2016/11/02

第95回 愛し野塾 乳がん検診、未解決の議論


我が国において、「女性のがん」の「罹患数」が最も多い「乳がん」は、罹患数が多いという一方で、「死亡数は、第五位」と、罹患数と生存率の間に乖離があることが知られています。他のがんに比べると、比較的治療は有効であり、また悪性度も高いものが少ない、とみられています。
興味深いことに、日本人の「乳がん健診の受診率」は、34.6%(2010年)とOECD加盟国の中では最も低く、とりわけ米国の80.4%という受診率の半分にも満たないのですが、「乳がんの5年生存率」は、OECD平均の84.2%に比べて、日本は、87.3%とより予後が良いことが示されています。マンモグラフィーを用いた乳がん検診で発見された小さな腫瘍が、実は、その後大きくなることは少なく、人体に害を及ぼさない腫瘍である確率が高いこと、が予測されます。つまり、乳がん検診によって早期に発見されたがんの中には、「過剰診断」された件数が少なからず含まれている可能性があるのです。
がんは、「疑わしきものは、すべて切除」が原則となっています。こうした社会通念が形成されてしまうと、そのままにしておいても問題がないはずの「がん」ですら、切除されてしまいます。これでは「過剰診断の温床」となり、またいたずらに「身体を傷つけてしまう」可能性もあり、発見精度が上がれば上がるほど、一部を除き、その抑止には歯止めがかからない現状です。
「マンモグラフィーを用いた乳がん健診による過剰診断」という課題について、最新のNEJMから、シンプルな観点から取り組んだ研究成果が発表され、注目されています。この研究では、過剰診断の発生率の解析法として、従来法である、難解かつ追試が困難な「ミクロシミュレーション•モデル」に基づいた「精密予測」を用いず、「腫瘍の大きさ」を基準にしたシンプルなもので、再現性の高い評価法を採用しました。乳がん検診では、未だ症状を来たしていない小さな腫瘍の早期発見に重点が置かれ、結果として、「症状を来すような大きな腫瘍の発症率を下げる」ことが期待されています。この研究では、検診がこの期待に見合ったものか否か、の検証がなされました。
対象者は、40歳以上の女性で、がん発症について記録された「SEERプログラム」に登録されたかたです。このサンプルサイズは、米国人口の10%と大規模なものでした。マンモグラフィーによる乳がん検診が施行された時期が1980年以降であることから、1975年から2012年の期間についてのデータを用い、健診開始前後で、乳がん発症率に差があるのかどうかについて、の解析がされました。1975年から1979年のデータをベースラインとし、最も新しい10年の経過観察を可能とした2000年から2002年のデータを採用し、検診開始前後の乳がん発症について検証するために、データが比較検討されました。

