鬱病の症状には波があり、よくなったり、わるくなったりを繰り返すといった回復までに「慢性の経過」をたどる、時には、症状の深刻化によって命さえも危ぶまれる、つらい心の病です。患者さんも、回復に至るまで長期間、定期的に医療施設に通い続けることが必要なケースが多く、負担を強いられます。一方で、外来で行われている治療の実態は、「抗うつ剤をただ漫然とのみ続ける」単純な治療が主たるものです(その時々の症状の変化に合わせて対症療法をくわえながら)。
残念ながら、ほとんどの抗うつ剤には、「1年以上の長期にわたる治療効果」については、経時的検討がなされておらず、処方の科学的根拠について疑問をもたざるを得ません。その上、抗うつ剤には「副作用や離脱症状」の不安がつきまとう、という事実と相まって、抗うつ剤の長期処方に対する不信は大きくなるばかりです。医師としても、患者さんとともに、このまるで一本調子の心もとない治療を、より意味のある根治治療へと改善したい、あるいは、安心感を伴った効果的な処方を医師から提供されたい、と願っているのです。
うつ病では、薬物療法に並んで有効な治療法として、「認知行動療法」があります。一例を挙げれば、過剰な仕事を与えられ、どの人がやってもその仕事をこなすことができなった状況であったとしても、「自分の力がたりないから、この仕事をこなせなかった」という自分の思い込みに感情が支配され(これを「認知のゆがみ」といいます)、次第に「自己否定」、「自己無力感」などといった負のスパイラルが生じ、「抑うつ気分」が心身を冒してゆくのです。こういった歪んだ認知パターンを、心理療法のなかで「気づき」、「是正していく」方法が認知行動療法です。具体的には、仕事の量を減らしてもらうように、上司にかけあう、仕事を休んで休暇をとる、などの行動を起こしてもらうのです。標準的な認知行動療法では、一回の治療時間は約50分、週に1度、12-18回程度おこなわれます。治療効果は抗うつ剤に匹敵するとされています。
さて、2013年発表された「コバルト研究」がまさに認知療法をくわえることがうつ病治療に効果的であること世に知らしめた著明な研究です。この研究では、抗うつ剤を用いても、鬱病のコントロールが困難な、中程度以上の重症患者を対象に、認知行動療法を追加して、その効果を、6ヶ月と12ヶ月の短期間で評価した報告です。469人の患者さん(18歳から75歳)を対象として、前向きの無作為試験が行われ、薬剤投与を続けながら、認知行動療法を12回ないし18回施行する群と、通常ケアのみを継続する群に分け比較検討を行いました。対象となった患者さんは、慢性の経過をたどり、「重症」と診断されるかたがほとんどで、「不安障害」を伴っていました。少なくとも抗うつ剤を6週間投薬されていたかたで、かつ、BDIが14以上(BECKのうつ病評価尺度)のかたを対象としました。
Wiles, N., Thomas, L., Abel, A., Ridgway, N., Turner, N.,
Campbell, J., ... & Kuyken, W. (2013). Cognitive behavioural therapy as an
adjunct to pharmacotherapy for primary care based patients with treatment
resistant depression: results of the CoBalT randomised controlled trial. The
Lancet, 381(9864), 375-384.
この結果、認知行動療法を併用された患者さんは、6ヶ月経過ごも、12ヶ月経過後においても、鬱病の有意な回復を認めた方が、通常ケアの継続のみに比較して約2倍も増えていることが判明しました(P<0.001)。つまり、認知行動療法は、薬剤治療に追加することで、1年という比較的短期の間であれば、有効な治療であることが証明されたのでした。
さて、2016年1月、ランセットに掲載された論文では、このコバルト研究に参加した方々を、その後の3.5年という長期間、継続観察し、その結果が発表され、大変、注目されています。当初参加したひと(469人)のうち248人が、長期にわたっておこなわれた「治療に関する質問表」に答えることができました。136人が認知行動療法を追加した群、112人が通常ケアを継続した群でした。前者のBDIは19.2で後者は23.4で、有意に、認知行動療法追加群で、鬱病の程度は安定的に改善していることが分かりました(P<0.001)。認知行動療法後、3年余りの経過後に及んでも、この治療が、約2倍、鬱病改善に役立っていたことが分かったことは有意義と考えられます。
一年あたりの認知行動療法にかかる費用は、343ポンドで、費用対効果は、質調整生存率QALYあたり、5347ポンドと試算され、英国政府の定める2万ポンド以下を示しました。認知行動療法を追加する治療は、医学的に有効であるばかりでなく、費用対効果の立場からも推奨されることが明確に示されたのです。
Wiles, N. J., Thomas, L., Turner, N., Garfield, K.,
Kounali, D., Campbell, J., ... & Williams, C. (2016). Long-term
effectiveness and cost-effectiveness of cognitive behavioural therapy as an
adjunct to pharmacotherapy for treatment-resistant depression in primary care:
follow-up of the CoBalT randomised controlled trial. The Lancet Psychiatry.
抗うつ薬が有効な患者さんは、全体の3分の1程度と少なく、服薬している間にはその効果があっても、服薬をやめると、効果がなくなる症例が多いのが現実です。しかし、今回の研究から認知行動療法は、治療を終了しても、少なくとも3年に渡って治療効果が持続することがわかりました。認知行動療法の専門家の指導のもと、認知のゆがみを是正し、行動につなげていくトレーニングを行うことは、その後の患者さんの生活において、トレーニングを生かし続けることができるからと考えられています。その効果の程度は、抗うつ剤の投与を続けた場合と同レベルであると期待されます。そして、抗うつ剤による治療の有効性を認めないうつ患者のかた、慢性的に重症化しているうつ病のかたにも、「認知行動療法が有効」と示された点も特筆されるでしょう。そのほか現在数ある心理療法のなかでも、唯一、抗うつ剤に匹敵する効果を認めているものは、認知行動療法であると指摘されている点も重要です。
さて、この論文では、結論からも明確ですが、抗うつ剤と認知行動療法の併用をしても、なおかつ、BDIが19点という結果を示しました。これは決して、鬱病が治ったとはいえない数値であり、「治療に有効」と諸手を挙げて喜べるレベルではないのです(臨床的なうつ状態との境界であり継続的ならば、専門家の治療を要する)。BDIが19点では、うつに由来する日常生活への悪影響は有意とされ、仕事に就けているのかどうか、といった詳細の指標についても再検討して欲しいものです。
今後も、抗うつ剤と認知行動療法の併用治療をしつつ、将来的には、よりうつ病に有効な治療手段を開発していく必要がありそうです。「マインドフルネス法」はそうした心理療法のひとつとなる可能性は秘めていると考えられています。