2007年、山中伸弥教授のiPSの歴史的な発見から10年の歳月を経て、2017年、神戸理研の網膜再生医療研究開発プロジェクトのCDBの髙橋政代プロジェクトリーダー、万代道子副プロジェクトリーダーらが、iPS技術を使って、安全かつ効果的な臨床応用に成功するという画期的な成果を論文発表しました(文献1)。「患者本人の皮膚」から採取した細胞を用い、シャーレのなかで、iPS細胞を作成、次に、シャーレの上で、網膜細胞を分化誘導させ、細胞シート(10万個の細胞、1.3x3.0mm)を作成して、あらかじめ、 病変部位である新生血管手術により除去された「加齢黄斑変性」の患者の目に植え込んだのです。細胞シートの移植術は、77歳女性患者の右目に2014年9月に行われました。この患者は、2010年に両目の加齢黄斑変性と診断され、29ヶ月の間に、13回のVEGF療法を受けていました。しかし徐々に右目の視力は低下していました。
国内で「加齢黄斑変性」を患う方は、約70万人いると推定されます。また悪化によって、成人の失明の主たる原因の一つといわれている疾患です。浸出性、萎縮性の2型に分類され、浸出性の場合、新生血管ができることで、網膜の機能が低下します。「浸出性加齢黄斑変性の治療」としては、VEGF療法による新生血管の抑制を目的とする方法が主たるものですが、この治療は残念ながら再発が多く、しばしば治療が長期に及ぶことが大きな課題となっています。手術により新生血管を取り除く方法もありますが、術後に網膜の萎縮がもたらされる懸念があり、現在ではあまり行われなくなりました。一方で、「萎縮性の加齢黄斑変性」の治療に、幹細胞を用いた治療が2015年に国外で行われました(2)が、免疫抑制剤を要し、副作用の問題が懸念されています。今回、「浸出性の加齢黄斑変性」に対して、「iPS細胞由来の網膜細胞」を用い、免疫抑制剤を用いる事なく、治療を行った結果、良好な成績が得られ、相次いでメディアで大きく取り上げましたので、解説したいと思います。特に臨床的に優れた2点について注目してみましょう。
第一に、移植による患者自身の適正な免疫応答です。患者自身から作成されたiPS細胞を用いて作成・移植された網膜細胞に対して、患者の生体は拒絶反応なしに、良好な状態で2年以上経過していることは特筆すべき点です。従来の移植とは異なり、免疫抑制剤を要せず、「視力」の改善はないものの、悪化することはなく、VEGF療法も必要なかったことは、多いに患者のベネフィットとなったと述べられています。
第二に、移植先での遺伝子変異についての安全性が確認されたことです。移植して2年経過後、移植された細胞の残存が確認され、移植面積の増大(1.3mm2から6mm2)を認めていることから、正常な網膜組織を形成している事実が確認されたことは疑うことなく大きな進歩です。従来多くの研究者が、iPS細胞由来の細胞には、導入された5個の遺伝子(GLIS1、L-MYC、SOX2、KLF4、OCT3/4)の中にがん遺伝子(L-MYC)が存在することから、腫瘍形成の懸念を抱いていましたが、腫瘍はできることはありませんでした。採用された実験の手法から、腫瘍ができうる可能性をほぼ排除している点が明快です。まず、エピゾームにiPS細胞誘導遺伝子を封入し、細胞に導入することで、ゲノムに遺伝子が取り込まれないような工夫に加え、実際、ゲノムに導入遺伝子が取り込まれていないことを確認しています。iPS細胞を増やす段階で、誘導遺伝子の残存する細胞すら排除しています。その上、「出来上がった網膜細胞の遺伝子に傷がないかどうか」ついては、その細胞をマウスに植え込み、癌ができないこと、全ゲノム解析、全エクソーム解析をおこないゲノムに異常がないことを検証し確認しています。腫瘍を作る可能性が極めて低い安全な細胞が確立したことは歴史的快挙と言えるのではないでしょうか。
この研究結果は、エディトリアルのダレイ博士によって、「Landmark study」つまり「歴史に足跡を残す、際立った研究」と称賛され(文献3)、専門家にも高い評価を受けています。「iPS細胞治療」の時代の幕開けを告げる、今世紀最高の論文のひとつになることでしょう。
今後は、再現性の確認のために症例を重ねることになるでしょう。一方で、臨床応用への患者、医師らの期待は高く、1)移植準備に長い時間を要すること、2)治療費用が高いこと、がすでに問題提起されています。網膜細胞シート作成には1年を要し、また治療費用が約1億円に達するのです。こういった問題点を目論んで、「他人のiPS細胞を用いること」で、臨床研究が開始されることになったのは朗報といえるでしょう。なぜなら、他人iPS細胞を用いることで、細胞ストックをあらかじめ作成しておけることから、数ヶ月で細胞シートが準備可能となり、また費用も1千万円から数百万円に抑えられることが、分かっているからです。他人iPS細胞も自家細胞と同様に、免疫拒絶反応を起こさず、腫瘍形成もせず、視力も維持できれば、汎用性が上がることは間違いないでしょう。
この治療法研究の成果は、加齢黄斑変性の抜本的克服だけにとどまらず、未だ治療が極めて難しい「アルツハイマー病」「パーキンソン病」「糖尿病」などへの臨床応用にも大きく貢献することになるでしょう。「iPS臨床研究」から、しばらく目が離せません!
文献1
Mandai, M., Watanabe, A., Kurimoto, Y., Hirami, Y.,
Morinaga, C., Daimon, T., ... & Terada, M. (2017). Autologous Induced
Stem-Cell–Derived Retinal Cells for Macular Degeneration. New England Journal
of Medicine, 376(11), 1038-1046.
文献2
Schwartz, S. D., Regillo, C. D., Lam, B. L.,
Eliott, D., Rosenfeld, P. J., Gregori, N. Z., ... & Maguire, J. (2015).
Human embryonic stem cell-derived retinal pigment epithelium in patients with
age-related macular degeneration and Stargardt's macular dystrophy: follow-up
of two open-label phase 1/2 studies. The
Lancet, 385(9967), 509-516.
文献3