「難聴、耳鳴、耳閉感などの聴覚症状を伴うめまい発作を反復する」そういった不快な、時には生活すら脅かす症状を呈する病気のひとつ、それがメニエール病です。予期することができない「めまい発作」は、時に座っていることすらできなくなるほどで、症例によっては、数時間も続き、週に数回と高頻度に発症することもあります。
厚生労働省調査研究班の疫学調査では、平均発症年齢が男性48.5歳、女性51.4歳で、特に60歳以上の発症率が、男性20%、女性30%と、近年、高齢者の発症率が高くなる傾向にあることが明らかになっています。性別では、女性が発症者の3分の2を占め、有病率は、人口10万人あたり、40人とされます。
原因は不明ながら、患者の内耳の有毛細胞がダメージを受け、内リンパ水腫が認められます。難聴は治療抵抗性を示すものの、めまい発作は、「標準治療」によく反応し、十分な睡眠、適度な運動、塩分制限、水分制限、また利尿剤との組み合わせで、患者の90%は、標準治療下でコントロール可能であることが報告されています。しかし、残りの5-10%のかたは、「標準治療」では、めまい症状はとれません。こうした患者さんには、内耳にゲンタマイシンを注入する治療が行われてきました。内耳に毒性のあるゲンタマイシンの特性を生かし、ダメージを受けた有毛細胞を廃絶させるのです。一方、ゲンタマイシンは、めまいの症状改善には有効ですが、副反応として、前庭機能(平衡機能)が侵される可能性があります。また、この治療法を用いると、約20%に「難聴の悪化」という副反応が認められると報告されています。このため、より安全な治療法の確立が求められてきました。そうした中で、ステロイドホルモンを内耳に注入する方法が注目されています。ステロイドホルモンの処方は、内耳の炎症を抑えることで効用を表すとの理論に基づいています。この治療法は、1)難聴を助長しない、2)前庭機能を廃絶させない、と治療によって生じる可能性のある後遺症が抑えられることが特徴です。
これまでおこなわれた議論の中で、「めまい治療」の観点から、ゲンタマイシン注入のほうが、ステロイド注入よりも優れている、という評価が支配的でした。しかし、過去の研究では、患者に注入薬剤情報のマスキングが不十分である、などといった手法上の問題点等が指摘されており、信頼性・妥当性の高い結論を導くには、より厳密な条件下での臨床研究を要するとその勝敗は保留されてきました。
さて、ロンドン・インペリアルカレッジのパテル博士らが、治療抵抗性のメニエール病患者を対象に、厳密な無作為2重盲検法を用いて、2つの薬物の鼓膜内注入法による比較検討を行った結果が、今月号(2016年11月)の医学誌ランセットに発表されました。
対象者の条件は、1)18-70歳までの患者、2)過去6ヶ月に20分以上にわたる回転性のめまい発作が2回以上確認されている、3)「標準治療」に反応が見られない片側性のメニエール病、4)米国耳鼻咽喉科・頭頸部外科学会聴覚・平衡感覚部会の診断基準を満たしている、とされました。
患者は無作為に2グループに分けられ、外来治療によって、2週間をあけて2度の鼓膜内注入が行われました。「治療前6ヶ月間に生じためまい発作の回数」と、「治療後18ヶ月から24ヶ月の間に生じためまい発作の回数」が比較されました。
結果
2009年から2013年の間に治療はおこなわれました。スクリーニングによって256人のうち条件を満たした60人を抽出し、無作為に30人をゲンタマイシン注入(内男性15人)、30人をステロイド注入群(ステロイドとしてメチルプレドニゾロンを使用)(内男性20人)に割り付けました。平均年齢は、52.5歳で、平均罹病期間は、4.5年でした。
ゲンタマイシン注入群:治療前6ヶ月間の平均めまい発作回数19.9回が、治療後18ヶ月から24ヶ月間で2.5回となり、87%の有意な低下を認めました。そのうち18ヶ月から24ヶ月の間に一度もめまい発作を認めなかった患者は、全体の63%にのぼりました。
メチルプレドニゾロン注入群:治療前6ヶ月間の平均めまい発作回数16.4回が、治療後18ヶ月から24ヶ月間で1.6回となり、90%の有意な低下を認めました。そのうち18ヶ月から24ヶ月の間に一度もめまい発作を認めなかった患者は、全体の67%にのぼりました。
2つの処方の効果には、有意差を認めませんでした(P=0.27)。
