窄し、下流組織への酸素供給が減少・遮断し、結果として、狭心症、心筋梗塞、脳卒中発症原因となります。したがって、「LDL-CHOLの血中濃度を適正に維持する」ことは、こうした病気の発症リスクを低減させるために、重要なポイントになるというわけです。

さて、2015年6月、米国で、悪玉コレステロールを低下させる新規の注射薬剤が承認されました。「アリロクマブ」と「エボロクマブ」と称する2種類のお薬です。これまでLDL-CHOLを低下させる薬といえば、「スタチン」と呼ばれる飲み薬がその代表格でした。このスタチンの効果は、大規模臨床試験の結果によって、男性では、心血管病予防すること、女性では、すでに動脈硬化がある場合には心血管病予防に有効であること、が認められてきました。死亡リスクの高い「心血管病の予防が可能なお薬」ということで、大変重宝され、臨床現場で汎用されてきました。

一方で、スタチンは、筋肉痛・横紋筋融解症など、比較的強い「副作用」を呈するかたや血中のLDL-CHOLの数値が目標値まで下がらないかたが少なくなく、患者も医療者も頭を悩ますといった状況が長く続いており、LDL-CHOL値を安全に低下させることができる薬の登場が期待されてきました。

今回紹介する、米国で承認された新薬は、<PCSK-9阻害剤>と呼ばれ、肝細胞のLDL受容体の分解を阻害し、それに代わって同受容体の膜表面への再循環を促進する働きがあります。そのため、LDL受容体を介したLDL-CHOL除去が亢進し、結果としてLDL-CHOLの血中濃度が低下するといったメカニズムです。既に、この<PCSK-9の機能を欠失させる遺伝子異常のあるヒトの低い心血管病発症率>が知られていましたし、逆に、<PCSK-9の機能を亢進させる遺伝子変異をもつヒトの高い心血管病発症率>こともわかっていました。こうした基礎的バックグラウンドによって、「PCSK−9阻害剤は、LDL-CHOLを低下させ、心血管病を予防する」という仮説が成り立ち、大きな期待のもとこの性質を有した薬剤開発がすすめられてきました。

承認された2つの薬は、実臨床のもとで「心血管病」を予防できるのか否かは、現在進行中の大規模臨床試験の結果を待つことになりますが、薬の「効力」は顕著であり、LDL-コレステロールを25mg/dl以下と超低値になるかたは、エボルロクマブで37%、アリロクマブで24%にものぼることが報告されています。こうした強力な薬理作用と、副作用報告がないこと、前述の遺伝病の基礎医学的観点からの検証で心血管病の発症、予防と密接な関係があることが明確であるとされ、臨床試験による心血管病「予防」の検証データはないものの、予防することはほぼ間違いないだろう、とのつよい期待から承認されました。

しかし、これまでには、血中のLDL-CHOL値を顕著に低下させたとしても、心血管病の予防効果が認められなかったケース、それどころか、むしろ、心血管病リスクを上昇させる薬の例が存在し、PSK−9阻害剤をこの段階で新薬として承認したことの是非について議論がヒートアップしています。

時をさかのぼれば、2007年、「トルセトラピブ」と呼ばれる薬剤は、LDL-CHOL27%低下する作用を有していたものの、「心血管病」のリスクを25%有意(P0.001)に上昇させたことが報告されています(November 22, 2007Barter P.J., Caulfield M., Eriksson M., et al.N Engl J Med 2007; 357:2109-2122)。仮に「トルセトラピブ」が、LDL-CHOLを低下させる顕著な効果によって、薬として認可され、市場に出回っていたならば、多くのかたが心血管病の犠牲になっていたと考えられています。この事例を引用しても「LDL-CHOLの顕著な低下作用の認定のみで<PCSK-9阻害剤>を薬として認可するには時期尚早であろう」とする意見に賛同できますし、「心血管病リスクの上昇させる重大なリスク」については、私も大いに懸念を持つところです。

米国食品衛生局(FDA)のメンバーで、認可賛成に回った先生たちの間では、「この薬の値段が常軌を逸している(1年のコストが175万円=14600ドル!かかる)こと、痛みを伴う注射剤であること」で、経済的観点からも、治療方法の観点から鑑みても、医師も患者も、使用頻度が少なくなると見積もられ、心血管病リスクを増大させることはないなどと、極めて乱暴な論調でコメントを出しています(October 7, 2015Everett B.M.Smith R.J.Hiatt W.R.10.1056/NEJMp1508120)。

そもそも、この段階で、承認するべきだったのかは、多いに疑問が残るところですが、Balu博士らのように、より少数の病態を対象(例えば、家族性高コレステロール血症)として適用を絞って、承認するという方法もあったのではないか、(October 7, 2015Schulman K.A.Balu S.Reed S.D.10.1056/NEJMp1509863)と批判的な論調もあるようです。今回の治療の対象となるのは「動脈硬化性の心血管病を有しているLDL−コレステロールをさらに低下させる必要のあるかた」とされ、事実、対象者は膨大であることが推測されるからです。

なかでも、薬の値段<薬価>という問題は、上述した議論に拍車をかけた理由のひとつでしょう。お薬の値段のつけかたが、この業界特有の市場にいくら高くても受け入れられる「青天井」の考え方が支配的に存在することを暗示しています。消費者側、すなわち患者さんが、「命にはかえられない、値段はともかくいい薬なら受け入れるという、ロスアバージョン(損失嫌悪:現在有するものを損失することへの過敏な嫌悪感による偏見的考え方)を持っていること」に起因しているのです。さらに、「ジェネリック」医薬品の導入もまた一因といえるでしょう。

国内でも、2017年までに、ジェネリック医薬品をシェアの80%とする骨太方針が決定されていますが、海の向こうの米国では、すでに「84%」とかなり高い水準に至っています。製薬メーカーは自社開発品が、ジェネリックに置き換えられることで、これまであげてきた製薬による利益を維持することが難しく、収益が圧迫されてきています。こうなれば当然、新規薬剤開発への注力が必須となり、「新薬」開発の暁には、「途方もない値段」がつけられるというわけです。ジェネリック導入によって目先の出費を抑えるでしょう。しかし、長期的視野に立てば、市民の負担は上がる可能性は否めません。

昨今、医学界で話題のC型肝炎ウイルスの特効薬「ソバルディ」の場合、日本は12週間分の総治療費が500万円ほどになります。日本で、この薬の対象になる30万人いると推定され、この治療のために、1.5兆円が必要となります。日本の1年の医療費40兆円のうちの約4%を占めると算出されます。PSK-9阻害剤が国内で承認されれば、適応となる患者数は、100万人を超えることは間違いないところでしょう。全員に投与されることはないにしても、医療費圧迫に影響することは間違いなさそうです。


「ジェネリック」医薬品の推進ばかりが目につきますが、これが短期的にも長期的にも正しい医療政策なのか、「薬価」の問題については視野を拡大して立ち止まって考えるべき頃だと思います。私自身、医薬品として認可する過程への市民オンブズマンの監視が必要ではないかと思う所以です。