2015/09/23

愛し野塾 第40回 長時間働くと脳卒中のリスクはあがるのか?


長時間働くと脳卒中のリスクはあがるのか?

長時間労働と心血管病リスクの因果関係については、実は、いまだ決着がついていません。2012年に2つのメタ解析を用いた論文が発表されました。長時間労働は、標準時間労働に比較して、心血管病リスクを40%も上げるという報告をしましたが、これら2つの論文については対象者についての問題点が挙げられています。

l  対象者のバイアス。心血管病があることを理由に労働時間を短縮していた労働者が多数含まれていて研究デザイン自体に問題がある。

l  社会経済的地位の格差のバイアス。長時間労働をする傾向のある社会経済的地位の高いひとのほうが、低いひとに比較して、心血管病が少ないとされている点から、社会経済的地位格差のバイアスを考慮していない研究デザインでは信頼性が低い。

また、心血管病リスクの中でも脳卒中リスクについては、ほとんど検討がないのも事実です。長時間労働がゆえに、運動ができない、労働環境下のストレスが多い、ことにより、冠動脈疾患だけでなく脳卒中も誘発しやすいことは、想定されることです。

今回の研究(Lancet. 2015 Aug 19. pii: S0140-6736(15)60295-1. doi: 10.1016/S0140-6736(15)60295-1. [Epub ahead of print] Long working hours and risk of coronary heart disease and stroke: a systematic review and meta-analysis of published and unpublished data for 603838 individuals.)では、これまで報告された前向き研究結果を、ひとりひとりのデータを解析し見直しています。また、未だ発表されていない研究成果も加えて解析しています。

持病によって軽減された労働時間がバイアスとならないよう極力除外するために、研究開始一年以内に生じた心血管発症イベントについては、採用しませんでした。また、データ解析時に社会経済的地位は階層化されました。すべてのデータは、脳卒中と冠動脈疾患のそれぞれについて解析されました。

労働時間と冠動脈疾患との関係を記した研究は、Pubmedサーチから、上記の条件設定をクリアした、25個の研究が選別されました。5本の発表論文結果と、20本の未発表結果です。労働時間と脳卒中の関係については、17個の研究(1本の発表論文結果と16本の未発表結果)が採用されました。

冠動脈疾患発症歴のない603838人の男女を、前向きに、平均8.5年観察しました。4768件の冠動脈疾患が生じました。病気の定義は、病院入院あるいは死亡の場合に得られた、国際病気分類であるICD-10をもとに記載された病名(コードは121122)、「偶発性冠動脈疾患」「非致死性心筋梗塞」「冠動脈死」となっています。バイアスの影響を避けるため年齢、性別、社会経済的地位で、データは補正されています。「長時間労働は、13%の冠動脈疾患を増加させる」という、変化をもたらすことがわかりました(P0.02)。

528908人の男女で、脳卒中発症歴のない人を、前向きに平均7.2年観察したところ、1722件の脳卒中が生じました。病気の定義は、病院入院あるいは死亡の場合に得られた、国際病気分類であるICD-10をもとに記載された病名(コードは160-164)、「脳卒中」となっています。バイアスの影響を避けるため年齢、性別、社会経済的地位で、データは補正されています。「長時間労働は、33%の脳卒中を増加させる」という有意な変化をもたらすことがわかりました(P0.002

労働時間と冠動脈疾患の発症、及び脳卒中発症との時間数依存性についても検討をしていますが、冠動脈疾患には、有意な時間数依存性が認められませんでしたが、脳卒中発症との関係に時間数依存性を認め、労働時間が長くなるほど脳卒中が増えるという結果が得られました(P0.0001)。

労働時間が36-40時間/週を標準時間としたときの脳卒中発症1.0とすると、

Ø  41-48時間では、1.10

Ø  49-54時間では、1.27

Ø  55時間以上では、1.33

社会経済的地位が低い階層では、長時間労働によって冠動脈疾患が2.18倍に増える(P0.006)ことも明確になりました。 

この研究は、長時間労働が、脳卒中を33%有意に増やすことを世界で始めて示したという点で注目されています。またこのデータは、性差、国、脳卒中の確認手法が異なるというバイアスにも影響されず、得られた結論は、信頼の高いレベルだと評価されるでしょう。未発表データが全体のデータの大半を占め、データの精査によって対象者のバイアスの問題が解決されており(ポジティブなデータが出る危険性を排除している)、データの妥当性は高いと考えられます。

主なデータが、論文になっていないものが圧倒的に多いことは興味深い点でしょう。すべてIPD-WORKコンソーシアムから得たものですが、便宜的標本であり、無作為に抽出されたわけではないので、データ抽出方法にはバイアスの危険性は残ります。また、勤務時間の聞き取り調査は1度だけしか行われておらず、観察期間を通して勤務時間に変化はなかったのか否かには疑問が残ります。さらに、データは、様々な交絡因子で補正されているものの、塩分摂取、コレステロール、血糖などの血液データは考慮されていないことから他の生活習慣リスクの影響は不明瞭です。仕事への取り組み方の違い、得意な部署での仕事か、楽しんでやっているのか、いやいやながらやっているのか、過度な責任を抱えているのか、などモチベーションの違い、劣悪な環境での労働なのかどうか、移動が多いかどうか、など労働環境も寄与している可能性があります。時間当たりの仕事量、その他、睡眠時間なども交絡因子となるでしょう。将来的にはこうしたバイアスにも対処した詳細の研究分析が行われることが、労働者の健康を考え、労災を予防する上では望ましいと考えられます。

