2015/11/19

愛し野塾 第48回 がん細胞・標的とすべき遺伝子の話

がん細胞

憎きがん細胞を撲滅させるには、がん細胞の成り立ちを熟知することがまず先決です。具体的には、正常な細胞から、どのようにしてがん細胞が発生・分化・増殖するのか、そのメカニズムを解明することが必要となります。


30年ほど前、癌遺伝子やがん抑制遺伝子の連続的な変異によって、がん細胞は生じるという仮説が確立されました。癌遺伝子とは、細胞の増殖に寄与する遺伝子で、遺伝子の変異によって、細胞は無限の増殖能を獲得し、がん化していきます。がん抑制遺伝子に変異が起きると、今度は、増殖のブレーキが効かなくなり、同様に増殖能力が高まり、がん化するのです。しかし、さらに具体的にいえば、こうした遺伝子のうちの一個のみの異常で、細胞はがん化するのか、それとも遺伝子の変異は複数必要なのか、複数であればいくつの遺伝子変異ががん化には必要なのか、さらに、遺伝子の変異する順番は重要なのかが長らく明らかにされてきませんでした。がん化に関わる遺伝子の異常の詳細が明らかになれば、特定の遺伝子をターゲットにした治療が、癌の「根本治療」として確立するという仮説のもと、こうした研究はがん研究領域において最も重要とされてきました。

さて、現在までに、遺伝子工学の技術的革新によって、22000個にも及ぶ癌のすべての遺伝子配列が同定され、300万個以上の遺伝子変異が登録されています。癌に特別に生じた遺伝子の変異は、何千にも及ぶことが知られていますが、実は、腫瘍細胞に、増殖の利点を与える遺伝子変異のことを、「ドライバー(運転手)遺伝子」の変異と呼び、実際このドライバー遺伝子は、わずかな数にしかすぎず、そのほかの遺伝子は、「パッセンジャー(乗客)遺伝子」と称され、偶然生じた遺伝子変異に過ぎないことが分かってきました。ドライバー遺伝子と命名されたものは200個ほどあり、全体の遺伝子の1%とされます。

成人の固形癌に限れば、わずか「3個」のドライバー遺伝子の異常が、正常細胞を癌化させるのに必要十分であることが分かってきました。それぞれの遺伝子が、「突破」「拡大」「浸潤」の3段階の癌化に決定的な働きをします。「突破段階」は、一個目のドライバー遺伝子の異常を惹起し、これによって細胞の異常増殖が開始します。臨床の現場で異常として診断されるまでには、長い年月を必要とし、一例としては、子宮頸癌健診で異形上皮として発見されることがあります。異常増殖によって、ある一定の細胞数を獲得すると、「拡大段階」に突入する能力をもつようになります。それは、2段階目のドライバー遺伝子に異常が来されることによります。これによって、細胞は酸素や栄養が不十分な過酷な細胞環境でも、成長することができるようになります。これが良性腫瘍とよばれる状態です。さらに進んで3段階目のドライバー遺伝子に変異が生じ、「侵襲段階」に達すると、正常細胞の中で増殖するようになり、悪性細胞と呼ばれるようになります。
こうした現象について、大腸がん、子宮頸部がん、膵臓がんで次々とその詳細が明らかになってきましたが、今回、<悪性黒色腫>でも、どの特定の遺伝子が具体的に「突破段階」「拡大段階」「侵略段階」で暗躍するのかが判明しました。

カリフォルニア大学サンフランシスコ絞のシャイン博士らが、37個の原発性悪性黒色腫と、その前段階の病変の150部位から組織を得て、293個の癌関連遺伝子を調査検討し、BRAF,TERT,CDKN2Aとよばれる遺伝子群が、それぞれの段階の主要なプレーヤーであることがわかったのです(N Engl J Med 2015; 373:1926-1936November 12, 2015DOI: 10.1056/NEJMoa1502583

