国内において、乳癌の罹患率は近年増加傾向にあり、10万人あたり88.4人の年調整罹患率と統計上算出されています。
乳がんには、ホルモン受容体陽性を示すタイプと、示さないタイプがあります。陽性を示す乳がんは、乳房の悪性腫瘍の60-65%を占めます。このホルモン受容体にも種類があり、主なものは、エストロゲン受容体とプロゲステロン受容体の2つですが、そのうち治療の標的になるのは、乳がんを構成するがん細胞の増殖のスイッチとなる「エストロゲン受容体」です。
さて、ホルモン受容体陽性の乳がんの症例では、その治療の選択肢のひとつとして、エストロゲン受容体シグナルを阻害(ブロック)させるホルモン療法が有効とされます。腫瘍が局所(腫瘍発生場所)に限局、かつ転移がない症例では、手術が治療の第一選択となりますが、局所で進行してしまった症例、また転移が認められる症例については、乳がん治癒における手術療法の評価は低く、薬物治療が選択されます。中でも、「閉経後」に限れば、「アロマターゼ阻害剤」と呼ばれる抗がん剤が汎用されています。閉経後は、エストロゲンの90%は、アンドロステネジオンからアロマタイゼーションの過程を経て、合成されることから、アロマターゼ阻害剤は、この「アロマタイゼーション」と呼ばれる過程に阻害作用を加え、エストロゲン合成を効率よく阻止することで、乳がん治療に有効に働く、と考えられています。初期におこなわれた「第一世代」のアロマターゼ阻害剤の改良が進み、徐々に効力が高められ、臨床効果も良い結果がえられるようになったのが、いわゆる「第三世代」と呼ばれる、アロマターゼ阻害剤です。現在、「レトロゾール、アナストロゾール、エキセメステン」の3剤が汎用されています。アロマターゼ阻害剤とは別に、選択的エストロゲン受容体モジュレーターとされる「タモキシフェン」、特異的エストロゲン受容体拮抗剤である「フルベストラント」もまた、乳がん治療につかわれていますが、現行のガイドラインでは、第三世代のアロマターゼ阻害剤を第一選択薬(ファーストライン)として推奨しています。ただし、臨床の現場では、治療中に、「薬剤抵抗性」を示す症例が少なくなく、薬剤の選択可能性は重要な問題です。特に、特異的エストロゲン受容体拮抗剤のフルベストラントは、「抗エストロゲン療法が失敗、閉経後、進行した乳癌」という条件下で、ホルモン受容体陽性の症例に認可されていますが、ファーストラインでも使えるのではないか、とフェーズII研究を経て、すでに期待が高まっているところですし、またCDK4/6阻害剤は、「アロマターゼ阻害剤」との併用による効果が、期待されています。
こうした乳がんの基礎・臨床の現場において、よりよい抗がん剤治療の治療選択を目指した研究は非常に活発におこなわれています。最近、進行性乳癌の症例において、ファーストラインを第三世代のアロマターゼ阻害剤単剤とすることが、最適なのかどうかについて検討した研究成果が、相次いで著名医学誌に発表されましたので、ご報告します。
論文は、ランセットとNEJMにそれぞれ発表になりました。
まず、ランセット誌に発表になった「FALCON」研究(文献1)では、ファーストラインとして採用されるべきは「第三世代アロマターゼ阻害剤か、それともフルベストランか」という問いを決定付けるもので、第三相臨床試験の結果が得られました。この研究では、転移のある、ホルモン受容体陽性の、閉経後の乳がん患者462人を、1mgのアナストロゾール治療群(232人、平均年齢62歳)、及び500mgのフルベストラント治療群(230人、平均年齢64歳)の2群に無作為に割り付け、その奏功について優劣が精査されました。対象症例の特徴として、(1)これまでホルモン療法を受けていない、(2)おおよそ患者の70%が、診断後1年以内と比較的病期が短い、(3)転移症例が90%程度を占める、ことでした。
結果