さて、OECD加盟国の中で、最も勤務時間が長いのはトルコです。同国では、週50時間以上働く労働者は、全体の43%を占めます。最も少ないのは、オランダで週50時間以上働く労働者は、1%未満です。すべてのOECD加盟国では、男性の12%、女性の5%が週50時間以上勤務しています。労働時間規定によると、EU諸国では、週48時間以下とするという法令があり、今回の研究で、労働時間と脳卒中の関係が明らかになったことからも、EUの取り組みは適切な脳卒中予防策と評価されています。

未だ長時間労働による過労死認定される犠牲者が減らない国内の労働者環境については、事業主が適切な労働環境を提供できるよう、国としても事業主への雇用支援の改善を図っていただきたいものです。

 

愛し野塾 第39回 2型糖尿病治療の革新的進歩

2型糖尿病治療の革新的進歩 

 
 

2015917糖尿病の治療の進歩を記念すべき歴史的な日となりました。新規糖尿病治療薬「エンパグリフロジン」(化合物名で、商品名はジャディアンスです)が、これまでどの治療薬でも遂げられなかった、2型糖尿病患者の死亡率の改善、という快挙を成し遂げたという発表がセンセーショナルに権威ある国際医学誌ニューイングランドジャーナルオブメディシンに掲載されました(September 17, 2015DOI: 10.1056/NEJMoa1504720。カナダ•トロントのマウントサイナイ病院のベルナードチンマン博士らが「エンパレグアウトカム」研究の成果を発表したのでした。 

先ずは、「エンパグリフロジン」の紹介をしましょう。
 
この薬はSGLT2阻害剤という薬効を持つ薬の一つです。この阻害剤は、尿の中に糖を放出することで血糖を低下させる効果をもつ新規の薬剤で、日本では、この一年の間に、エンパグリフロジンも含め6種類が認可されました。 

さて、2009年の1万人規模の大規模臨床試験「アコード」試験では、2型糖病患者の血糖を正常化しようとすると死亡率が22%上昇することを示しました。アコード試験以降、多数の臨床試験が発表になりましたが、糖尿病治療は血糖管理をしたところで、合併症予防には有意な効果を認めても、死亡率の低下には結びつかないという結果が相次ぎ、「死亡率改善は困難」という、消極的なムードが専門家の間に漂っていました。 

しかし、今回の7020人を対象とした大規模臨床試験では、HbA1c8.06%~8.09%の患者を対象に新薬「エンパグリフロジン」の処方し3.1年経過観察したところ、予期せぬ素晴らしい結果を認めたのです。対象となった患者さんのうち99%が心血管病を合併し、そのうち75%が冠動脈疾患を合併しているといった心血管病ハイリスク者でした。 

治療薬は、インスリン療法が48%、インスリン使用量の中央値は52単位とかなり重症糖尿病患者が対象となっていることが分かります。合併症は高血圧症が95%、高コレステロール血症でスタチン処方が80%でした。 

対象患者の出身地の内訳は、ヨーロッパ大陸が41%、アジアが19%で、欧米人主体とはいえ、多くのアジア人を含まれ、アジア人単独についても十分な解析ができるように研究デザインされ実施されました。男性は全体の70%で、平均年齢は、63歳でした。 

研究開始後は、プラセボと、エンパグリフロジン10mg、エンパグリフロジン25mgの3つの群に無作為に割り当てられました。割り当てられる前の治療はそのまま継続され、空腹時血糖が240mgdlを超えたときに薬を調整する計画が採用されました。血糖管理については、「アコード試験」の教訓を汲んだと推測します。かなり「ゆるやか」な血糖管理が遂行されました。 

結果は
  • 死亡率は、プラゼボ群で28.6%に比較してエンパグリフロジン群では19.4%と有意に低い結果を得ました。すなわち死亡リスクが32%も統計学的に有意な低下しました(P0.001)。対象者ほぼ全員が心血管リスクが高く、糖尿病、高血圧、脂質異常症について、それぞれ質の高い処方箋によって十分に心血管病のリスク因子が管理されていたところに、追加された「エンパグリフロジン」の処方によって、これほどの死亡リスクの有意な低下を認めるとはまったくの想定外でした。この研究はそもそも、エンパグリフロジン処方が従来処方による心筋梗塞のリスクを上昇させないことを証明するために行われた確認試験でしたから、当該研究者は驚きと喜びに湧き、またこの試験を逐次監視していた倫理委員会は、試験当初より良い結果が継続的に得られたことから、予定よりも早期に試験を切り上げた、というおまけ付きでした。心血管病関連死では、エンパグリフロジン投与群は、プラセボ投与群に比較して、38%有意な死亡率低下効果を認めました(P0.001)。 
 