ここまで明らかとなると、さて、こういったがんの撲滅法として、それぞれの癌で、判明した「3つのドライバー遺伝子に対抗する抗がん剤の同時使用」が有効となることが期待されます。さらに今回の研究から、悪性黒色腫の発症に関係する遺伝子について、紫外線による影響を受けやすい遺伝子であることが判明し、従来から指摘されているように、長時間紫外線を浴びることを避けることは、予防の観点からがん発症抑制に有効であることが確認されました。


癌研究も,遺伝子の立場から、いよいよ本格的に治療への道が開けてきている、そのように感じています。

愛し野塾 第47回 高血圧再考


世界の高血圧患者数は推定10億人、また日本国内では、推定4000万人とも言われています。米国では約7000万人の患者がいるといわれ、まさに高血圧大国といえるでしょう。ガイドラインにしたがうと収縮期血圧140mmHg以上、拡張期血圧が90mmHgの場合に高血圧と診断されます。

日常臨床で最も多いのは「血圧の患者さん」といっても過言ではないでしょう。血圧が高いことで、頭痛や動悸などの症状が認められる場合も少なくありませんが、そのほとんどは、無症状です。健診で指摘されたり、家庭血圧での測定で気づいたりすることが多く、血圧自動測定器が市役所、体育館、公衆浴場などのあらゆる場所で設置されている日本ならでは、の利便性が高血圧の早期発見・早期診断に役立っているといえるでしょう。

一方で、高血圧について、テレビや雑誌等のメディアで特集されることも頻繁で、様々な情報にさらされているうちに、「さて、いったいどの値に血圧を下げるのが適切なのか」、と戸惑いを覚えることもあるようです。具体的には、収縮期血圧を、140mmHgを目標とするのが最適か、130mmHg150mmHはどうなのかという疑問です。こういった困惑の背景には、処方薬によって血圧を下げすぎてしまったら何らかの副作用が起きるのではないか、という不安、また薬はできるだけ減らしたい、と考える患者さん側の要望があるのでしょう。

少し前まで、学界では、血圧は、下げれば下げるだけ、心血管に及ぼす影響は良好であり、したがって、血圧は出来るだけ下げたほうが良いとの考え方が支配的でした。こうした考え方のもと、行われたのが、糖尿病患者さんだけを相手にした大規模臨床試験「ACCORD」でした。収縮期血圧の目標値を<133mmHg>にした群と<119mmHg>にした群を比較して、当然後者(119mmHg)に良い結果がもたらされるはずだ、という希望の混じった予測をもって施行されました。しかし、結果は、予想外。両群間で、心血管イベントの発症率に違いはなく、それどころか腎臓などへの副作用が強く血圧を下げた群で有意に多かったことから、特段、糖尿病患者さんについては、血圧の下げ過ぎは禁物で、133mmHgが最適であるという結論が示唆されました。その後、その他の臨床試験の結果も合わせて、最近では、血圧はやや緩めのコントロールでよい、特に、高齢者では、150mmHg以下でよい、という考え方が広がり、日本のガイドラインでも、「後期高齢者は、150mmHgを目標とする」「糖尿病の場合は、130mmHgを目標とする」と示されています。まずは妥当な判断と考えられます。

2015年11月、糖尿病、脳卒中の既往がなく、施設入所している高齢者を除外した高血圧患者、9361人を対象に、<血圧はやや緩めでいいという最近の風潮>に真っ向からチャレンジした、血圧を140mmHgにする群(標準治療群)と120mmHgにする群(強化治療群)の2群を比較するという、大規模臨床試験「SPRINT」の結果が発表されました(A Randomized Trial of Intensive versus Standard Blood-Pressure ControlThe SPRINT Research GroupNovember 9, 2015DOI: 10.1056/NEJMoa1511939)。昨今の風潮からすれば、当然、血圧を下げすぎの群に悪い結果が出ると予想されていたのですが、その結果が余りにもインパクトがあり予想外のものだったため、多くのメディアでも取り上げられ、今後のガイドライン改定に大きく寄与することが見込まれることから愛し野塾で取り上げることにしました。

