2016/10/26

第94回 愛し野塾 前立腺がんの話題


前立腺がんの話題

男性にとって、加齢とともにリスクの高くなる「前立腺がん」の発症については、高齢化の進む現代、益々避けられない問題として認識されているところです。天皇陛下が東大病院で手術を受けられた際、そうした思いを多くの日本国民はあらためて共有しました。わが国の前立腺がんによる死亡数は約1.2万人で、男性がん死亡全体の約5%を占めると言われています。前立腺がんの罹患数は、男性のがん罹患全体の約14%にのぼり、罹患率は65歳前後から顕著に高くなります。年齢調整罹患率は、1975年以降増加しています。その理由の1つとして、前立腺特異抗原「PSA」による鑑別診断が汎用された事が背景にあると言われています。

前立腺がんは、加齢とともに多くなるがんの代表です。前立腺がんの中には、進行がゆっくりで、「寿命に影響しない」と解釈されるがんもあり、前立腺がん以外の死因でお亡くなりになった方を病理解剖すると、たまたま前立腺がんがみつかることもよくある事です。前述の「PSA検査の普及」により、こうした「症状がない」、「寿命に関係しない」、「治療を要さない」がんを発見する頻度が高くなる可能性が指摘されており、発見してしまう事による「過剰診断」が問題視されています。PSAをもとに前立腺がんを発見したばかりに、治療を受けざるをえず、結果として、「性生活の質が落ち」「排尿・排便機能が低下」してしまう症例も指摘されています。

今回、この「過剰な治療」の問題について注目された論文がNEJM(文献1、2)に2本、掲載されましたので、解説してみましょう。この論文では、PSAをもとに発見された前立腺がんについて治療のオプションとして、1)放射線療法、2)外科術(前立腺切除術)以外に、3)「積極的モニタリング」を取り入れたことが特徴です。試験は、ProtecT試験と命名され、英国ブリストル大学の研究グループによって行われました。1999年から2009年の間に、82,429人の男性がPSAテストを受け、2,664人が、限局性の前立腺がんの診断を得ました。内1,643人が、臨床試験参加に同意し、545人が「放射線療法群」に、553人が「外科術群」に、545人が「積極的モニタリング」群に無作為に割り付けられました。PSAの中央値は、4.6ng/mlでした(正常値は、4.0ng/ml以下)。グリーソンスコアは、77%が「6」(一番臨床予後のよい値)、76%が「ステージT1c」で、総じて早期の前立腺がんの占める割合が多い研究とみなされます。

10年間の経過観察期間で、連絡をとれなくなった14人をのぞき、死亡例については全例確認することができました。「積極的モニタリング」群の88%、放射線療法群の74%、外科手術群の71%が、割付後9ヶ月以内に、所定の治療が開始されました。平均年齢は62歳で、白人が99%、配偶者あるいはパートナーと暮らしている人が84%でした。

最終的に、「積極モニタリング」群の291人(56%)が、根治治療を受けられました。その内訳は、「142人が外科手術」「97人が事前に決められたプロトコールどおりの放射線療法」「22人が、小線源治療」「27人が、事前のプロトコールに従わない放射線療法」「3人が、高密度焦点式超音波療法」でした。外科術については、391人のかたが、前立腺切除術を受けましたが、18人は治療失敗例とされ、放射線療法などの追加療法が行われました。405人の放射線療法を受けたかたのうち、55人は、PSAが治療後再上昇し、うち18人は外科術を含む後療法を受けました。

結果
前立腺がんに伴う死亡数は、極めて少なく、積極モニタリング群で、8例、外科群で5例、放射線群で4例でした。それぞれのグループ間には、死亡率について有意差はありませんでした。

一方、転移を含む病気の進行(骨、内蔵、リンパ節への転移とPSA100ng/ml以上となった場合)を認めた症例数は、積極モニタリング群で有意に多く認められました(積極モニタリング:112例、外科群:46例、放射線療法群46例、p<0.001)。転移のみの症例では、積極モニタリング群で、治療群と比較して、2倍以上の有意な差がありました(6.31000人年 対 2.43.01000人年、p=0.004)。