  • 別の重要なパラメーター「心不全による入院」の結果について見てみましょう。一昨年、今現在日本で一番使われているDPP-IV阻害剤のうちのひとつ「オングリザ」が、「心不全による入院数」を顕著に増やしたことで、多くの医師がこの薬の安全性に懸念を抱きました。実際、糖尿病治療をする専門家の間では、「心不全による入院」リスクを上げるのか、下げるのか、はその薬の善し悪しを決める大きなバロメータとなっているといっても過言ではないでしょう。結果は、「エンパグリフロジン」投与によって、プラセボに比較して、心不全による入院を35%低減させました(P0.002)。この結果によって、エンパグリフロジンを代表とするSGLT2阻害剤が、多くの専門家たちの支持をえることになりました。 

こんなにいい結果がえられたのだから、血糖はさぞかし良くコントロールされたと思われることでしょう。 

  • 事実はまったく異なります。エンパグリフロジン投与群は、HbA1c7.81%、プラセボ群は、8.16%とほとんど、試験開始のHbA1cと変わらない値だったのです。エンパグリフロジンとプラゼボの間で、HbA1Cに統計的有意差があるのかないのかも論文には示されていない始末でした。つまり、研究者たちは、「全死亡率」、「心血管病の死亡率」、「心不全による入院数」の「30%を上回る有意な低減」効果は、エンパグリフロジンによる血糖降下作用の寄与とは考えづらく、ほかの薬理作用の寄与によるものだと推論しているのです。その他の作用として、次のようなものがあげられています。 

1.            血管のスティッフネス(硬さ)を良くすること 

2.            心臓の機能を良くすること 

3.            心臓の酸素要求度を低くすること 

4.            尿中のアルブミン排泄を減らすこと 

5.            体重を減らすこと 

6.            血圧を下げること 

7.            内蔵脂肪を減らすこと。 

糖尿病治療が、真に患者さんの利益を求めるものならば、血糖降下作用も必要ですが、上記の「そのほかの作用」が伴うことが重要である可能性が明確に示唆されたことは朗報です。また、強調したいのは、この試験では、血糖を下げすぎない、ということをしっかり見据えて血糖管理をしたことが「勝利(患者の利益)」を導いたと私は思います。血糖を「HbA1cが7%」以下に下げるような研究デザインであったのなら、これほど良い結果は得られていなかったことでしょう。今後の糖尿病治療は、「血糖は下げすぎない、せいぜい78%ぐらいを目安にする。エンパグリフロジンに代表されるSGLT2阻害剤を積極的に使用していく」方向に進んでいくことでしょう。 

  • さて、アジア人のみのデータに注目してみましょう。白人に比較してアジア人のほうがむしろ、エンパグリフロジンが心血管病による死亡を低減していることを示されています(白人は28%低下、アジア人は65%の低下)。この結果から、私は、「エンパグリフロジンに代表されるSGLT2阻害剤は、アジア人にふさわしい薬剤である」ことを示しているものと思います。残念ながら日本人のデータはなく、アジア人のカテゴリーは国籍別には台湾人、韓国人、シンガポール人、マレーシア人で構成されていますが、日本人にも十分有効なデータと考えます。 

しかし、実はいいことばかりではありませんでした。 

  • 性器感染症が男女とも有意に増えていました。男性で約3倍、女性で約4倍でした(P0.001)。エンパグリフロジンは尿中に糖を多量に放出させるため、細菌が性器に付着しやすくなるためと説明されています。

この副作用の出現については処方時に十分患者に説明をし、性器のかゆみが生じた場合などは、ただちに医療機関にかかることを指導すべきでしょうし、また性器感染症の既往歴のある患者には、エンパグリフロジン処方は避けることも考えるべきでしょう。 

最近エンパグリフロジンを代表とするSGLT2阻害剤の副作用として、「糖尿病性ケトアシドーシスを惹起する懸念」が多いに議論されておりますが、今回、そのような現象は見られませんでした。また、尿を多量に放出させることから、腎臓機能を悪化させるのではないかと危惧する面もありましたが、急性腎不全の増加は認めませんでした。 

より長期的な副作用として、悪性疾患が挙げられます。「膀胱癌」「膵臓がん」「前立腺がん」はSGLT2阻害剤以外のほかの糖尿病薬でたびたび物議がかもされました。がん発症リスクについてもエンパグリフロジン処方対象患者をこまめに経過観察することで、十分な検討を加えることが必要と考えます。 

現在エンパグリフロジンを代表とする「SGLT2阻害剤」は、先にも述べましたように、他に5種類が日本の市場に出回っています。それら5種類についても、今回と同様に死亡リスクを大幅に低減させるという結果が得られることを期待したいと思います。 

いずれにいたしましても、エンパグリフロジンの素晴らしい効能が報告されたことで、副作用の懸念はぬぐい去れないにしても、患者本位の糖尿病治療にようやく明るい光が見えてきた、そのように感じております。