前立腺がんは、新規に診断される患者数は、1年あたり10万人中117.9人で、60歳以上で、急激に増加します。男性では、1位の胃がん、2位の大腸がん、3位の肺がんについで、罹患数の多いがんです。発見時にすでに骨転移している症例もあり、病期が進んでしまうと、治療にも難渋します。予防には「禁煙、節度ある飲酒、バランスの良い食事、適切な運動、体重コントロール、そして感染症予防」が効果的だといわれています。加えて、疫学調査から、降圧剤であるベータブロッカーが、前立腺がんの発症を予防し、かつ死亡率を下げることも報告されています。
さて、この「ベータブロッカーが前立腺がん予防に及ぼすメカニズムの詳細」を明らかにすれば、新しい治療ターゲットを発見できるかもしれません。この話題について昨今「科学誌サイエンス」(1)で報告された内容が医学誌「NEJM」(2)でまとめられましたので、解説します。
癌化の前段階では、細胞が増殖しその容積が増える「過形成」、いわゆる良性腫瘍が生じ、その後「血管新生」に発展すると、過形成された組織内に血管が新たに作られ、栄養及び液性因子などが効率よく運びこまれ、細胞の癌化を促します。「血管新生スイッチ」と呼ばれるこの過程には、「VEGF」など血管新生を促す液性因子の関与することがわかっています。この液性因子は、癌化を阻止する為に働いていた「血管新生阻害因子」の作用を凌駕し、細胞の癌化を促進するのです。
さて、創傷治癒時に生じる血管新生は、末しょう神経によって制御されること、また神経が血管新生を介して腫瘍形成を促すこと、交感神経の関与の可能性についても報告されています。今回の研究では、腫瘍形成に関わる神経の関与を明らかにする目的で、交感神経の神経伝達物質であるノルアドレナリンが結合し細胞内に作用するベータアドレナリン受容体の遺伝子をコンディショナルノックアウト(条件特異的遺伝子破壊)し、「血管新生スイッチ」が阻害されるのかどうか検討されました。
<研究>
免疫欠損マウス(Balb/c(nu/nu))にヒト前立腺癌細胞を移植した結果、18日後から急激な癌細胞の増殖が認められました。一方で、β2とβ3アドレナリン受容体を欠失させた変異体マウスでは、ヒト前立腺癌細胞の移植後18日目までは、野生株マウスと同程度の増殖を認めましたが、その後の急激な増殖は認めませんでした。18日目の細胞分析では、免疫欠損マウス及び、β受容体欠失マウスでも、癌の体積、組織の形態について、差異は認められませんでしたが、β受容体欠失マウスでは、腫瘍内血管の長さ、及び枝分かれの数の減少を認め、血管新生の有意な低下を認めました。この結果から、βアドレナリン受容体シグナルによる腫瘍血管新生作用、すなわち「血管新生スイッチ」機能を認め、このスイッチが、「低グレイド前立腺上皮内腫瘍(LPIN)」から、悪性度の高い「高グレイド前立腺上皮内腫瘍(HPIN)」へ誘導することも示唆されました。
次に、癌遺伝子である「MYC」を、プロバシンプロモーターの下流に挿入し、前立腺に大量に発現させたマウスモデルを用いました。発現後4週目に、腫瘍レベルはLPINに、また8週目にHPINに悪性化し、さらに24週目には、腺癌を形成し、その後、浸潤癌への進行が確認され、「ヒト前立腺癌の自然死の再現モデル動物」の作成に成功したことが確認されました。交感神経の発現をチロシンヒドロキシラーゼによる免疫組織染色を用いて、血管新生については、CD31抗体を用いて同定し、その結果、HPINで神経と血管の物理的な接合が増加していることがわかりました。HPIN組織内のノルアドレナリンの特異的な増加、血管内皮細胞でのβ2アドレナリン受容体の高頻度な発現が明らかになりました。