治療にともなう合併症ですが、「外科術」の場合、9症例に血栓塞栓症、14症例に3ユニット以上の輸血を要する出血、1症例に、直腸障害、9症例に縫合不全を認めました。「放射線療法」の場合、3症例に前立腺がんと無関係な死が認められました。

試験開始後6年経過したところでアンケート調査が行われました。アンケートでは、「排尿機能」「排便などの直腸機能」「性機能」「生活の質」「不安の程度」「抑うつの程度」「健康全般」について調査検討されました。85%以上のかたが、質問票に答えるという高い回答率を得られ、アンケートによる調査結果は信憑性のあるものと考えられました。
「尿漏れ」は、6ヶ月目の段階で、「外科術」で最も良く認められました。その後やや回復傾向にありましたが、「積極モニタリング」および「放射線療法」のグループと比較すると、有意な差を認めました(p<0.001)。試験施行後「6ヶ月と6年目」の段階で、「尿漏れを理由として吸収パッドを使った頻度」は、「外科術群」で「46%(6ヶ月目)と17%(6年目)」「放射線群」で「5%4%」、「積極モニタリング群」で「4%8%」と、外科術による合併症の頻度の高さが明らかとなりました。
「性機能」評価では、勃起不全で性交不能となった率は、試験後「6ヶ月と6年目」で、試験開始前と比較し、「積極モニタリング群」で、「15%37%」増加、放射線群で「45%40%」増加、外科術で「55%50%」増加しており、同様に、外科術によって性機能が悪化する可能性が高い、という結果を認めました(p<0.001)。

「便失禁」については、すべてのグループ間に差は認められませんでしたが、「下血」の頻度は、「放射線群」で、ほかの2つの治療法より高いことがわかりました(p<0.001)。

「うつ、不安障害、健康全般」にかかわる項目では、グループ間に有意差は認められませんでした。

 本研究調査から、「積極的モニタリング」群は、他の2つの治療法に比べて、10年の経過では、「死亡率」の観点では、統計的な違いは認められませんでした。しかし、「転移」の頻度が2倍以上上昇し、かつ、半数以上の方が根治的治療を受けることになった結果は、重く受け止めなくてはなりません。一方で、「外科術」が理由とみられる「術後合併症」の問題、排尿障害、性機能障害の有意な頻度の上昇、「放射線療法群」で、前立腺がん以外での死亡例が多く認められた点、下血増加の問題もまた、見逃すことはできません。今後、「62歳前後」で、「早期の前立腺がん」が発見された症例について、治療選択時には「リスクとベネフィット」について、医師と患者の間でよく相談し、それぞれのQOLを尊重した治療法の決定をしていくことは重要な臨床的ポイントになるでしょう。

本研究調査では、調査対象の大多数が白人であり、今後ほかの人種についても、特に日本人を含むアジア人についても、この結果が適応可能かどうか検討を要すると思います。また、試験後、ロボット手術などの新規の治療法が可能となり、こうした新しい技術を導入した症例についても今後は詳細な検討を必要とすると考えられます。

PSAの臨床検査の汎用によって、全く自覚のない早期の癌が発見され、どの治療にしたら良いのかどうか、迷う結果になるという結論が得られた当研究結果は、インフォームドコンセントを十分にする必要があり、医療者側も患者側も双方大変悩ましいところです。さらに5年ないし、10年この試験の観察期間を延長し、長期的視野に基づいて、死亡率に差が出るのかどうか、最終的な結論をえる必要があると専門家の間では議論されているところでもあり、この治療選択に関わる議論の結論を出すにはまだ時間がかかりそうです。
翻って考えると、PSA検査の如何について議論上にあることから、先ずは、前立腺がん予防について真剣に考えるのがよいではないか、と思いました。今年3月のハーバード大学の研究から、20代でも40代でも「射精」頻度が高いと、前立腺がん発症が20%程度予防(p<0.0001)できることが示されました(文献3)。射精頻度としては、月に21回以上を基準とし、性交、自慰など、その手段は問わないとしています。前立腺には余分なものを溜め込まない、ことが癌化予防につながるという推測です。仲睦まじい夫婦生活、豊かな性生活を志向することが前立腺がん予防には特効薬となる、ことが示されたように思えてきました。

 (文献3)Rider, J. R., Wilson, K. M., Sinnott, J. A., Kelly, R. S., Mucci, L. A., & Giovannucci, E. L. (2016). Ejaculation frequency and risk of prostate cancer: updated results with an additional decade of follow-up. European urology. Mar 28. pii: S0302-2838(16)00377-8.

