コレステロール値の低下と糖尿病発症
動脈硬化によって傷害された血管壁に生じた「炎症反応」の結果、さらに脂肪物質が血管内皮に取り込まれやすくなり、血管内膜が肥厚し、血管の内径が狭くなります。病態が進行することによって、血管の閉塞・狭窄をきたし、最悪の場合、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞の発症を惹起することになります。生命を脅かす動脈硬化の予防、治療は、心血管病変を発症、進行を阻止するうえで、最重要課題のひとつであると考えられています。
動脈硬化の原因のひとつとして、悪玉コレステロールとよばれる、血中LDL—コレステロール(LDL-C)濃度の上昇があります。この悪玉コレステロールの血中濃度を低下させる薬剤、「スタチン」は、経口投与によって、効率良く血中のLDL—Cを低下させ、心血管病変発症リスクが顕著に低下することが、多くの臨床研究から明確に示されてきました。目に見える効果をもたらすことから、日常臨床で極めて高頻度で処方される「スタチン」ですが、最近、思わぬ副作用が浮き彫りとなってまいりました。「スタチンの服用が、2型糖尿病発症リスクを上昇させる」ことが明らかになったのです。ただし、スタチンのもたらす利益と比較すると、この2型糖尿病発症リスクの危険性は、はるかに小さいとも見積もられています。しかし、そうはいいましても「糖尿病発症」となれば、看過するわけにはいきません。多くの研究者が、そのメカニズムの解明について取り組んでいます。
スタチンの標的分子は、「HMG-CoAリダクテース(HMGCR)」と呼ばれる酵素です。スタチンは、この酵素の活性を阻害し、結果としてLDL-Cを低下させます。そこで、この標的酵素の遺伝子に見られるコモンバリアント(SNP)解析が行われました。面白い事に、この酵素の活性低下を促進するSNPと、活性低下を促進させないSNPを比較すると、前者で、糖尿病発症リスクが高くなることが明らかになりました。すなわち、「HMGCRの酵素活性の低下が、糖尿病発症の原因になっていること」がわかったのです。
その後、それを裏付けるように、「LDL-C低下を促す」別の遺伝子群のSNP研究によって同様の結果を得、「LDL-Cが低下することが、糖尿病発症リスクを上昇させる」と結論づけられたのです。逆に、LDL―Cの受容体や、アポリポプロテインB遺伝子の変異により引き起こされる「常染色体優性家族性高コレステロール血症」を呈するかたは、血中のLDL-Cが増加するのですが、病気を発症していない血縁者に比較すると、糖尿病の発症率が50%も低いことがわかりました。こうした一連の結果から、現在では、「血中のLDL-Cが下がると糖尿病発症リスクが上がり、血中のLDL-Cが上がると、糖尿病発症リスクが下がる」と考えられるようになりました。
スタチンの糖尿病発症リスクに関わる議論のさなか、スタチンだけでは、血中LDL-Cが適正な範囲に低下しない、あるいは、スタチンで生じる筋肉痛などの強い副反応によって、薬剤を処方できない症例について臨床的に問題となっています。
さて、最近、LDL-Cを低下させる画期的な注射薬「エボロクマブ」「アリロクマブ」が登場し、注目を集めています。これら新規薬剤のターゲットは、PCSK9と呼ばれる酵素であることから、「PCSK9阻害剤」と呼ばれています(LDL受容体分解促進タンパク質であるPCSK9を標的にして、PCSK9とLDL受容体の結合を阻害。LDL受容体の分解抑制の結果、肝細胞内への血中LDL-Cの取り込みを促進させる)。
過去の研究から、PCSK9の機能亢進型遺伝子変異は、家族性高コレステロール血症を発症させ、逆に、PCSK9遺伝子の機能欠失変異は、LDL―Cを低下させ、心血管病発症を低下させることが知られています。こうした研究結果を応用し、PCSK9の機能を阻害するモノクローナル抗体「エボロクマブ」「アリロクマブ」が開発されました。抗体を治療薬として患者に投与すると、血中LDL-Cは、50-70%も低下することがわかりました。これまで得られた臨床研究報告から、心血管死、全死亡予防効果があることが期待されています。