各種臨床検査による検討の結果、めまい症状スケールの点数(ゲンタマイシン注入群90%改善、メチルプレドニゾロン注入群91%改善、有意差なし、p=0.47)、めまい問診票スケール(前者67%改善、後者76%改善、有意差なし、p=0.74)、機能スケール(前者59%改善、後者68%改善、有意差なし、p=0.99)、めまいインベントリースケール(前者45%改善、後者46%改善、有意差なし、p=0.98)、耳閉塞感スケール(前者47%改善、後者45%改善、有意差なし、p=0.50)、平均純音(前者4%改善、後者12%改善、有意差なし、p=0.18)でした。つまり、ゲンタマイシン注入、及びメチルプレドニゾロン注入のいずれの検査でも、めまい症状改善の程度に有意差を認めませんでした。唯一、語音弁別検査のみ、統計的有意差はない(P=0.13)ものの、ゲンタマイシン注入で悪化(9%)、メチルプレドニゾロン注入で改善(15%)の傾向を認めるという真逆の傾向を認めました。
聴力レベルの評価:両群共に注入後にやや改善傾向を認めましたが(前者で4%、後者で12%)有意差はありませんでした(p=0.07)。ただし、2回目の注射後に、顕著な聴力レベルの低下を、ゲンタマイシン注入で9例(30%)、メチルプレドニゾロン注入で5例(17%)に認めました(P=0.22)。
薬物の注入回数:2回では効果がなく、追加注入を余儀なくされた症例が、ゲンタマイシンで8例、メチルプレドニゾロンで15例生じ、その結果、それぞれの平均注入回数は、ゲンタマイシンで2.7回、メチルプレドニゾロンで3.7回でした。二つの薬物の注入回数に差はありませんでした(p=0.09)。
副反応:二つの治療法で、共に副反応が3例ずつありましたが、いずれも重篤に至らず、感染症が、ゲンタマイシン注入群で1例、メチルプレドニゾロンで2例に発症、また、最初の治療で発現した強い痛みによって2回目の注入が出来なかった症例を、それぞれ1例ずつ認めました。
1回目の注入による痛みの程度は、0-10(10が最大)のスケールで測定され、痛みレベルは、ゲンタマイシン注入群で平均4.6、メチルプレドニゾロン注入群平均6.0と高い傾向を認めました(p=0.053)。2回目の注入後はそれぞれ、平均4.6、5.0と両群間に差は認められませんでした。
注入後、3-7日後に重篤なめまいと嘔吐が認められた症例は、ゲンタマイシン注入群で8人(27%)、メチルプレドニゾロン注入群で1人(3%)、とゲンタマイシン注入で高い頻度での副反応を認めました(P=0.01 )
前庭機能は半規官麻痺検査で測定され、その結果、ゲンタマイシン注入群で、メチルプレドニゾロン注入群に比べて有意な悪化を認めました(P<0.001)。
過去の論文では、どちらの薬剤が注入されているのか、患者に十分にマスキングができていなかったことが結果に影響していたのではないかと、疑問が示されてきました。「症状発現に及ぼす心理的影響を受けやすい」、というメニエール病の特徴がその所以であり、受けた治療がわかってしまうと、治療効果にバイアスがかかる可能性が否めないのです。今回の試験でも、メチルプレドニゾロン注入群の痛みの強さ、ゲンタマイシン注入群での処置後のめまい、消化器症状の発現で、患者自身、どちらの治療を受けているのかが気づいたのではないか?という懸念がありました。しかし、実際の調査では、副反応から選択された薬剤に気づいた患者はいませんでした。注入時に「針をさしますからちくりと痛みますよ」「めまいを感じたらいままでどおりリハビリ体操をしてくださいね。しばらくするとおさまりますから」と説明していたことが薬剤への思い込みを軽減したのかもしれません。患者同様、注入する研究者にも薬剤情報は隠され、患者と研究者の間では副反応についての会話は一切されませんでした。
一方、鼓膜内注入治療の開始から、2年間の治療効果が観察されましたが、メニエール病の症状は、かなりの長期にわたりよくなったり悪くなったりを繰り返すため、より長い期間での経過観察を経なければ、治療の優劣が結論付けられないという点も指摘されています。
私自身、対象者数が十分ではないと印象を受けました。痛みの程度と注入回数について、両薬剤で統計的な有意差を認めませんでしたが、対象患者数の増大によってメチルプレドニゾロン注入群で有意に高くなる可能性が高いと考えます。今後この点を考慮した臨床試験の遂行を期待しています。
副反応として生じた「聴力の低下」を無視すれば、痛みの強さが少なく、注入回数が少ない、ゲンタマイシンに軍配があがるでしょう。痛みに耐え、注入回数が増えることをいとわず、何より聴力を維持したい場合は、メチルプレドニゾロンを選択したほうがいいという結論となります。本研究から、めまいに対する効果は両者ともに優れていることがわかったにせよ、一長一短のある結果となり、どちらを選択するのか、悩ましいところです。
しかし、聴力低下は、患者さんの不安や恐怖を煽るだけではなく、社会性を低下させ、認知機能を低下させるリスク因子であるということを鑑みれば、メチルプレドニゾロンによる鼓膜内注入法が第一に選択されるべき治療ではないかと私自身、考えるところです。