2016/10/18

第93回 愛し野塾 肺がん治療の進歩—免疫チェックポイント阻害剤


「肺がん」は、日本人のがん死亡原因の中でも、もっとも多い恐ろしい悪性疾患です。「肺がん」の分類については、その組織学的特徴「組織型」によって、「小細胞癌」と「非小細胞癌」にわかれています。「小細胞癌」は肺がんの5分の1を占め、頻度の高い「非小細胞癌」は、「腺癌」「扁平上皮癌」と「大細胞癌」に分類されています。またその治療となる、化学療法や放射線療法は、「小細胞癌」では比較的有効であるものの、「非小細胞癌」では、効果が得にくいことから、「非小細胞癌」では手術を受けることが治療の大前提とされています。最も進行度が低い病期1では、手術後の予後は、5年生存率で70-80%で「良好」と評価されていますが、手術ができない「進行性」となると治療に難渋します。特に脳などへの転移を認める「最も進行した病期」では、5年生存率は5%に及ばず、1年生存率ですら、わずか50%程度とされ、その予後の悪さには困惑を感ぜざるをえません。言うまでもなく、より有効性の高い治療法の「速やかな開発」が切望されています。最近では、がん遺伝子の異常(EGFRの変異やALKのトランスロケーション)に注目した、「分子標的治療」の研究開発によって、治療効果のある程度の有効性を示しているものの、適応となる症例は全体の20%程度であり、未だ死亡率低下という命題には至らず、有効性もまた限界ではないか?という説もあるようです。このように模索が続く中、201610月号のNEJMに掲載された研究報告は、「進行性非小細胞癌」の治療に一筋の光明が差し込んだ、ともとれる内容のものかもしれません。
Reck, M., Rodríguez-Abreu, D., Robinson, A.G., Hui, R., Csőszi, T., Fülöp, A., Gottfried, M., Peled, N., Tafreshi, A., Cuffe, S. and OBrien, M., 2016. Pembrolizumab versus Chemotherapy for PD-L1Positive NonSmall-Cell Lung Cancer. New England Journal of Medicine.
PD-L1program death ligand-1の略)と呼ばれる癌表面のマーカーを標的とした抗がん剤「ペンブロリツマブ」(PDL1に対する高度精製ヒト化モノクローナル抗体)が有意な治療効果を表したというのです。広く、「ペンブロリツマブ」は、「ニボルマブ(商品名、オブジーボ)」とともに、免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれています。
「キーノート001」と呼ばれるフェーズ1研究で、すでに、「ペンブロリツマブ」が、未治療の肺非小細胞癌に使用したところ、58.3%の奏功率(治療効果が認められた割合)、2年生存率60.6%という有意な治療効果を認め、「ペンブロリツマブ」が、フェーズ3研究で、優越性を示すことが期待されていました。ご紹介する論文によると、国際協力プロジェクトとして、フェーズ3研究「キーノート-24」臨床試験が行われ、未治療の進行性肺非小細胞癌で、PD-L1が癌の50%以上に発現しているものについて、「ペンブロリツマブ」と「従来の化学療法」との比較が行われました。EGFRの遺伝子変異や、ALKトランスロケーションに伴う癌遺伝子の異常を来している症例は含まないものとしました。
16カ国142カ所で1934人をスクリーニングした結果、500人、すなわち全体の30.2%に「PDL1が50%以上ある」症例を認めました 。日本からは、岡山大学が参加しました。最終的に、臨床研究の登録基準すべてを満たす305人について、2014年から2015年にかけて治療が開始されました。患者は154人を「ペンブロリツマブ群」、151人を「化学療法群」と無作為に割り付けられました。化学療法では「カルボプラスチンとペメトリキサド」の組み合わせが高い頻度で用いられました。
対象となった患者は、「ペンブロリツマブ群」と「化学療法群」それぞれ、年齢は、「64.5歳」と「66歳」、男性が「59.7%」と「62.9%」、喫煙率は、「96.8%」と「87.4%」、扁平上皮がんが「18.8%」と「17.9%」、脳転移が「11.7%」と「6.6%」でした。喫煙率、脳転移率が、ペンブロリツマブ群で多い印象ですが、統計学的には有意差がありませんでした。
