北見のさくら。ゆっくりと春色に染まってまいりました。
ゲノムの特定の位置を「正確に切断」することができる新技術「クリスパーキャス9(CRISPR/Cas9)」システムは、遺伝子治療の代表的手法となると注目を集めています。さて、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの遺伝子治療を動物実験モデルで成功したという画期的な報告が、3つの異なるグルーブによって、同時に、同じ号の著名科学誌「サイエンス」に報告されましたので解説をしてみようと思います
Long, C., Amoasii, L., Mireault, A. A., McAnally,
J. R., Li, H., Sanchez-Ortiz, E., ... & Olson, E. N. (2016). Postnatal
genome editing partially restores dystrophin expression in a mouse model of
muscular dystrophy. Science, 351(6271), 400-403.
Nelson, C. E., Hakim, C. H., Ousterout, D. G.,
Thakore, P. I., Moreb, E. A., Rivera, R. M. C., ... & Asokan, A. (2016). In
vivo genome editing improves muscle function in a mouse model of Duchenne
muscular dystrophy. Science, 351(6271), 403-407.
Tabebordbar, M., Zhu, K., Cheng, J. K., Chew, W.
L., Widrick, J. J., Yan, W. X., ... & Cong, L. (2016). In vivo gene editing
in dystrophic mouse muscle and muscle stem cells. Science, 351(6271),
407-411.
デュシェンヌ型筋ジストロフィーと呼ばれる遺伝病は、男児3500人にひとりに発症する重篤な遺伝性筋疾患です。「ジストロフィン」と呼ばれる遺伝子の変異によって、筋細胞の構造を維持し、筋の成長にも関わる「ジストロフィン蛋白」が作られず、その結果、筋肉が異常な変成を起こし、壊死してしまうため、筋肉の収縮がうまくいきません。症状は、幼少期には、歩行困難、転びやすい、蹲踞(そんきょ)の位置からたちあがれないなどの軽い症状がみられ、10歳前後には、呼吸筋がおかされるようになり、人工呼吸器など呼吸補助が必要になります。現在、有効な治療法がなく、根本的な治療法の開発が一日もはやく望まれています。難病情報センターのHPによれば、2013年現在、702人の患者さんの登録があり、そのうち、実に610人が呼吸器管理を受けているとのことです。医学的、理学療法的な管理の進歩があり、平均寿命は30歳を超えたとの記載がありますが、根本的治療はまだまだこれからと考えられています。
「CRISPR/Cas9」システムによって、ジストロフィンの蛋白合成を停止させる「エクソン23の遺伝子変異」をターゲットとして、変異部位そのものを切り取ってしまうことが可能となりました。結果として、本来のジストロフィン蛋白よりもやや小さい蛋白が生成されることになります。今回ご紹介する研究では、この小さい蛋白の発現で、筋肉の機能回復がもたらされるのかどうかについて、検討が加えられました。
対象動物は、mdxマウスで、エクソン23に「点突然変異」が存在し、ジストロフィンが合成されてもすぐに破壊されてしまいます。生きている動物に目的の遺伝子を組み込むことは一般的に難しく、今回の研究でもかなりの苦労をしたようです。まず、目的の遺伝子を動物に導入するために、どの手法を用いるのが適切か検討され、筋肉への指向性が高いアデノ随伴ウイルス9型(AAV9)がジストロフィン遺伝子の運び屋(ベクター)として選択されました。生後1日目に、腹腔内に投与する方法、生後12日目に、筋肉に投与する方法、生後18日目に、後眼窩に投与する方法の3つが比較検討されました。いずれの方法でも、心臓と骨格の筋肉に、ジストロフィン蛋白が作られていることが確認されました。蛋白の発現率は、3週間(脛骨筋芽細胞の7.7%)から6週間(同筋芽細胞の25.5%)にかけて増加することがわかりました。蛋白の発現が増えたばかりでなく、4週間後に測定した握力測定によって、筋肉機能の回復を認めました。正常の5割程度の筋力しかなかった状態が、遺伝子治療により約7割まで回復したのです。心筋では、ジストロフィン蛋白がほんの4-15%発現しただけで、ある程度の機能回復がなされると推算されていますので、この手法は十分な効果が期待されます。これまでの方法と比較すると約10倍のジストロフィン蛋白の発現があること、しかも、時間とともにジストロフィン蛋白が増えていることからこの遺伝子導入には、持続的な効果があると示唆されます。
問題点としては、今回の手法を用いても、脳におけるジストロフィン蛋白の発言は認めず、脳への発現を模索する場合には、別な手法の開発が求められることです。本来、神経細胞にはジストロフィン蛋白が存在し、その欠損と認知機能、実行機能の低下には関連性があることが示されています。脳機能の維持の観点から、脳での同蛋白の発現は、重要視されているのです。
また、別の重要な問題点として、操作によって、ゲノム上の、ジストロフィン以外の別な個所の変異を来たしてしまう可能性があります。今回の研究調査では、標的遺伝子以外の部位での遺伝子変異は検出されなかったと確認されていますが、マウスの全ゲノムシークエンスをして、危険な遺伝子変異がゲノムのどこにも人為的にもたらされていなかったかどうかを厳格に検討する必要があると、指摘されています。
こうした問題点が厳格な審理のもと克服されたうえで、ヒトへの応用の是非が問われ、同手法で同様の量のジストロフィン蛋白を筋肉で発現できるのかどうかを検討されることになります。特に、筋肉量が圧倒的に多いヒトでは、マウスとは比較にならない、大量のベクターが必要とされ、費用面での懸念は拭いきれません。
さて、それでは、既に知られている手法と比較した場合、今回の手法はどのようなアドバンテージがあるのでしょうか。
現在、臨床研究が開始されている「オリゴヌクレオチド」を用いる手法では、効果が一過性のため、繰り返し投与することが必要となるとされます。また、微小「ジストロフィン」蛋白をコードしたAAV9を用いた手法では、やはり効果が持続するわけではないため、繰り返しの投与が必要な上、「CRISPR/Cas9」法に比較して、発現するジストロフィン蛋白がより小さく、筋機能の回復レベルも小さいのではないか、と指摘されています。
これら2つの既存の方法の弱点を克服している可能性がある、今回紹介した手法が、大きな期待を担っていることは間違いありません。
ヒトへの臨床応用への道のりは容易ではないことが予想されますが、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの遺伝子治療への大きな一歩となったことは間違いないと考えられます。