そこで、「PCSK9阻害剤が、糖尿病発症リスク増大をきたす可能性がやはりあるのかどうか、スタチンとの併用で、心血管病予防効果はより増すのかどうか」、こうした興味ある課題について、大規模試験において検討が加えられ、現在PCSK9モノクローナル抗体を用いたフェーズ3研究が行われています。しかしながら、スタチン投与の場合同様、大規模試験のひとつひとつの結果からだけでは信頼に足る登録患者数を満たせず、しかも、糖尿病発症リスクに対する影響はわずかと推定され、結論に至るのは難しいだろう、と指摘されており、今後、多数の臨床試験のメタ解析のデータ集積まで、結論を待つ必要があると予想されています。
昨今、大規模臨床試験の代替法ともいえる「メンデリアン・ランダマイゼーション」という手法が評価されつつあります。対立形質が無作為に遺伝する仮定に基づく分子疫学的解析法です。薬物であれば、薬物がターゲットとする「遺伝子の活性」や「発現」を変化させる可能性のあるコモンバリアント(SNP)を網羅的に調査し、遺伝子変異と疾病発症との関係を統計学的に推算するのです。この計算結果から、薬物の惹起する、疾病発症リスク、予防効果が推定しうるとして用いられています。実際、スタチンのターゲットであるHMG-CoAリダクテースのSNP研究もその研究手法によって推算されました。
この「メンデリアン・ランダマイゼーション」という「遺伝子の変異などによる疾患の発症の検索」を行なう手法により、「PCSK9阻害剤による糖尿病発症リスクへの影響、スタチンとの併用による心血管病リスクの低下の有無」といった重要な課題に挑んだ結果が相次いで、ランセット(文献1)とNEJM (文献2)に発表になりましたので、解説してみたいと思います。
まず、ランセット誌に掲載された論文の内容紹介です。この研究では、SNPとして、「PCSK9遺伝子の中あるいは近傍の4つのバリアント(多様体)」が選ばれました。選択条件は、(1)バリアント同士のLinkage
disequilibrium(連鎖不平衡:略してLD)が低い、(2)CADDスコアから、バリアントによる機能変化の確率が高い、(3)バリアントがノンシノニマスである、(4)心血管病との関連がすでに報告されているバリアントである、という4つの条件を満たすものとしました。
この条件に合致するSNPとして、rs11583680 (頻度0·14), rs11591147
(頻度0·01), rs2479409 (頻度0·36), and rs11206510 (頻度0·17) の4つが選出されました。
データとしては、血中LDL—C、インスリン(空腹時、食後)、血糖(空腹時、食後)、HbA1c,
HOMA-IR、HOMA-B,体重、身長, BMI, ウエストとヒップの比、2型糖尿病の既往歴、発症頻度が用いられ、<GLGC,
MAGIC, GIANT, DIAGRAM, UKBiobank >とよばれる公的データベースから引用されました。
結果
56万8,448人分のデータが対象となりました。対象者のうち、2型糖尿病患者数は、5万1,623人でした。50本の研究論文に、研究論文間相互に、データの分布には差がないことが確認されました。LDL —Cは、平均3·41 mmol/L
, 空腹時血糖は、平均5.38 mmol/L (0.58), HbA1c 平均5·50%でした。選出された4つのSNPのLDは、r2値は、0.30以下で、相関性は低いことが示されました。 4つのSNPは、LDL-Cの低下が、0.02 mmol/L
(rs11583680)から、 0·34 mmol/L (rs11591147)であることがわかりました。
1mmol/L のLDL—Cの低下によって、体重は1.03 kg増加、ウエスト•ヒップ比が0.0006で有意に増加することが示されましたが、BMIの変化は認めませんでした。空腹時血糖は、0.09 mmol/L増加, HbA1c は0.03%増加を認めました。
糖尿病発症のリスク解析