2016年5月9日の段階で、経過観察期間 は、11.2ヶ月(中央値)でした。ペンブロリツマブ群の48.1%、化学療法群の10%が治療を継続していました。化学療法群のうち66例は、病気が進行したため、その後ペンブロリツマブ治療に移行しました。無増悪生存期間は、ペンブロリツマブ群で10.3ヶ月(中央値)、化学療法群で、6.0ヶ月(中央値)でした。すなわち、無増悪生存期間は、ペンブロリツマブ群で有意に長く、増悪あるいは死亡の合計件数は、化学療法群に比較し、ペンブロリツマブ群で50%有意に低下(p<0.001)していました。死亡率のみに注目すると、前者は、後者に比べ、40%有意な低下が見られました(p<0.005)。
ペンブロリツマブ群に認められた治療効果の優越性について詳細を検討した結果、「年齢」「性別」「パーフォーマンス」「組織型」「患者登録地」「脳転移の有無」「化学療法の種類」「喫煙率」に影響を受けないことが分かりました。つまり、進行性の非小細胞癌の場合、条件如何によらず、「ペンブロリツマブ」による治療が従来治療に優ることが明らかとなりました。加えて、非小細胞癌のなかでも、治療のオプションが限られている「扁平上皮癌」に対する有効性の高さは、ことさら顕著だったのです。「ペンブロリツマブ」による治療によって、「扁平上皮癌」症例の増悪、死亡の合計は、従来治療に比較して、65%の有意な低下を示したのです。かたや、「非扁平上皮癌」では、45%の低下にとどまっていました。扁平上皮癌への治療のオプションが広がったと受けとっていいでしょう。
治療に伴う有害事象は、ペンブロリツマブ群で73.4%、化学療法群で90%に認められました。ペンブロリツマブ群では、下痢が最も多く、14.3%に認められ、続いて、倦怠感が10.4%、熱発が10.4%に生じました。化学療法群では、貧血が44%、吐き気が43.3%、倦怠感が28.7%に認められました。
このように有害事象が少なく、有効率も高いことが判明したため、臨床研究モニタリング委員会が、試験期間中に、化学療法群の患者をペンブロリツマブ治療群に移行するよう勧告を出すほどでした。
今後の課題としては、PD-L1の発現率が50%よりも少ない症例でもペンブロリツマブ治療が、有効かどうかを検討することとされます。「キーノート042」臨床研究で、肺がんのうち、PDL1の発現率がわずか1%以上の群に対する効果検討がなされており、その結果が待たれます。
冒頭でも述べた、がん遺伝子の異常にともなう非小細胞癌の治療の対象となるのは、今回の研究の対象者である「男性」「喫煙者」が多数含まれる状況とは異なり、「女性」「非喫煙者」が多く含まれていました。しかし、少なからず、PD-L1の発現率が50%以上でしかも癌遺伝子異常があるかたもいるわけで、こうした患者の場合、ペンブロリツマブ治療を第一選択とするのか、がん遺伝子に対する分子標的治療を最優先とするのか、今後検討しなければならない課題とされます。
今後、さらに長期に臨床研究が続けられ、未治療の肺非小細胞癌の3年生存率である20%以上を達成できるのかどうか、免疫チェックポイント阻害剤による治療の可能性を、多くの研究者、患者、その家族が固唾をのんで見守っています。
一方で医療経済の観点から、オブジーボの年間治療費が、患者1人あたり3500万円かかり、総額が1兆円/年にも達することが、国家の財政を逼迫する大問題とされている現状を鑑みるに、まずは、オプジーボの価格を下げ、ペンブロリツマブが、近々上梓されることに備えることが必要であることは言うまでもないことです。
また、「ペンブロリツマブ治療」の副作用によって1名の死亡例が生じたこと、重大な有害事象が21.4%に認められたこと、有害事象を理由に、7.1%のかたが治療を断念したことにも、十分留意する必要があります。こうした有害事象の発現率は、化学療法の使用時に比べて少ないとはいえ、その詳細を把握し、回避する手段を検討していかねばならないことは、当然のことです。薬の特性から、化学療法には認められない有害事象として、免疫系に関与するものがあり、「甲状腺」関連疾患が19.5%に認められたこと、「肺臓炎」が5.8%のかたにみとめられたことについても、特に十分な対策を講じることが求められるでしょう。