この試験の対象者は、平均年齢67.9歳で、そのうち女性の割合が35-36%でした。スタチン使用者は、約40%、アスピリン使用者は、約50%でした。BMI29.9と対象者には肥満のかたが相当数含まれていました。

試験開始時収縮期血圧は、「139.7mmHg」でしたが、1年後、標準治療群では、「136.2mmHg」、強化療法群では、「121.4mmHg」と血圧は降下しました。心血管イベント(心筋梗塞を含む冠動脈疾患、脳卒中、心不全、心血管病に伴う死亡)の発症率は、1年あたり、強化療法群で1.65%、標準治療群で、2.19%で、強化療法群で顕著に低く(p<0.0001)、25%の発症率低下が認められたため、5年を予定していた臨床試験は、3.26年で中止となりました。全死亡も強化療法群で27%の有意な低下が認められました(p=0.003)。結果は、75歳以上でも75歳未満でも差は認められず、年齢にかかわらず、降圧目標をより低く設定した群で、良い結果が得られたのです。

しかしいいことばかりではありませんでした。低血圧、意識消失発作、電解質異常、急性腎臓障害、腎不全は、強化療法で明らかに多かったのです。特に急性腎臓障害、腎不全は、標準治療に比べて、1.66倍(P<0.001)多かったことは大きな懸念材料といえるでしょう。腎機能が正常なかたの場合、30%以上の腎機能低下は、約3倍強化療法群で、標準治療群に比べて有意に多いこともわかりました(P<0.001)。降圧を強化すると腎臓への悪影響は避けられないようです。

さて、今回の結果から、高齢者は、「150mmHg」でも良いというのは、どうやら緩すぎるということは明確でしょう。少なくとも「140mmHg」にするべきでしょう。しかし、「糖尿病、脳卒中の既往、施設入所の高齢者」を除くすべての高血圧のかたについて「120mmHg」目標とするべきかどうか、については疑問を覚えます。

考慮すべきは、薬物投与が徹底して行われている米国ですら、「140mmHg」の目標には、3分の1から半分の高血圧の患者さんは、到達できていないという現状です。つまり高血圧治療は容易ではありません。今回の臨床試験では、血圧を下げるのが難しいかたは含まれていないように見受けられましたが、実際の日常臨床では、多くのかたが、治療に難渋するものです。こうした患者さんに薬の増量を強いたり、強い降圧作用をもつ薬に変えたりして、血圧を120mmHgに下げることが、道理にかなっているかのかどうか、よく考える必要がありそうです。

また、今回の大規模試験の強化療法群の患者さんの処方数は平均3剤ということでした。服薬数は少なくしたいという患者さんの希望からすれば、「3剤」は多く、「2剤」が限界だと考えます。実際、米国の医師も「2剤」以上薬を使うのを嫌うという調査結果があります。

そして、強化療法をするとなると、腎臓障害発現などの副作用に備えて、頻繁に外来来院を促す必要が出てくることでしょうし、それに伴う採血検査、尿検査も必須となるでしょう。医療費増大に拍車をかけることになりかねませんし、なにより患者さんへの負担も増加します。この点もよく考慮すべきでしょう。

私は、「SPRINT研究」の結果から、高血圧患者さんの収縮期血圧の目標値を120mmHgに設定することは重要だが、個々人の容態や生活環境をよく考慮にいれて、患者さんの負担や不安を増すことないように、医師と患者さんは、双方向の話し合いを繰り返し、治療を進めていくべきではないかと感じました。例を挙げれば、比較的容易に1~2剤で、降圧され、120mmHgとなる症例では、120mmHgをターゲットとして良いでしょう。しかし、治療に難渋し、3剤以上を持ってしてもなかなか降圧が難しい場合は、140mmHgでよいのではないかと思います。「糖尿病、脳卒中の既往のあるかた、施設入所されている高齢のかた」の場合は、133mmHgを目標としてよろしいのではないでしょうか。このように私は考えております。皆様いかがお考えでしょうか。




写真は冬桜@新宿御苑