モバイル医療(mhealth)は、その言葉が人口に膾炙するようになった2008年以来、急速な進歩を遂げています(1)。グローバルには、ワイヤレス回線の契約件数は現在50億件。ワイヤレスコミュニケーションの発する信号数は、全世界人口の85%に達するともいわれ、特に近年の低・中収入国のワイヤレス通信人口の伸びは著しいものです。こういった情報通信技術のスマート革命を、ビジネスチャンスと捉え様々な健康アプリが開発されています。世界中で誰もが平等に健康管理を行える日が来ることもまんざら夢ではないかもしれません。
今回スマホ(スマートフォン)を利用した、従来にない角度から開発されたアプリを用いた調査報告が発表されました(2)。西アフリカの風土病、「オンコセルカ症」は、年間数万人を失明させる怖い疾患です。また「リンパ系フィラリア症」は、象のような硬い皮膚を形成させる難治性疾患です。いずれも病原体は「ロアロアフィラリア」です。ノーベル医学賞を受賞した大村博士の開発した「イベルメクチン」は、このロアロアフィラリアを駆除することができる特効薬です。かつてこの恐ろしい風土病を撲滅させるためにイベルメクチンが無償大量配布されました。早期の撲滅が期待されましたが、残念ながら、投薬に伴う特徴的な脳症の発症が500例以上、さらには60例が死に至るという結果に伴い、1999年に同薬剤の供給プログラムは一時中断することになりました。その後の分析から、この副作用が生じるのは、血中ロアロアフィラリアが、30000mf/ml以上の症例に限ること、また駆除により死に瀕したロアロアフィラリア周囲の好酸球由来の炎症反応、及び微小血栓による中枢神経系の血管破壊が「副反応の原因」ではないかと推定されました。これによって「血中ロアロアフィラリア数が多い症例には、適用しない」という方針で治療対象を絞った治療の提唱がなされました。安全・確実に患者さんの元へ、イベルメクチンを届けたい、そうした研究者の思いから、アフリカでも特に医療資源の乏しい現場で、血中の寄生虫数を正確に測定できる技術開発が求められてきました。現在、副作用のおそれがある症例は全体の5%未満と推定され、95%以上の方に、イベルメクチンを安全に投与可能で、寄生虫を円滑に駆除できると考えられています。
さて、ロアスコープ(LoaScope)は、血液中の寄生虫を映し出すレンズを持つ小さなデバイスです。デバイスには、「患者から採血したチューブをそのまま差し込む穴」と「映し出された寄生虫の数を自動的にカウントするためのアプリがインストールされているスマホ」を連結できるソケットがついています。取り扱うために1回1時間、2週間のトレーニングさえ受ければ、医療者なら誰でも寄生虫の数をわずか2-3分程度で正確に測定できるようになります。今回の調査では、この技術が用いられました。
ロアロアフィラリア感染が広がるオコラ健康地域(11の小地域に細分化されます)を対象地域としました。23例の脳症を認めたことから1999年にイベルメクチンの大量配布が中止されていました。5歳以上のすべての住民が試験参加対象となり、16,259人が試験登録されました。これは、対象地域の71.2%に当たります。オンコセルカ症の有病率は、15.3%から29.9%、ロアロアフィラリア感染症の有病率は、15.3%から22.8%と推定されました。ロアロアフィラリアの血中濃度の閾値は、臨床的な閾値とされる30,000 mf/mlの数値を得るための、ロアスコープを用いた場合の偽陽性率、偽陰性率から得た数値である26,000mf/mlと設定していましたが、7,065人のスクリーニングを終えた段階で、一例のみロアフィラメント数24599mf/mlで、結膜出血が生じている症例に遭遇したことから、安全を見越して、閾値を20,000mf/mlに下げました。その結果、ロアロアフィラリアの血中濃度が20,000mf/mlを超えていたのは、小地域ごとに見ると、1.3%から2.4%の間に分布していました。
対象者の99%である16,099人についてロアスコープを用いた結果のうち、カウントについて技術的トラブルのあった160人のサンプルは、顕微鏡でカウントされました。最終的に、15,522人にイベルメクチンが投与されました。投与されなかった737人のうち340人が閾値(20,000mf/ml)を超えていた方、228人が他の重篤な疾患がある方、169人が妊婦でした。イベルメクチンを投与されなかった、妊婦以外の方には、アルベンダゾールが投与されました。
<副作用>
イベルメクチン投与を受けた15,522人のうち、934人(6%)について、副作用調査が行われました。リスク閾値を26,000mf/mlから20,000mf/mlに下げた結果、副作用頻度は6.6%から5.6%に低下しました(P<0.001)。副作用報告は合計2,818件で、皮膚疾患が最も多く、全身性あるいはリウマチ様症状の出現がそれにつづきました。入院症例及び死亡例はゼロでした。すべての副作用は、1週間以内に抗ヒスタミン剤、アセタミノフェンなどの対症療法が施され、消失が確認されました。
<議論>
1999年の副作用発生のショックもあり、この研究の開始は、住民の同意を得る上でも容易ではなかったようです。研究を主導したフランス・モンペリエールの国際開発研究所のピオン博士らの努力には頭が下がる思いです。研究対象となったオコラ地区は、1999年に6,000人にイベルメクチンが配布され、3人が死亡、23人が脳症を発症した場所です。つまり1万人に同剤が投与されると、一週間以内に、5人が死亡、38人が重篤な神経障害を来たすと単純計算されるわけで、今回の研究の規模で換算すると、重篤な脳症は62例、死亡例は8例と推算されることになります。今回の調査では、重篤な脳症も死亡例も一例たりともなかったことは特筆されるでしょう。
ロアロアフィラリアは日中に活動するため、午前10時から午後4時までにその数をチェックする必要があります。ロアスコープ操作のトレーニングを受けた方が、スマホと連結したデバイスによって、ひとつの村で、最大1日162人の検査が可能となります。ロアロアフィラリアが20,000mf/mlよりも多い副作用リスクのある2.4%のかたをイベルメクチンの投与対象から外せば、安全な寄生虫駆除が可能であることが証明されたことは、大きな成果です。適用外の症例についても、現在イベルメクチン以外の薬剤での安全な治療を検定しているということで、この治療法開発の成功を祈るばかりです。
特定地域の風土病を標的に、スマホを用いて、寄生虫を検出・測定し、安全かつ効率の良い治療を可能とした今回の研究は、今後、別な医療分野でのアプリの開発を鋭意進める原動力になったに違いない、と思うところです。
Roess, A. (2017). The Promise, Growth, and Reality of Mobile Health―Another Data-free Zone. New England Journal of Medicine. N Engl J Med 2017; 377:2010-2011November 23, 2017DOI: 10.1056/NEJMp1713180
Kamgno, J., Pion, S. D., Chesnais, C. B., Bakalar, M. H., D’ambrosio, M. V., Mackenzie, C. D., ... & Tchatchueng-Mbouga, J. B. A test-and-not-treat strategy for onchocerciasis in Loa loa–endemic areas. New England Journal of Medicine. 2017; 377:2044-2052