主要評価項目である「無増悪生存期間(がんが進行せず安定した期間)」の分析から、フルベストラント群でより長くなるという結果がえられました(HR0.797、P=0.0484)。「無増悪生存期間」の中央値は、アナストロゾールで13.8ヶ月、フルベストラントで16.6ヶ月でした。とくに、内臓転移例(副腎、膀胱、中枢神経、食道、肝臓、肺、心膜、胸膜、腎臓、小腸、胃、膵臓、甲状せん、大腸、直腸、卵巣、胆嚢、腹水、心のう水、脾臓、胸水)における無増悪生存期間は、アナストロゾールで13.8ヶ月、フルベストラントで22.3ヶ月となり、非転移例に比較すると想定外の大きな差を認め、専門家にとっても衝撃的な結果だったことも報告されています。
頻度の高い副作用は、「関節痛」で(フルベストラント17%、アナズトロゾール10%)、ついで「ホットフラッシュ」(フルベストラント11%、アナズトロゾール10%)でした。副作用のため治療を中断した症例は、フルベストラントで7%、アナズトロゾールで5%でした。
これらの結果を鑑みて、ホルモン受容体陽性、かつ局所進展あるいは遠隔転移例で、閉経後の乳がん症例のファーストラインには、「フルベストラント」の採択がリーズナブルであることが指摘されたのです。またフルベストラントが、アナストロゾールよりも優れた効果を示したメカニズムとして、「アナストロゾールは、エストロゲン受容体の変異による薬剤耐性が獲得されやすいが、フルベストラントはこの効果を受けない可能性がある」と推測され、この点については、今後さらなる検討が待たれます。
一方で、NEJMに発表になった2つの研究論文では、CDK4/6阻害剤である「パルボシクリブ」(PALOMA-2研究)(文献2)か「リボシクリブ」(MONALEESA-2研究)(文献3)について、「レトロゾール」と併用した場合としない場合での効果の比較が、閉経後の進行乳癌の診断を受け、事前に全身治療を受けていない、ホルモン受容体陽性例で、検討されました。
結果
無増悪生存期間についての分析結果です。PALOMA-2研究では、パルボシクリブ&レトロゾールの併用によって無憎悪生存期間は、有意に改善しました(HR0.58、P<0.0001)。MONALEESA-2研究でもまた、リボシクリブ&レトロゾールの併用によって無憎悪生存期間の有意な改善を認めました(HR0.56、P<0.0001)。
パルボシクリブ&レトロゾール併用についての研究で、グレード3あるいは4とされる副反応の発現は、「好中球減少」が併用群で66.4%、非併用群で1.4%。「白血球減少症」は、併用群で24.8%、非併用群で0%。「貧血」は、併用群で、5.4%、非併用群で1.8%。そのうち副反応が理由となって治療中断となったのは、併用群で9.7%、非併用群で5.9%でした。
リボシクリブ&レトロゾール併用群についての研究で、グレード3あるいは4とされる副反応は、同じく「骨髄抑制」で、「好中球減少」は、併用群59.3%、非併用群0.9%、「白血球減少」は、併用群21.6%、非併用群0.6%でした。そのうち副反応が理由となって治療中断となったのは、併用群で7.5%、非併用群で、2.1%でした。
以上の3本の論文から、臓器転移のない閉経後の乳癌、かつホルモン受容体陽性の症例に対して、「少ない副作用」及び「低コスト」という観点から、「CDK4/6阻害剤の併用療法」よりも「フルベストラント」による治療に軍配があがり、ファーストラインとなると考えられます。ただし、臓器転移を認める症例の場合、個々に精査決定することが必要になることも考察されています。
こういった研究結果を踏まえて、今後は、「フルベストラント単独療法」と「CDK4/6阻害剤とアロマターゼ阻害剤併用療法」との直接比較をすることが必要であると考えています。また、論文にも述べられているように、「生存」に関するデータが得られれば、どちらの治療法がより有効かといった議論にも決着がつく可能性があります。また第三のCDK4/6阻害剤である「アベマシクリブ」は、効果が強力で、単剤での使用が可能であることから、今後の研究成果が期待されます(文献4)。
ランセットのエディトリアル(文献5)では、いくつかの重要なポイントを示唆されています。
まず、アロマターゼ阻害剤の効果が減弱するメカニズムとして、「エストロゲン受容体の遺伝子変異獲得」の可能性を挙げ、全対象症例の乳癌組織にこの変異があるのかどうかを精査し、治療選択をすることが必要になるだろう、と示唆している点は重要なポイントでしょう。