安全性、値段の問題点をクリアしてこそ、今回報告された結果が、実臨床の場で現実的に有効に平等に生かされていくことでしょう。有効だが、高額な治療薬を市場導入する際のルールの確立も国民的議論を要するところだと考えています。

2016/10/12

第92回 愛し野塾 マシーン・ラーニングが担う医療改革



ビッグデータとは、市販のデータベースソフトウエアでは扱えないほど大規模、かつ多種多様な、 価値のあるデータを指し、 過去から現在に至るデータを処理することによって未来を予測したり、異変を検出したうえでの、意思決定を可能とすると考えられています。ビジネス分野でのビッグデータの活用の広がりは、医学界にも及び 、医療情報分野では、こうしたデータを自在に操る「アルゴリズム」の構築が盛んとなり、迅速かつ正確な、診断及び治療を可能とする、医学のパラダイムシフトもいよいよ現実味を帯びてきました。まさに、「マシーン・ラーニング」という概念が医学界においても試行錯誤の真っ只中なのです(文献1)
現在、医学分野で汎用されている「アルゴリズム」は、「エクスパートシステム」で作動しています。ある「課題」について、専門家やユーザーから得た情報をもとに規則性を見出し、その規則性の集合体をもとに、解決法を探索するシステムです。たとえば、「特定の患者の診断」という課題について、画像診断の適応の有無、処方薬の相互作用の妥当性などの検証をするわけです。いうなれば、「優秀な医学生」というところでしょうか。医学テキストや授業から知識を得て、その知識をもとに、担当患者に生じた問題を解決する、という役割を担うのです。
しかし、実臨床では、「規則」に則っていない症例に出会うことは多く、正しい診断と治療にいきつくには、この方法は不十分であることは言うまでもありません。
一方、「マシーンラーニング」は、「研修医」のような役割を演じます。医師は、患者を診察し、胸部XP、採血結果、CTMRIなど患者データを閲覧し、多数の情報を獲得します。こうした情報を「変数」と捉え、その「変数」のうち診断に重要たるものを選択し、その組み合わせから、診断を推定します。「マシーンラーニング」では、医者による診察等からえられる情報量を凌駕するデータを相互に関連付け、しかも同時に処理できる点に優位性があり、診断は正確になる確率が格段に上がるといわれています。
一例として、胸部X線検査(胸部XP)を挙げてみましょう 。医師であれば、胸部XPから得られる情報として、「正常、無気肺、浸潤影、胸水」などの「変数」となるデータを得て、総合的な結果として、「癌、肺炎、結核」といった「診断」を導きます。「マシーンラーニング」では、胸部XP画像を構成する、すべてのピクセルを一つ残らず「変数」として読み取ることが可能です。
そして、全ピクセルの相互関連性を見出し、集合体として分類し、線、形状などに整理しなおします。その結果、見落とされがちな小さな骨折線、心陰影の裏に隠れた異常影、さらに肉眼では確認しにくい、極小の癌の結節を瞬時に間違いなく見つけ出すことが可能となります。すでに「マシーンラーニング」は、宇宙工学の分野 で用いられ、星雲解析によって超新星を発見することに成功しています。科学研究では、遺伝子配列から、蛋白構造、機能予測を可能にしました。2016年には、読み取られた脳の活動電位から 、麻痺した手の動きを予測し、神経電気生理学の手法を用いて手を意志に従い動かすことに成功しました(文献2)。
さて、この急成長しつつある「マシーンラーニング」は、今後、医学界では、以下の3つの分野で、活躍が期待されています。
第一は、「予後」の分野です。主に救命救急の現場で用いられている呼吸・循環・血液検査値などの項目によって病態の重症度を推定する「アパッチ・スコア」は、わずか12個の変数をマニュアル操作で打ち込むもので、決して信頼性が高いとはいえないと議論されているところです。しかし、個々の臓器の状態、感染症の有無、治療困難な症状の程度、移動は、車いすか、杖歩行か、などを含む何千倍ものデータを一気に処理することで得られる予測法が「マシーンラーニング」で可能となりつつあります。予後の推定が正確にできれば、医師が重症患者に向き合った時の治療法決定に至る様々な苦悩は、軽減されるでしょう。医師は実際の予後よりも長く予想する傾向があるとも言われています。しかし、予後が1週間と1年では、おのずと選ばれる治療法は異なり、患者に対して苦痛を伴う治療計画をやみくもに与えるべきでは、ないでしょう。人工呼吸器をつけるかどうか、透析をするべきか、手術をするべきか、など、医療の現場は、決断を要する苦悩の連続です。今後5年でこのマシーンラーニングに十分なアルゴリズムは完成し、その後、数年で検証され、10年以内には臨床の現場で使用可能となると考えられています。
今年、冠動脈CTの結果を含む69個のパラメーターを用い、冠動脈疾患が疑われる10030人を対象に5年間経過観察した研究が、発表になり注目されました。従来、用いられてきた信頼性が高いとされるフラミンガム・リスク・スコアや、冠動脈CT重症度スコアよりも、マシーンラーニングのほうが、5年生存率を正確に予測したことが分かりました(P0.001)(文献3)。