1mmol/LのLDL-Cの低下によって、2型糖尿病の発症リスクは、29%増加することが認められました。各々のSNPについて糖尿病との発症リスクの程度を解析した結果、LDL-C低下は、容量依存性の2型糖尿病発症リスク増大を促進することが分かりました。この結果は、スタチンの標的である「HMG-CoAリダクテース」のSNP解析でえられた結果を支持するものでした。
HMG-CoAリダクターゼのSNP解析から、1 mmol/LのLDL
cholesterol低下により、39%の2型糖尿病発症リスクの増大効果が認められています。また、LDL-Cに影響を与えるゲノムワイドのSNP解析から、27%の2型糖尿病発症リスクの増大が報告されています。遺伝子研究とは異なり、スタチンなどの介入研究では、観察期間が短いことがその結果を左右する可能性が示唆されますが、2型糖尿病発症リスクの増大の程度は、12%と低く見積もられています。スタチンを投与された臨床研究に登録されたかたの多くは、糖尿病発症リスクよりも心血管病リスクの高いかたであることも注意を要する点かもしれません。
次は、NEJMに掲載された論文の結果について見てみましょう。研究対象者数は11万2,772人。10,635人の糖尿病患者、14,120人の心血管病患者が含まれています。PCSK9とHMGCRの両遺伝子のSNP解析が同時に進められました。両遺伝子の両サイド100kb以内のすべてのバリアントから「遺伝子スコア」が求められ、「LDL-Cを有意に低下させるバリアント」を含むSNPが抽出されました。 結果、PCSK9では、7個、HMGCRでは、6個のSNPが含まれました。平均年齢は59.9歳、平均LDL-Cは129.9mg/dl、でした。
結果
PCSK9遺伝子スコアが高くなるのに相関してLDL-Cの低下を認め、遺伝子スコアが高い群と低い群との比較によって、4.2mg/dlの有意な差を認めました(P=5.6x10-16)。遺伝子スコアが高い群の心血管病イベントは、低い群に比較して、8.4%の低下が認められました。
HMGCR遺伝子スコアも同様に、高くなるのに相関して、LDL-Cは低下し、遺伝子スコアの高い群と低い群の比較から、3.2mg/dlの有意な差を認めました(P=2.9x10-15)。遺伝子スコアが高い群の心血管病イベントは、低い群に比較して、6.6%の低下が認められました。
LDL-Cが10mg/dl低下することよって低下を認めた心血管イベント発生リスクは、PCSK9で、18.9%、HMGCRで、19.1%と、両者にほぼ同程度の心血管イベント発生抑制効果があること、また、それらの効果は相加的であることが示されました。
糖尿病発症リスクは、PCSK9遺伝子スコアが高い群で、6.1%上昇することが認められました。PCSK9による、LDL−C10mg/dl低下によって引き起こされる糖尿病発症リスクの増大は、11.2%と見積もられ、これはHMGCRの場合の12.7%とほぼ同程度と考えられました。両遺伝子とも、容量依存性の効果があり、また相加的であることが判明しました。
一方、空腹時血糖が100mg/dl未満の症例群では、PCSK9遺伝子スコア及び、HMGCR遺伝子スコアが“高い”症例でも、糖尿病発症リスクの上昇は認められませんでした。しかし、空腹時血糖が100mg/dl以上の症例群では、糖尿病発症リスク上昇を示し、それぞれ、PCSK9遺伝子スコアの高い群で、22%、HMGCR遺伝子スコアの高い群で、19%の発症リスク増大を認めました。
また、HMGCRの遺伝子スコアの高い場合と異なり、PCSK9の遺伝子スコが高い場合でも、体重、BMIには影響を及ぼしませんでした。
ここで得られたデータを総合すると、スタチンとPCSK9阻害剤の併用処方によって、10mg/dlのLDL-C低下を得ると、心血管イベント発生リスクは、20%低下することが期待されることが判明しました。