次に、「どの間質細胞のβ2アドレナリン受容体が、腫瘍の癌化に決定的な役割を果たしているのか」を検討するために、CREシステムによって血管内皮、ペリサイト、ミエロイド細胞のそれぞれ特異的に発現するβ2アドレナリン受容体をコンディショナルノックアウトにより欠失させた結果、LPINの段階で、ペリサイトあるいはミエロイド細胞特異的にβ2アドレナリン受容体を欠失させても、HPIN、及び腺ガンに進行した時期の腫瘍の重さには変わりはありませんでした。しかし、LPINの段階で、血管内皮細胞特異的にβ2アドレナリン受容体を欠失させたマウスでは、HPINへの移行が遅れ、12ヶ月間後までこの遅れが観察されました。その後、腫瘍を摘出し、血管組織を分析すると、血管の長さ、枝分かれの数が、野生型MYCマウスに比較して有意に減少していることが明らかとなりました(P<0.01)。この結果から、血管内皮細胞に存在するβ2アドレナリン受容体が、血管新生スイッチ遂行を司り、前立腺癌形成に決定的な役割を果たしていることが、示唆されました。
次に、血管内皮に存在するβ2アドレナリン受容体細胞内シグナルのどのコンポーネントが、血管新生スイッチを司っているのか、を検討する目的で、MYC野生型マウスと、血管内皮特異的にβ2アドレナリン受容体を欠失させたMYCマウスの、血管内皮細胞を、それぞれFACSを用いて選択的に取り出し、それらの「トランスクリプトーム」を比較しました。「遺伝子セット濃縮解析」から、β2アドレナリン受容体を欠失させた場合、「ミトコンドリアのチトクロームC」活性が有意に上昇している可能性が示唆されました。階級クラスター解析から、「BckdhaとCoa6」が突出して増えていることもわかりました。この結果から、血管新生スイッチにミトコンドリアの酸化的リン酸化の関与の可能性が示唆されました。
血管新生は主に好気的解糖によってATPを産生します。β2アドレナリン受容体のノックアウトにより血管新生が生じなくなるのは、血管内皮細胞内の酸化的リン酸化が高まるためです。そこで、チトクロームIVオキシダーゼ・アセンブリー・ファクターであるCox10をβ2アドレナリン受容体遺伝子と共に欠失させると、このCox10の追加欠失によってβ2アドレナリン受容体単独欠失した場合に生じる代謝シフトの阻害が生じ、前立腺がんの進行が再度生じるようになることがわかりました。
コメント
今回の実験結果によって、前立腺がんの進行には、神経を介した血管新生の促進が関与することが明らかになりました。この前立腺がん治療の新しいターゲット、そしてβブロッカーの有効性は、世界中の注目を集め、すでにはじまっているβブロッカーを用いた3つの前立腺がん治療の第二相臨床研究の結果が期待されるところです。また、今回の結果は、「神経の走行に沿うようにがん細胞が認められた場合、予後が悪い」という臨床データに基づく知見を裏付けるものとなりました。
前立腺がんは、男性では一生のうちに12%のかたが罹患するという、発症頻度の高いがんです。βブロッカーが前立腺がんの進行を阻止するだけなく、再発の抑止にも効果があるかどうか、今後、安全性を含め検討された上で、臨床応用されることが期待されます。
前立腺がんは、アンドロゲン作用によって増殖する症例が多いことから、抗アンドロゲン療法を主たる治療薬として用い、放射線療法や化学療法の追加について検討してゆきます。治療を続けるうちに、アンドロゲンに対して前立腺がんが耐性を示すようになることもしばしば生じ、βブロッカーが採用され、薬剤の選択肢の幅が広がることは大きな利益になるでしょう。
最近では、「神経が、がんの増殖に関与している」という概念は、胃がんや膵臓がんでも、見いだされてきました。この新しい概念である「神経制御によるがん細胞増殖の抑制」、この機序の解明によって、がん治療の飛躍が期待されます。
(1)Zahalka, A. H., Arnal-Estapé, A., Maryanovich, M., Nakahara, F., Cruz, C. D., Finley, L. W., & Frenette, P. S. (2017). Adrenergic nerves activate an angio-metabolic switch in prostate cancer. Science, 358(6361), 321-326.