 第二は、「放射線科医」と「病理医」という専門分野へのマシーンラーニングの介入です。 すでに、胸部XPMRI、病理画像などは、デジタルイメージによって処理されているものばかりです。「ロボットの目」によって供給された解析結果は、ビッグデータをもとに処理された質の高いものとなり「マシーンラーニング」が医師の力量を抜き去る日は、遠くないと予測されています。乳癌検診に使われる「マンモグラフィー」解析には、2人の医師による読影が義務づけられています。すでに調査によって、2人目を「マシーンラーニング」にさせても、「専門家」が行っても、同じ正診率を得ており、医師の力量と同じレベルにまで読影力が成長していることが分かります(文献4)。さらにひとである医師と違い、「マシーンラーニング」は時間、天候、疲労度、スケジュールに左右されることなく、同じ正確性で仕事をし続けるのですから、「ヒューマンエラー」の不安から患者は解放されることになるでしょう。また、術中やICU患者における、血圧、脈、体温、心電図などの常時モニターを要するデータは、「マシーンラーニング」による管理が可能となると言われています。こうした分野の「マシーンラーニング」の代替までには、年のオーダーで十分可能であるとまで論じられ、いずれ麻酔科医、救急医の煩雑で人為的エラーがもたらされる部分については、人工知能が仕事を代替してくれる日が近いだろうと医療情報分野では期待されているところです
第三が、「診断」の分野です。「鑑別診断」「検査の手順」について、正確性が期されるようになり、誤診のリスクや不要な検査が格段に減ることが期待されています。しかし、この分野は、(1)診断に至る道筋が標準化されていないため、「アルゴリズム」の構築が困難であること、(2)構造化が未熟な電子カルテやデータを、「アルゴリズム」に適応させるためのキュレーションが必要であること、(3)個々の診断についてモデル構築、検証プロセスを要すること、から、まだまだ時間を要するようです。
今後の課題も浮き彫りになってまいりました。システム構築のプロセスでは、誤った関連付けによって、間違った予測が生じたり、予測そのものが不安定になったりするケースがあり得ることから、 「アルゴリズム」が正確性を確認するために、構築過程で使用しなかったデータ群を用いて検証することが必要であることが分かっています。また、より正確な予測を実現するために 、収集データの質を上げ、量を増やすことが、重要視されるようになりました。データは、数百万単位が必要とされ、主たるデータソースとなる「電子カルテ」は、注意深い 「キュレーション(情報収集と選択)」を行い、「アルゴリズム」に適正な質を維持することが求められます。また、人間のレベルにまで優秀な判断ができるようになるまでには、様々な種類のデータを層別して大量に集める必要があり、例えば、病理の標本の場合(文献5)、(1)診断に使用する代表例のみでなく、診断に迷うケースもデータベース化するにあたっては、手法的困難さがあること、(2)ヘマトキシリン・エオジン染色のサンプルが、今のところ主立ったデータソースですが、免疫染色などのサンプルのデータベースを作成する必要があること、(3)どの程度の拡大倍率をデータとして採用するのか標準化しなければならないこと、(4)定量化できない所見、例えば、肺腺癌の所見で「腺房腺癌」と「乳頭腺癌」をどのようにデータベース化するのか、も考慮すれば、かなり気の遠くなるような時間と手間、手法上の克服しなければならない多数の問題点があると考えられ、果たして年のオーダーで確立するという楽観的な予測が正しいのかどうか、疑問に思わざるをえません。
適切な患者ケアのためには、医師は現状でさえ大量のデータを処理する必要に迫られていますが、近未来には、遺伝子情報、iPS情報など、より多くの革新的な分野を網羅していることが要求されるのは言うまでもありませんし、様々な分野で応用されている「マシーンラーニング」が医療情報分野で汎用されるのも間違いないでしょう 。しかし、電子カルテのキュレーション作業ひとつとっても、マニュアル作業に伴うエラーが生じる可能性がありますし、データ加工に伴うバイアスが生じうる危険性も忘れてはなりません。マシーンラーニングに供するデータを作るのは、あくまでも「人」であることを忘れてはならないのです。確かに比較的単純な判断や機械が得意な分野である「予後」や「放射線診断」の分野は、機械任せにある程度できるかもしれないが、複雑な判断となると、 重層的な大規模なデータベースの整備が必要になることもわすれてはなりません。
ある程度のところで手を打って作成したデータベースを用いて、「アルゴリズム」を完成させてはならない、ということを肝に銘じる必要があります。「マシーンラーニング」という魅力ある言葉に幻惑されることなく、それによって得られた結果も、多数ある選択肢の一つであり、参照程度にとどめるべきであることを、日常臨床をしている我々は、わすれてはならないのだと考えます。