Ferenceらによる論文(NEJM)では、「空腹時血糖が100mg/dl以上のかたのみ糖尿病発症リスクが上がる」というユニークな論点は、ランセットのSchmidtらの研究には認めず、特筆しておきたいところです。また、糖尿病症例を対象にした解析でも、PCSK9遺伝子スコアが高い症例では、心血管イベントが有意に低下していたことは、非常に重要なポイントだと思います。すなわち、心血管イベントの低下の程度は、糖尿病発症リスクの程度を十分に上回るという健康上の利益があることが示されたと言えましょう。
Ferenceら(NEJM)による結果では、Schmidtら(Lancet)の報告と異なり、LDL-C低下に伴う体重の増加は認めませんでした。別の解析から、LDL受容体のSNPのデータで、PCSK9、HMGCRの結果と同じく、糖尿病リスクを上げることが示されており、このことは「PCSK9、及びHMGCRの2つの遺伝子群の代謝制御の結果生じる標的臓器でのLDL受容体の増加が糖尿病発症リスク上昇の原因である」という考察を支持するものになっています。いまだ、糖尿病発症リスク増大の原因解明は道半ばとはいえ、膵臓のLDL受容体の増加が役割を果たしている可能性は、強く示唆されています。
Schmidtら(Lancet)の研究で得られた「PCSK9の活性を低下させるSNPでは、体重増加はあるが、BMIの変化は伴わない」という結論から、「このSNPの身長をのばす効果の可能性」が指摘されています。体重・身長については、種々の健康医学的分野においても重要な課題です。今後は、Lancet及びNEJMのそれぞれの分析結果の精査、また、未だ取り上げられていないSNPを用いた、より多くの症例を対象にした、信頼・安全に足る厳格な研究が施行されることが望まれます。また、膵臓のLDL-受容体の発現の増加が、糖尿病発症リスク上昇に影響を及ぼすのか、糖尿病の発症機序に関わる基礎的研究を進展させることもまた、糖尿病の成因を考える上で重要でしょう。
日常臨床の観点から、今回の二つの発表は「動脈硬化抑制のためにLDL-Cを低下させる」ことの重要性は十分に認識しながらも、「LDL-Cの低下による糖尿病発症リスクの上昇の潜在性」に注意する必要があることを明確に示した、高く評価される重要なものだったと考えるところです。
文献1
文献2
コレステロール値の低下と糖尿病発症
動脈硬化によって傷害された血管壁に生じた「炎症反応」の結果、さらに脂肪物質が血管内皮に取り込まれやすくなり、血管内膜が肥厚し、血管の内径が狭くなります。病態が進行することによって、血管の閉塞・狭窄をきたし、最悪の場合、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞の発症を惹起することになります。生命を脅かす動脈硬化の予防、治療は、心血管病変を発症、進行を阻止するうえで、最重要課題のひとつであると考えられています。
動脈硬化の原因のひとつとして、悪玉コレステロールとよばれる、血中LDL—コレステロール(LDL-C)濃度の上昇があります。この悪玉コレステロールの血中濃度を低下させる薬剤、「スタチン」は、経口投与によって、効率良く血中のLDL—Cを低下させ、心血管病変発症リスクが顕著に低下することが、多くの臨床研究から明確に示されてきました。目に見える効果をもたらすことから、日常臨床で極めて高頻度で処方される「スタチン」ですが、最近、思わぬ副作用が浮き彫りとなってまいりました。「スタチンの服用が、2型糖尿病発症リスクを上昇させる」ことが明らかになったのです。ただし、スタチンのもたらす利益と比較すると、この2型糖尿病発症リスクの危険性は、はるかに小さいとも見積もられています。しかし、そうはいいましても「糖尿病発症」となれば、看過するわけにはいきません。多くの研究者が、そのメカニズムの解明について取り組んでいます。
スタチンの標的分子は、「HMG-CoAリダクテース(HMGCR)」と呼ばれる酵素です。スタチンは、この酵素の活性を阻害し、結果としてLDL-Cを低下させます。そこで、この標的酵素の遺伝子に見られるコモンバリアント(SNP)解析が行われました。面白い事に、この酵素の活性低下を促進するSNPと、活性低下を促進させないSNPを比較すると、前者で、糖尿病発症リスクが高くなることが明らかになりました。すなわち、「HMGCRの酵素活性の低下が、糖尿病発症の原因になっていること」がわかったのです。
