前立腺がんの話題
男性にとって、加齢とともにリスクの高くなる「前立腺がん」の発症については、高齢化の進む現代、益々避けられない問題として認識されているところです。天皇陛下が東大病院で手術を受けられた際、そうした思いを多くの日本国民はあらためて共有しました。わが国の前立腺がんによる死亡数は約1.2万人で、男性がん死亡全体の約5%を占めると言われています。前立腺がんの罹患数は、男性のがん罹患全体の約14%にのぼり、罹患率は65歳前後から顕著に高くなります。年齢調整罹患率は、1975年以降増加しています。その理由の1つとして、前立腺特異抗原「PSA」による鑑別診断が汎用された事が背景にあると言われています。
前立腺がんは、加齢とともに多くなるがんの代表です。前立腺がんの中には、進行がゆっくりで、「寿命に影響しない」と解釈されるがんもあり、前立腺がん以外の死因でお亡くなりになった方を病理解剖すると、たまたま前立腺がんがみつかることもよくある事です。前述の「PSA検査の普及」により、こうした「症状がない」、「寿命に関係しない」、「治療を要さない」がんを発見する頻度が高くなる可能性が指摘されており、発見してしまう事による「過剰診断」が問題視されています。PSAをもとに前立腺がんを発見したばかりに、治療を受けざるをえず、結果として、「性生活の質が落ち」「排尿・排便機能が低下」してしまう症例も指摘されています。
今回、この「過剰な治療」の問題について注目された論文がNEJM(文献1、2)に2本、掲載されましたので、解説してみましょう。この論文では、PSAをもとに発見された前立腺がんについて治療のオプションとして、1)放射線療法、2)外科術(前立腺切除術)以外に、3)「積極的モニタリング」を取り入れたことが特徴です。試験は、ProtecT試験と命名され、英国ブリストル大学の研究グループによって行われました。1999年から2009年の間に、82,429人の男性がPSAテストを受け、2,664人が、限局性の前立腺がんの診断を得ました。内1,643人が、臨床試験参加に同意し、545人が「放射線療法群」に、553人が「外科術群」に、545人が「積極的モニタリング」群に無作為に割り付けられました。PSAの中央値は、4.6ng/mlでした(正常値は、4.0ng/ml以下)。グリーソンスコアは、77%が「6」(一番臨床予後のよい値)、76%が「ステージT1c」で、総じて早期の前立腺がんの占める割合が多い研究とみなされます。
10年間の経過観察期間で、連絡をとれなくなった14人をのぞき、死亡例については全例確認することができました。「積極的モニタリング」群の88%、放射線療法群の74%、外科手術群の71%が、割付後9ヶ月以内に、所定の治療が開始されました。平均年齢は62歳で、白人が99%、配偶者あるいはパートナーと暮らしている人が84%でした。
最終的に、「積極モニタリング」群の291人(56%)が、根治治療を受けられました。その内訳は、「142人が外科手術」「97人が事前に決められたプロトコールどおりの放射線療法」「22人が、小線源治療」「27人が、事前のプロトコールに従わない放射線療法」「3人が、高密度焦点式超音波療法」でした。外科術については、391人のかたが、前立腺切除術を受けましたが、18人は治療失敗例とされ、放射線療法などの追加療法が行われました。405人の放射線療法を受けたかたのうち、55人は、PSAが治療後再上昇し、うち18人は外科術を含む後療法を受けました。
結果
前立腺がんに伴う死亡数は、極めて少なく、積極モニタリング群で、8例、外科群で5例、放射線群で4例でした。それぞれのグループ間には、死亡率について有意差はありませんでした。
一方、転移を含む病気の進行(骨、内蔵、リンパ節への転移とPSAが100ng/ml以上となった場合)を認めた症例数は、積極モニタリング群で有意に多く認められました(積極モニタリング:112例、外科群:46例、放射線療法群46例、p<0.001)。転移のみの症例では、積極モニタリング群で、治療群と比較して、2倍以上の有意な差がありました(6.3/1000人年 対 2.4−3.0/1000人年、p=0.004)。
治療にともなう合併症ですが、「外科術」の場合、9症例に血栓塞栓症、14症例に3ユニット以上の輸血を要する出血、1症例に、直腸障害、9症例に縫合不全を認めました。「放射線療法」の場合、3症例に前立腺がんと無関係な死が認められました。