つぎに、実臨床で問題になるのは、すでに、第三世代のアロマターゼ阻害剤や、タモキシフェンが、術後にアジュバント治療(一時治療後の補助療法)として採用されるも、再発を認める症例であり、こうした症例にも、「フルベストラント」や、CDK4/6阻害剤が有効かどうか精査を要する点だ、と示唆されています。
さて、進行乳がんのうちの臓器転移のない症例は、約20%。進行乳がんでは、むしろ骨転移の症例が多いことが指摘されています。こうした症例は、間違いなく、「フルベストラント」単剤療法の適応となるでしょう。しかし、臓器転移のある症例には、「フルベストラント」に加え「第三世代アロマターゼ阻害剤」の併用も考慮するべきではないかと論じています。しかしCDK4/6阻害剤は、日本を含めた多くの地域で未認可で、今後、骨髄抑制の副作用が重篤になる症例への治療選択の幅を拡大すべく、認可・使用される方向で議論をするべきだと指摘されています。CDK4/6阻害剤の場合、臓器転移例にも有効な可能性も残っている事もありますから、私自身もまた、この議論を推奨したいと考えています。
乳がん治療に限らず、がん治療の分野では、つぎつぎと多種多様の新規治療薬が登場してきています。しかし、最新の薬剤は、いずれもコストが高く設定されていることも目をそらすことのできない問題です。「バイオマーカー」は、各種臨床検査値や画像診断データなどから、疾病の有無、その進行の度合い、特定の薬物への反応(副反応)を推測し、治療薬を安全かつ効果的に使用するための、精度の高い「基準」の確立に欠かせないツールとなるものです。したがって、乳がん治療では、「エストロゲン受容体の遺伝子変異」に代表される「バイオマーカー」の開発は、緊急の研究課題となるでしょう。効果を示す可能性の高い特定の症例に絞って最適な治療薬を選択することは、もはや限られた医療資源を枯渇させないための危急の課題であることは論を待たないと考えます。
文献1 Robertson, J. F., Bondarenko, I. M.,
Trishkina, E., Dvorkin, M., Panasci, L., Manikhas, A., ... & Ruiz-Borrego,
M. (2016). Fulvestrant 500 mg versus anastrozole 1 mg for hormone
receptor-positive advanced breast cancer (FALCON): an international,
randomised, double-blind, phase 3 trial. The Lancet.
文献2 Finn, R. S., Martin, M., Rugo, H. S.,
Jones, S., Im, S. A., Gelmon, K., ... & Gauthier, E. (2016). Palbociclib
and letrozole in advanced breast cancer. New England Journal of Medicine,
375(20), 1925-1936.
文献3 Hortobagyi, G. N., Stemmer, S. M.,
Burris, H. A., Yap, Y. S., Sonke, G. S., Paluch-Shimon, S., ... & Janni, W.
(2016). Ribociclib as first-line therapy for HR-positive, advanced breast
cancer. New England Journal of Medicine, 375(18), 1738-1748.
文献4 Wolff, Antonio C. "CDK4 and CDK6
Inhibition in Breast Cancer—A New Standard." N Engl J Med (2016): 1993-1994.
文献5
Metastatic breast cancer: focus on
endocrine sensitivity The
Lancet, Published: 28 November 2016