その後、それを裏付けるように、「LDL-C低下を促す」別の遺伝子群のSNP研究によって同様の結果を得、「LDL-Cが低下することが、糖尿病発症リスクを上昇させる」と結論づけられたのです。逆に、LDL―Cの受容体や、アポリポプロテインB遺伝子の変異により引き起こされる「常染色体優性家族性高コレステロール血症」を呈するかたは、血中のLDL-Cが増加するのですが、病気を発症していない血縁者に比較すると、糖尿病の発症率が50%も低いことがわかりました。こうした一連の結果から、現在では、「血中のLDL-Cが下がると糖尿病発症リスクが上がり、血中のLDL-Cが上がると、糖尿病発症リスクが下がる」と考えられるようになりました。
スタチンの糖尿病発症リスクに関わる議論のさなか、スタチンだけでは、血中LDL-Cが適正な範囲に低下しない、あるいは、スタチンで生じる筋肉痛などの強い副反応によって、薬剤を処方できない症例について臨床的に問題となっています。
さて、最近、LDL-Cを低下させる画期的な注射薬「エボロクマブ」「アリロクマブ」が登場し、注目を集めています。これら新規薬剤のターゲットは、PCSK9と呼ばれる酵素であることから、「PCSK9阻害剤」と呼ばれています(LDL受容体分解促進タンパク質であるPCSK9を標的にして、PCSK9とLDL受容体の結合を阻害。LDL受容体の分解抑制の結果、肝細胞内への血中LDL-Cの取り込みを促進させる)。
過去の研究から、PCSK9の機能亢進型遺伝子変異は、家族性高コレステロール血症を発症させ、逆に、PCSK9遺伝子の機能欠失変異は、LDL―Cを低下させ、心血管病発症を低下させることが知られています。こうした研究結果を応用し、PCSK9の機能を阻害するモノクローナル抗体「エボロクマブ」「アリロクマブ」が開発されました。抗体を治療薬として患者に投与すると、血中LDL-Cは、50-70%も低下することがわかりました。これまで得られた臨床研究報告から、心血管死、全死亡予防効果があることが期待されています。
そこで、「PCSK9阻害剤が、糖尿病発症リスク増大をきたす可能性がやはりあるのかどうか、スタチンとの併用で、心血管病予防効果はより増すのかどうか」、こうした興味ある課題について、大規模試験において検討が加えられ、現在PCSK9モノクローナル抗体を用いたフェーズ3研究が行われています。しかしながら、スタチン投与の場合同様、大規模試験のひとつひとつの結果からだけでは信頼に足る登録患者数を満たせず、しかも、糖尿病発症リスクに対する影響はわずかと推定され、結論に至るのは難しいだろう、と指摘されており、今後、多数の臨床試験のメタ解析のデータ集積まで、結論を待つ必要があると予想されています。
昨今、大規模臨床試験の代替法ともいえる「メンデリアン・ランダマイゼーション」という手法が評価されつつあります。対立形質が無作為に遺伝する仮定に基づく分子疫学的解析法です。薬物であれば、薬物がターゲットとする「遺伝子の活性」や「発現」を変化させる可能性のあるコモンバリアント(SNP)を網羅的に調査し、遺伝子変異と疾病発症との関係を統計学的に推算するのです。この計算結果から、薬物の惹起する、疾病発症リスク、予防効果が推定しうるとして用いられています。実際、スタチンのターゲットであるHMG-CoAリダクテースのSNP研究もその研究手法によって推算されました。
この「メンデリアン・ランダマイゼーション」という「遺伝子の変異などによる疾患の発症の検索」を行なう手法により、「PCSK9阻害剤による糖尿病発症リスクへの影響、スタチンとの併用による心血管病リスクの低下の有無」といった重要な課題に挑んだ結果が相次いで、ランセット(文献1)とNEJM (文献2)に発表になりましたので、解説してみたいと思います。
まず、ランセット誌に掲載された論文の内容紹介です。この研究では、SNPとして、「PCSK9遺伝子の中あるいは近傍の4つのバリアント(多様体)」が選ばれました。選択条件は、(1)バリアント同士のLinkage