試験開始後6年経過したところでアンケート調査が行われました。アンケートでは、「排尿機能」「排便などの直腸機能」「性機能」「生活の質」「不安の程度」「抑うつの程度」「健康全般」について調査検討されました。85%以上のかたが、質問票に答えるという高い回答率を得られ、アンケートによる調査結果は信憑性のあるものと考えられました。
「尿漏れ」は、6ヶ月目の段階で、「外科術」で最も良く認められました。その後やや回復傾向にありましたが、「積極モニタリング」および「放射線療法」のグループと比較すると、有意な差を認めました(p<0.001)。試験施行後「6ヶ月と6年目」の段階で、「尿漏れを理由として吸収パッドを使った頻度」は、「外科術群」で「46%(6ヶ月目)と17%(6年目)」「放射線群」で「5%と4%」、「積極モニタリング群」で「4%と8%」と、外科術による合併症の頻度の高さが明らかとなりました。
「性機能」評価では、勃起不全で性交不能となった率は、試験後「6ヶ月と6年目」で、試験開始前と比較し、「積極モニタリング群」で、「15%と37%」増加、放射線群で「45%と40%」増加、外科術で「55%と50%」増加しており、同様に、外科術によって性機能が悪化する可能性が高い、という結果を認めました(p<0.001)。
「便失禁」については、すべてのグループ間に差は認められませんでしたが、「下血」の頻度は、「放射線群」で、ほかの2つの治療法より高いことがわかりました(p<0.001)。
「うつ、不安障害、健康全般」にかかわる項目では、グループ間に有意差は認められませんでした。
本研究調査から、「積極的モニタリング」群は、他の2つの治療法に比べて、10年の経過では、「死亡率」の観点では、統計的な違いは認められませんでした。しかし、「転移」の頻度が2倍以上上昇し、かつ、半数以上の方が根治的治療を受けることになった結果は、重く受け止めなくてはなりません。一方で、「外科術」が理由とみられる「術後合併症」の問題、排尿障害、性機能障害の有意な頻度の上昇、「放射線療法群」で、前立腺がん以外での死亡例が多く認められた点、下血増加の問題もまた、見逃すことはできません。今後、「62歳前後」で、「早期の前立腺がん」が発見された症例について、治療選択時には「リスクとベネフィット」について、医師と患者の間でよく相談し、それぞれのQOLを尊重した治療法の決定をしていくことは重要な臨床的ポイントになるでしょう。
本研究調査では、調査対象の大多数が白人であり、今後ほかの人種についても、特に日本人を含むアジア人についても、この結果が適応可能かどうか検討を要すると思います。また、試験後、ロボット手術などの新規の治療法が可能となり、こうした新しい技術を導入した症例についても今後は詳細な検討を必要とすると考えられます。
PSAの臨床検査の汎用によって、全く自覚のない早期の癌が発見され、どの治療にしたら良いのかどうか、迷う結果になるという結論が得られた当研究結果は、インフォームドコンセントを十分にする必要があり、医療者側も患者側も双方大変悩ましいところです。さらに5年ないし、10年この試験の観察期間を延長し、長期的視野に基づいて、死亡率に差が出るのかどうか、最終的な結論をえる必要があると専門家の間では議論されているところでもあり、この治療選択に関わる議論の結論を出すにはまだ時間がかかりそうです。
翻って考えると、PSA検査の如何について議論上にあることから、先ずは、前立腺がん予防について真剣に考えるのがよいではないか、と思いました。今年3月のハーバード大学の研究から、20代でも40代でも「射精」頻度が高いと、前立腺がん発症が20%程度予防(p<0.0001)できることが示されました(文献3)。射精頻度としては、月に21回以上を基準とし、性交、自慰など、その手段は問わないとしています。前立腺には余分なものを溜め込まない、ことが癌化予防につながるという推測です。仲睦まじい夫婦生活、豊かな性生活を志向することが前立腺がん予防には特効薬となる、ことが示されたように思えてきました。
(文献3)Rider,
J. R., Wilson, K. M., Sinnott, J. A., Kelly, R. S., Mucci, L. A., &
Giovannucci, E. L. (2016). Ejaculation frequency and risk of prostate cancer:
updated results with an additional decade of follow-up. European urology.
Mar 28. pii: S0302-2838(16)00377-8.