結果
「大規模な健診施行にともなった、約30%もの乳がんの発症率の上昇」が、明らかになりました。発症した「浸潤性乳がんのサイズ(腫瘍サイズ)」は、健診開始前は、大きいものが多数を占めていましたが、健診開始後は、小さいサイズの乳がんが多数を占めるようになりました。小さい浸潤性乳がんとされる、大きさ2cm以下あるいは、上皮内癌の占める割合は、1975年から1979年の「36%」から、2000年から2002年の「68%」へと倍増し、一方で、大きい腫瘍サイズと評価される、2cm以上の浸潤性乳がんの発症率は、1975年から1979年の「64%」から、2000年から2002年の「32%」に減少していました。
発症率
cm以上の大きな腫瘍の「発症率」は、10年の経過の間に、10万人あたり、「145人から115人への減少」すなわち「30人の減少」が認められました。2cm以下の小さな腫瘍では、10年の経過の間に、「82人から244人と約3倍もの増加」を認め、すなわち「162人の増加」を認めました。大きなサイズの浸潤性乳がんの発症率の低下よりも、小さなサイズの浸潤性乳がんの発症率の増加が顕著に上昇した事は、明らかです。仮に、「浸潤性乳がんの発症率に現在も変化がない」とすれば、小さな腫瘍の増加分の「30人」は、健診による意味のある早期発見だった、と解釈されるでしょう。一方で、残りの「132人」は、そのままにしておいても大きくなることのない、治療を要さなかった腫瘍と判定され、すなわち健診による過剰診断分と解釈されました。乳がん検診により発見された「がん」うち、「80%」が過剰診断にあたることになります。
また、2cm以上の大きな浸潤性乳がんの死亡率を算出したところ、1975年―1979年の期間と、2000年−2002年の期間の比較では、治療の進歩に伴う死亡率低下は、10万人あたり「17人」と算出され、健診による死亡率低下は、「8人」と推定されることから、死亡率の低下に寄与する健診の貢献度は、全体の3分の1であることがわかりました。つまり乳がんにおける死亡率の低下は、「検診」というより「治療の進歩」による死亡率の低下であることが統計的に明らかになったのです。
近年、乳がんの悪性度の評価は、腫瘍の大きさではなく、生物学的特性やリンパ節転移の状態に重点が置かれ、研究の志向もそちらにシフトしていますが、あくまでも、乳癌検診は、「腫瘍の大きさ」を基準として行われていることに注目したのが、今回の研究で慧眼に値するでしょう。マンモグラフィー読影の精度をあらわす指標として「1cm未満の腫瘍あるいは、上皮内癌の発見率」を採用している点は、強調されるべきでしょう。乳がん検診の成否を決める重要なことは、「小さな癌がより効率良く発見されたら、その分、大きな癌の発症率が減少すること」です。大きなサイズの浸潤性乳がんの発症率低下は、病期のすすんだがんの発症率の低下を意味します。過去の論文では、リンパ節への転移を含む病期を対象とした解析がなされましたが、時代の推移とともに、病期診断にも進歩があり、たとえばセンチネルリンパ節生検導入後は、その病期が以前よりも進むというバイアスが出現し、10年以上という単位で、データを比較することは困難でした。今回、「腫瘍のサイズ」のみに注目し、十年という単位で、データをバイアスなく比較できた点が高く評価されています。
しかし、この研究の最大の弱点は、「真の乳がんの発症率」が算出できない点です。大規模とはいえ観察研究であることから「個々の健診回数の違い」、「健診の精度の不安定性」、「異常判定とするマンモグラフィーの尺度の統一性がないこと」、がバイアスになった可能性は否定できません。本研究の前提として、「乳がんの発症率は経年的に変わらない」、「乳がんの発症率の上昇は、健診の導入にともなうこと」としていますが、乳がん検診の有用性を支持するグループは、乳がん発症率上昇は、「乳がん」が実際に増えたからだ、としています。こういった疑問に対して、真実をつきとめることはなかなか難しいことですが、「健診導入後にがんの発症が30%増加したこと」「転移性のがんの発症率は健診導入前後でかわらないこと」について説明できず、乳がん検診支持派の主張はいまだ説得力に欠けると考えるのが正しいようです。
昨今、過剰診断の問題は、乳がんにとどまりません。「PSA検査が導入され診断が容易になった前立腺がん」、「エコー検査の普及による甲状腺がんの発見率の増加」、「低容量CTを用いた肺がんの発見率の上昇」、「広く行われるようになった皮膚疾患スクリーニングで発見されやすくなった悪性黒色腫」等、検査技術の高度化に伴って発見率の上昇は顕著です。われわれは、「がんの早期診断」に気を配りながら、同時に、その「過剰診断」にも注意を要する時代に突入しているのです。このランセットで発表された研究報告のエディトリアルでは、「研究による試算の精度に問題があるにしろ、『乳がん健診による過剰診断』が存在することを前提とした議論をすべきだ」という意見には賛同できるところです。重要なことは、健診をするにあたって、健診を受ける側も、きちんとした知識をもった上で、マンモグラフィーを受けるのかどうかを決定していくことだと考えられます。
昨今、著名人の乳がんの問題が大きく取り上げられ、乳がん検診率が上昇しました。しかし、今回の研究成果から、マンモグラフィーによる健診で発見された腫瘍の80%は治療を要せず、そのままにしておいていいかもしれないことが分かりました。そういった事実の認識もなく検査を受けることが、はたして患者の利益となるのかという議論にも注目するべきでしょう。最新の研究成果に基づいた「検査結果によってもたらされる利益と不利益」について、医師によって十分に説明され、患者が検査に同意していかなければ、本当の利益は得られないかもしれないのです。検診の利益・不利益について説明ができる医師のトレーニングは重要な課題となるでしょう。
また、「乳がん検診」の優先性についても議論があります。検診を全員対象にするのではなく、乳がんや卵巣がんの家族歴がある人、閉経後の肥満などのハイリスク対象者に限定して施行したほうが良いとする意見もあります。過剰診断のリスクを回避し、医療財政の健全な活用についても最新の報告を精査し、大いに議論されるべきであると思います。