文献1 Obermeyer, Z. and Emanuel, E.J., 2016. Predicting the FutureBig Data, Machine Learning, and Clinical Medicine. New England Journal of Medicine, 375(13), pp.1216-1219. 
文献2 Bouton, C.E., Shaikhouni, A., Annetta, N.V., Bockbrader, M.A., Friedenberg, D.A., Nielson, D.M., Sharma, G., Sederberg, P.B., Glenn, B.C., Mysiw, W.J. and Morgan, A.G., 2016. Restoring cortical control of functional movement in a human with quadriplegia. Nature, 533(7602), pp.247-250.
文献3 Motwani, M., Dey, D., Berman, D.S., Germano, G., Achenbach, S., Al-Mallah, M.H., Andreini, D., Budoff, M.J., Cademartiri, F., Callister, T.Q. and Chang, H.J., 2016. Machine learning for prediction of all-cause mortality in patients with suspected coronary artery disease: a 5-year multicentre prospective registry analysis. European heart journal, p.ehw188. 
文献4 Gilbert, F.J., Astley, S.M., Gillan, M.G., Agbaje, O.F., Wallis, M.G., James, J., Boggis, C.R. and Duffy, S.W., 2008. Single reading with computer-aided detection for screening mammography. New England Journal of Medicine, 359(16), pp.1675-1684.
文献5 Yu, K.H., Zhang, C., Berry, G.J., Altman, R.B., Ré, C., Rubin, D.L. and Snyder, M., 2016. Predicting non-small cell lung cancer prognosis by fully automated microscopic pathology image features. Nature Communications, 7.


愛し野内科クリニック 愛し野だより編集部