disequilibrium(連鎖不平衡:略してLD)が低い、(2)CADDスコアから、バリアントによる機能変化の確率が高い、(3)バリアントがノンシノニマスである、(4)心血管病との関連がすでに報告されているバリアントである、という4つの条件を満たすものとしました。
この条件に合致するSNPとして、rs11583680 (頻度0·14), rs11591147
(頻度0·01), rs2479409 (頻度0·36), and rs11206510 (頻度0·17) の4つが選出されました。
データとしては、血中LDL—C、インスリン(空腹時、食後)、血糖(空腹時、食後)、HbA1c,
HOMA-IR、HOMA-B,体重、身長, BMI, ウエストとヒップの比、2型糖尿病の既往歴、発症頻度が用いられ、<GLGC,
MAGIC, GIANT, DIAGRAM, UKBiobank >とよばれる公的データベースから引用されました。
結果
56万8,448人分のデータが対象となりました。対象者のうち、2型糖尿病患者数は、5万1,623人でした。50本の研究論文に、研究論文間相互に、データの分布には差がないことが確認されました。LDL —Cは、平均3·41 mmol/L
, 空腹時血糖は、平均5.38 mmol/L (0.58), HbA1c 平均5·50%でした。選出された4つのSNPのLDは、r2値は、0.30以下で、相関性は低いことが示されました。 4つのSNPは、LDL-Cの低下が、0.02 mmol/L
(rs11583680)から、 0·34 mmol/L (rs11591147)であることがわかりました。
1mmol/L のLDL—Cの低下によって、体重は1.03 kg増加、ウエスト•ヒップ比が0.0006で有意に増加することが示されましたが、BMIの変化は認めませんでした。空腹時血糖は、0.09 mmol/L増加, HbA1c は0.03%増加を認めました。
糖尿病発症のリスク解析
1mmol/LのLDL-Cの低下によって、2型糖尿病の発症リスクは、29%増加することが認められました。各々のSNPについて糖尿病との発症リスクの程度を解析した結果、LDL-C低下は、容量依存性の2型糖尿病発症リスク増大を促進することが分かりました。この結果は、スタチンの標的である「HMG-CoAリダクテース」のSNP解析でえられた結果を支持するものでした。
HMG-CoAリダクターゼのSNP解析から、1 mmol/LのLDL
cholesterol低下により、39%の2型糖尿病発症リスクの増大効果が認められています。また、LDL-Cに影響を与えるゲノムワイドのSNP解析から、27%の2型糖尿病発症リスクの増大が報告されています。遺伝子研究とは異なり、スタチンなどの介入研究では、観察期間が短いことがその結果を左右する可能性が示唆されますが、2型糖尿病発症リスクの増大の程度は、12%と低く見積もられています。スタチンを投与された臨床研究に登録されたかたの多くは、糖尿病発症リスクよりも心血管病リスクの高いかたであることも注意を要する点かもしれません。
次は、NEJMに掲載された論文の結果について見てみましょう。研究対象者数は11万2,772人。10,635人の糖尿病患者、14,120人の心血管病患者が含まれています。PCSK9とHMGCRの両遺伝子のSNP解析が同時に進められました。両遺伝子の両サイド100kb以内のすべてのバリアントから「遺伝子スコア」が求められ、「LDL-Cを有意に低下させるバリアント」を含むSNPが抽出されました。 結果、PCSK9では、7個、HMGCRでは、6個のSNPが含まれました。平均年齢は59.9歳、平均LDL-Cは129.9mg/dl、でした。
結果
PCSK9遺伝子スコアが高くなるのに相関してLDL-Cの低下を認め、遺伝子スコアが高い群と低い群との比較によって、4.2mg/dlの有意な差を認めました(P=5.6x10-16)。遺伝子スコアが高い群の心血管病イベントは、低い群に比較して、8.4%の低下が認められました。
