2016/01/20

愛し野塾 第56回 双極性障害(いわゆる躁うつ病)の特効薬の探索


<2016年1月暴風雪・・・>
「双極性障害」、いわゆる「躁うつ病」は、「うつ」の症状に加え、その真反対の「躁」の状態も現れ、うつ状態と躁状態が繰り返し生じる気分障害です。躁状態では、「前向きに物事を捉えて積極的に行動的できる」といった健康的な精神状態のレベルを超えて、「全能感に溢れ、自身の正常の認知下ではありえないレベルの常軌を逸した行動をとる」といった病態を認めます。「多弁になる」、「優越感を逸脱し、相手に対して無用に攻撃的になる」、また「興奮状態が続き、アグレッシブな行動が継続する」、「気が大きくなり、とんでもない額の借金をつくる」、こういった行動の結果として、社会性信頼の失墜にまで及ぶ可能性のある重大な精神疾患です。心理・社会的療法や薬物療法といった手段を用いて、適切な精神状態を維持し、社会・家族・友人とのつながりを保つことは、治療過程において重要なポイントとなります。
ただし、うつ病と異なり、複数の遺伝子の関与も大きく影響し、ストレスなどの環境的要素が発症の原因となるのかどうかは明確に示されているわけではなく、心理療法の有効性の実証データ等は、臨床応用には、未だ必要十分とは言いがたいものです。しかし、薬物療法となると、副作用に関する不安も加わるのでしょう、どの薬物を選択すべきか、また長期的な有効性への疑問等、確定的な治療方法があるわけではなく、患者は容態が一時的に安定すると、治療を中断してしまう傾向があり、結果として症状悪化の原因のひとつになっていることもしばしば見受けられます。そもそも、症状を予防する目的で薬を服用し続けること自体、効果があるのかどうか、という強い科学的な裏付けがあるとは、言いがたい状況でした。
さて、ブレイクスルーとなったのが、2010年に発表になった前向きの2重盲見試験である「バランス研究」です。この研究では、この「躁うつ病の薬物治療」について科学的な検証がなされました。王道とされてきた躁うつ病患者の薬物「リチウム」(日本での治療薬、リーマス)が、「バルプロ酸」(日本での治療薬、デパケン)との<併用療法>によって、躁うつ病の再発予防効果を著しく向上させることが、科学的に証明されたのです。この研究以後、医師も積極的に、予防策を取ることができるようになりました。
さて、今回ご紹介する論文は、躁うつ病の、「うつ状態」の治療に注目したものです。英国オックスフォード大学ゲッデス博士らによってランセット•サイキアトリーに発表されたばかりです。
Geddes, JR, Gardiner, A, Rendell, J, and on behalf of the CEQUEL Investigators and Collaborators. Comparative evaluation of quetiapine plus lamotrigine combination versus quetiapine monotherapy (and folic acid versus placebo) in bipolar depression (CEQUEL): a 2 × 2 factorial randomised trial. LancetPsychiatry. 2015; (published online Dec 10)
躁うつ病のうつ状態の「うつ症状」は、大うつ病と臨床的な違いがありません。しかし、「躁うつ病におけるうつ状態の特効薬がない」という認識が前提となり、躁うつ病のうつ症状の治療について、「効果があるかもしれない」とされる複数の治療薬を患者の容態に合わせて、組み合わせて処方するといった方法がとられてきました。大うつ病で処方する抗うつ薬、統合失調症で処方する抗精神病薬、てんかんで処方する抗痙攣薬がその代表格です。しかし、問題となるポイントは、前述のように大うつ病では有効な抗うつ薬では、躁うつ病のうつ状態には、有効性が低いことです。その上、大うつ病の抗うつ薬の使用が、反って躁状態の症状を悪化させ(治療期発現感情交代と呼ばれます)、最悪の場合、患者に強い自殺願望をもたらすといった副作用を認めるケースもあることから、処方は非常に難しい問題です。多くの治療ガイドラインで、抗うつ薬は節度を持って使用し、できれば、効果の異なる薬剤を複数組み合わせるよう勧めています。イギリスのガイドラインでは、ファーストラインとされる治療薬は、抗うつ剤のプロザック(日本未発売)にジプレキサ(否定型抗精神病薬)を加えた薬物療法か、クアチアピン単剤となっています。抗うつ剤であるプロザックの入った前者の薬物療法には、副作用の観点から疑問があり、クアチアピンは、短期的には有効だが、長期的には有効性が乏しく、副作用が多いことが知られています。
そこで、今回の研究では、クアチアピン(日本では、セロクエル)に、ラモトリジン(日本では、ラミクタール)を追加投与し、クアチアピン単剤に比較して、有効性が高まるかどうかを、もっとも厳格で科学的に信用度の高い手法である、前向き2重盲見試験で、検討されました。
研究は、英国の27の医療機関で行われ、研究対象は、16歳以上で、DSM-IVの躁うつ病Iあるいは、IIと診断され、うつ症状のために新規に治療が必要と診断された患者でした。観察期間は2008年から2012年の間、また対象者は、ラミクタールを追加する群(101)とプラセボを追加する群(101)に無作為に振り分けられました。ラミクタールに見られる、短期的な作用は弱いものの長期的に効果が持続する特徴を利用したのです。研究では、簡易抑うつ症状尺度(QIDS-SR16)を用いて、自己申告法により、抑うつ状態を点数化しました。
結果は、セロクエルにラミクタールを加えた場合、プラセボを加えた場合と比較して、12週の段階で、抑うつ状態は、1.73点の低下(p=0.066p)、1年後の段階で、2.69点の低下(p=0.017)でした。短期的にも長期的にもラミクタール追加は抑うつ状態の治療に有効であることが示されました。
この論文の問題点は、(1)サンプルサイズ(対象者数)が小さいこと、(2)長期では、研究の脱落者が多かったこと(12週間の段階での脱落者は、プラセボで20人、ラミクタール追加群で18人と少なかったものの、52週間の段階では、前者で54人、後者で、45人と参加者の半数に及んでしまいました)。ただし、精神疾患における前向き2重盲見試験では、脱落者が多いこと、特に試験経過1年の段階では、脱落者は半数以上に至る傾向がある、という事情を勘案する必要はありそうです。また、自己申告法を用いたことで評価にバイアスがかかる可能性も気になる部分です。この点について、シドニー大学のモーリ博士は、「自己申告であるが故に、実地臨床の現場でみられる患者の状況そのものを反映している可能性が高く、今後は、スマートフォンなどのテクノロジーが進歩している事情をふまえ、ますます、自己申告による方法が活用される機会が増えるであろう」とコメントを寄せています。こうした自己申告の評価法が研究手法として今後増えて行くことの多くの利点については異論がないところですが、同時にその意義とバイアスについて考慮した丁寧な分析が求められることになるでしょう。

躁うつ病は治療が難しい病気です。しかし、妥当性のある科学的な手法と厳格な分析・検討によって、安全かつ効果的な治療法の探索は今後、更に飛躍するものと考えます。薬物治療=副作用と嘆くだけではなく、治療法の根拠を先ず認識することもまた私たちにとって必要なように考えますが、みなさんは、いかがお感じになるでしょう。