(2)Chen, D., & Ayala, G. E. (2018). Innervating Prostate Cancer. New England Journal of Medicine, 378(7), 675-677.
さて、この「ベータブロッカーが前立腺がん予防に及ぼすメカニズムの詳細」を明らかにすれば、新しい治療ターゲットを発見できるかもしれません。この話題について昨今「科学誌サイエンス」(1)で報告された内容が医学誌「NEJM」(2)でまとめられましたので、解説します。
癌化の前段階では、細胞が増殖しその容積が増える「過形成」、いわゆる良性腫瘍が生じ、その後「血管新生」に発展すると、過形成された組織内に血管が新たに作られ、栄養及び液性因子などが効率よく運びこまれ、細胞の癌化を促します。「血管新生スイッチ」と呼ばれるこの過程には、「VEGF」など血管新生を促す液性因子の関与することがわかっています。この液性因子は、癌化を阻止する為に働いていた「血管新生阻害因子」の作用を凌駕し、細胞の癌化を促進するのです。
さて、創傷治癒時に生じる血管新生は、末しょう神経によって制御されること、また神経が血管新生を介して腫瘍形成を促すこと、交感神経の関与の可能性についても報告されています。今回の研究では、腫瘍形成に関わる神経の関与を明らかにする目的で、交感神経の神経伝達物質であるノルアドレナリンが結合し細胞内に作用するベータアドレナリン受容体の遺伝子をコンディショナルノックアウト(条件特異的遺伝子破壊)し、「血管新生スイッチ」が阻害されるのかどうか検討されました。
<研究>
免疫欠損マウス(Balb/c(nu/nu))にヒト前立腺癌細胞を移植した結果、18日後から急激な癌細胞の増殖が認められました。一方で、β2とβ3アドレナリン受容体を欠失させた変異体マウスでは、ヒト前立腺癌細胞の移植後18日目までは、野生株マウスと同程度の増殖を認めましたが、その後の急激な増殖は認めませんでした。18日目の細胞分析では、免疫欠損マウス及び、β受容体欠失マウスでも、癌の体積、組織の形態について、差異は認められませんでしたが、β受容体欠失マウスでは、腫瘍内血管の長さ、及び枝分かれの数の減少を認め、血管新生の有意な低下を認めました。この結果から、βアドレナリン受容体シグナルによる腫瘍血管新生作用、すなわち「血管新生スイッチ」機能を認め、このスイッチが、「低グレイド前立腺上皮内腫瘍(LPIN)」から、悪性度の高い「高グレイド前立腺上皮内腫瘍(HPIN)」へ誘導することも示唆されました。
次に、癌遺伝子である「MYC」を、プロバシンプロモーターの下流に挿入し、前立腺に大量に発現させたマウスモデルを用いました。発現後4週目に、腫瘍レベルはLPINに、また8週目にHPINに悪性化し、さらに24週目には、腺癌を形成し、その後、浸潤癌への進行が確認され、「ヒト前立腺癌の自然死の再現モデル動物」の作成に成功したことが確認されました。交感神経の発現をチロシンヒドロキシラーゼによる免疫組織染色を用いて、血管新生については、CD31抗体を用いて同定し、その結果、HPINで神経と血管の物理的な接合が増加していることがわかりました。HPIN組織内のノルアドレナリンの特異的な増加、血管内皮細胞でのβ2アドレナリン受容体の高頻度な発現が明らかになりました。
次に、「どの間質細胞のβ2アドレナリン受容体が、腫瘍の癌化に決定的な役割を果たしているのか」を検討するために、CREシステムによって血管内皮、ペリサイト、ミエロイド細胞のそれぞれ特異的に発現するβ2アドレナリン受容体をコンディショナルノックアウトにより欠失させた結果、LPINの段階で、ペリサイトあるいはミエロイド細胞特異的にβ2アドレナリン受容体を欠失させても、HPIN、及び腺ガンに進行した時期の腫瘍の重さには変わりはありませんでした。しかし、LPINの段階で、血管内皮細胞特異的にβ2アドレナリン受容体を欠失させたマウスでは、HPINへの移行が遅れ、12ヶ月間後までこの遅れが観察されました。その後、腫瘍を摘出し、血管組織を分析すると、血管の長さ、枝分かれの数が、野生型MYCマウスに比較して有意に減少していることが明らかとなりました(P<0.01)。この結果から、血管内皮細胞に存在するβ2アドレナリン受容体が、血管新生スイッチ遂行を司り、前立腺癌形成に決定的な役割を果たしていることが、示唆されました。