HMGCR遺伝子スコアも同様に、高くなるのに相関して、LDL-Cは低下し、遺伝子スコアの高い群と低い群の比較から、3.2mg/dlの有意な差を認めました(P=2.9x10-15)。遺伝子スコアが高い群の心血管病イベントは、低い群に比較して、6.6%の低下が認められました。
LDL-Cが10mg/dl低下することよって低下を認めた心血管イベント発生リスクは、PCSK9で、18.9%、HMGCRで、19.1%と、両者にほぼ同程度の心血管イベント発生抑制効果があること、また、それらの効果は相加的であることが示されました。
糖尿病発症リスクは、PCSK9遺伝子スコアが高い群で、6.1%上昇することが認められました。PCSK9による、LDL−C10mg/dl低下によって引き起こされる糖尿病発症リスクの増大は、11.2%と見積もられ、これはHMGCRの場合の12.7%とほぼ同程度と考えられました。両遺伝子とも、容量依存性の効果があり、また相加的であることが判明しました。
一方、空腹時血糖が100mg/dl未満の症例群では、PCSK9遺伝子スコア及び、HMGCR遺伝子スコアが“高い”症例でも、糖尿病発症リスクの上昇は認められませんでした。しかし、空腹時血糖が100mg/dl以上の症例群では、糖尿病発症リスク上昇を示し、それぞれ、PCSK9遺伝子スコアの高い群で、22%、HMGCR遺伝子スコアの高い群で、19%の発症リスク増大を認めました。
また、HMGCRの遺伝子スコアの高い場合と異なり、PCSK9の遺伝子スコが高い場合でも、体重、BMIには影響を及ぼしませんでした。
ここで得られたデータを総合すると、スタチンとPCSK9阻害剤の併用処方によって、10mg/dlのLDL-C低下を得ると、心血管イベント発生リスクは、20%低下することが期待されることが判明しました。
Ferenceらによる論文(NEJM)では、「空腹時血糖が100mg/dl以上のかたのみ糖尿病発症リスクが上がる」というユニークな論点は、ランセットのSchmidtらの研究には認めず、特筆しておきたいところです。また、糖尿病症例を対象にした解析でも、PCSK9遺伝子スコアが高い症例では、心血管イベントが有意に低下していたことは、非常に重要なポイントだと思います。すなわち、心血管イベントの低下の程度は、糖尿病発症リスクの程度を十分に上回るという健康上の利益があることが示されたと言えましょう。
Ferenceら(NEJM)による結果では、Schmidtら(Lancet)の報告と異なり、LDL-C低下に伴う体重の増加は認めませんでした。別の解析から、LDL受容体のSNPのデータで、PCSK9、HMGCRの結果と同じく、糖尿病リスクを上げることが示されており、このことは「PCSK9、及びHMGCRの2つの遺伝子群の代謝制御の結果生じる標的臓器でのLDL受容体の増加が糖尿病発症リスク上昇の原因である」という考察を支持するものになっています。いまだ、糖尿病発症リスク増大の原因解明は道半ばとはいえ、膵臓のLDL受容体の増加が役割を果たしている可能性は、強く示唆されています。
Schmidtら(Lancet)の研究で得られた「PCSK9の活性を低下させるSNPでは、体重増加はあるが、BMIの変化は伴わない」という結論から、「このSNPの身長をのばす効果の可能性」が指摘されています。体重・身長については、種々の健康医学的分野においても重要な課題です。今後は、Lancet及びNEJMのそれぞれの分析結果の精査、また、未だ取り上げられていないSNPを用いた、より多くの症例を対象にした、信頼・安全に足る厳格な研究が施行されることが望まれます。また、膵臓のLDL-受容体の発現の増加が、糖尿病発症リスク上昇に影響を及ぼすのか、糖尿病の発症機序に関わる基礎的研究を進展させることもまた、糖尿病の成因を考える上で重要でしょう。
日常臨床の観点から、今回の二つの発表は「動脈硬化抑制のためにLDL-Cを低下させる」ことの重要性は十分に認識しながらも、「LDL-Cの低下による糖尿病発症リスクの上昇の潜在性」に注意する必要があることを明確に示した、高く評価される重要なものだったと考えるところです。
文献1
文献2