次に、血管内皮に存在するβ2アドレナリン受容体細胞内シグナルのどのコンポーネントが、血管新生スイッチを司っているのか、を検討する目的で、MYC野生型マウスと、血管内皮特異的にβ2アドレナリン受容体を欠失させたMYCマウスの、血管内皮細胞を、それぞれFACSを用いて選択的に取り出し、それらの「トランスクリプトーム」を比較しました。「遺伝子セット濃縮解析」から、β2アドレナリン受容体を欠失させた場合、「ミトコンドリアのチトクロームC」活性が有意に上昇している可能性が示唆されました。階級クラスター解析から、「BckdhaとCoa6」が突出して増えていることもわかりました。この結果から、血管新生スイッチにミトコンドリアの酸化的リン酸化の関与の可能性が示唆されました。
血管新生は主に好気的解糖によってATPを産生します。β2アドレナリン受容体のノックアウトにより血管新生が生じなくなるのは、血管内皮細胞内の酸化的リン酸化が高まるためです。そこで、チトクロームIVオキシダーゼ・アセンブリー・ファクターであるCox10をβ2アドレナリン受容体遺伝子と共に欠失させると、このCox10の追加欠失によってβ2アドレナリン受容体単独欠失した場合に生じる代謝シフトの阻害が生じ、前立腺がんの進行が再度生じるようになることがわかりました。
コメント
今回の実験結果によって、前立腺がんの進行には、神経を介した血管新生の促進が関与することが明らかになりました。この前立腺がん治療の新しいターゲット、そしてβブロッカーの有効性は、世界中の注目を集め、すでにはじまっているβブロッカーを用いた3つの前立腺がん治療の第二相臨床研究の結果が期待されるところです。また、今回の結果は、「神経の走行に沿うようにがん細胞が認められた場合、予後が悪い」という臨床データに基づく知見を裏付けるものとなりました。
前立腺がんは、男性では一生のうちに12%のかたが罹患するという、発症頻度の高いがんです。βブロッカーが前立腺がんの進行を阻止するだけなく、再発の抑止にも効果があるかどうか、今後、安全性を含め検討された上で、臨床応用されることが期待されます。
前立腺がんは、アンドロゲン作用によって増殖する症例が多いことから、抗アンドロゲン療法を主たる治療薬として用い、放射線療法や化学療法の追加について検討してゆきます。治療を続けるうちに、アンドロゲンに対して前立腺がんが耐性を示すようになることもしばしば生じ、βブロッカーが採用され、薬剤の選択肢の幅が広がることは大きな利益になるでしょう。
最近では、「神経が、がんの増殖に関与している」という概念は、胃がんや膵臓がんでも、見いだされてきました。この新しい概念である「神経制御によるがん細胞増殖の抑制」、この機序の解明によって、がん治療の飛躍が期待されます。
(1)Zahalka, A. H., Arnal-Estapé, A., Maryanovich, M., Nakahara, F., Cruz, C. D., Finley, L. W., & Frenette, P. S. (2017). Adrenergic nerves activate an angio-metabolic switch in prostate cancer. Science, 358(6361), 321-326.
(2)Chen, D., & Ayala, G. E. (2018). Innervating Prostate Cancer. New England Journal of Medicine, 378(7), 675-677.